2014/01/27

鏡像的「逆説」へのイエスの自覚

[キリスト教] ブログ村キーワード
自分の写真イエスの言説のいかほどかについて、「これは逆説である」と得意げに語る(神/聖書)学者・説教者はじめ一般信徒方々の数は、ひじょうに多い。

そう言うわたしも、なるほどそうか。。。と思わなかったわけではない。

しかし改めて考えてみると、信仰者が信仰者に向かって「コレハ逆説デアル」などと逐一ことわること自体、そもそもどこかおかしくはないかとも感じてしまう。もちろん、放逸無惨極まりなかりし我が人生すべてを棚上げにしたうえで申し上げているのだが。

どこかしらキナ臭い。

2014/01/23

ニーチェ箴言散策集・私家版 (18)

[キリスト教] ブログ村キーワード
ニーチェ箴言散策集
Friedrich Nietzsche
『ニーチェ箴言散策集』(2008.02起稿 2008.07脱稿 Mr. Anonymous)

今回137節の読みどころ
「総合的感覚」とは何か。ニーチェ箴言の先見性をデリダ・ハイデガー・木村敏・アガンベンを迂回して説く。教育への著者の怒りまたまた爆発!
アーカイブはカテゴリーからどうぞ。⇒⇒⇒

原文・翻訳からの引用は「報道、批評、研究目的での引用を保護する著作権法第32条」に基づくものです。ドイツ語原文は"RECLAMS UNIVERSAL-BIBLIOTHEK Nr.7114"、日本語訳は木場深定氏の訳に、それぞれ依ります。

2014/01/22

ニーチェ箴言散策集・私家版 (17)

[キリスト教] ブログ村キーワード
ニーチェ箴言散策集
Friedrich Nietzsche
『ニーチェ箴言散策集』(2008.02起稿 2008.07脱稿 Mr. Anonymous)

★前回第16回から、愛読者様ならびに著者の負担を軽減するため、一節ずつの散策となっております。
136節をどうぞ。。。アーカイブはカテゴリーからどうぞ。⇒⇒⇒

原文・翻訳からの引用は、「報道、批評、研究目的での引用を保護する著作権法第32条」に基づくものです。ドイツ語原文は、"RECLAMS UNIVERSAL-BIBLIOTHEK Nr.7114"、日本語訳は、木場深定氏の訳に、それぞれ依ります。

2014/01/21

加筆論を笑うエリフは良い子バラクエルの子!

[キリスト教] ブログ村キーワード
天使の梯子が雲間から
天使の梯子が雲間から
posted by (C)白石准
阪神・淡路大震災後ほどなく故吉本隆明(1924-2012)氏の口をも開かせた「ヨブ記」ではあるが、旧約聖書学者・研究者はもちろん在野の研究者まで含め、はたしてどれだけの数の解釈が披露されてきたのであろう。

「星の数ほどにも」などと言おうものなら、さすがに、「大仰(おおぎょう)なり!」、と一笑に付されてしまうであろうが、福音伝道(宣教)の側にたつ説教者の「教説」に、本来の信仰主体たる一般信徒方々の秘められた「思い」を加え、さらに「目に見える星の数ほどにも」と言い直せば、さもありなむと共感される方のお一人やお二人は出て来よう。

2014/01/19

「注目記事」ランキングの謎は超簡単!

[キリスト教] ブログ村キーワード
十字架の現象学
十字架の現象学
カテゴリー>キリスト教に属する新参者『十字架の現象学』(http://office-maria.blogspot.com/又はhttp://office-maria.blogspot.jp/)著者Anの書く記事の大半が、上位三位以内のランキング入り達成!


異端臭?のぷんぷんする「十字架の現象学」がナンデジャアアア!!!さぞかしイライラしておられる方々も多いことでしょう。どうして?なんで?なぜ?なしてかあ??Why?ウェエエ?ヴァルム?等々。

「ヘルプ」を何度読んでもマッタク分からないですよねぇ。。。

そこでタ・ネ・ア・カ・シ、ということになります。

2014/01/17

>>>神学<<<が崩落する時

[キリスト教] ブログ村キーワード
[哲学] ブログ村キーワード
Heidegger Forum
電子ジャーナル部分
教勢の衰え?リバイバルへの虚ろな熱狂?古色蒼然たる無神論対有神論?正統に異端?

そんなこと、ほんとうはどうだっていいのだ。

この二十一世紀、いったいキリスト教の何がコアな問題だと言うのであろうか。

その最も過敏な部位に触れたじつに勇敢な論稿のひとつが、ここにある。

2014/01/16

ニーチェ箴言散策集・私家版 (16)

[キリスト教] ブログ村キーワード
ニーチェ箴言散策集
Friedrich Nietzsche
『ニーチェ箴言散策集』(2008.02起稿 2008.07脱稿 Mr. Anonymous)

★今回第16回から、愛読者様ならびに著者の負担を軽減するため、一節ずつの散策となります。引き続きご愛読頂きますように。
135節をどうぞ。。。アーカイブはカテゴリーからどうぞ。⇒⇒⇒

原文・翻訳からの引用は、「報道、批評、研究目的での引用を保護する著作権法第32条」に基づくものです。ドイツ語原文は、"RECLAMS UNIVERSAL-BIBLIOTHEK Nr.7114"、日本語訳は、木場深定氏の訳に、それぞれ依ります。

2014/01/15

牧師を見極める!

[キリスト教] ブログ村キーワード
[教会] ブログ村キーワード
キリスト教の歴史
キリスト教の歴史
posted by 
(C)カマスキー
ご承知のとおり、「教会は(S)キリストの体である(P)」という幾分威圧的なこの表現は、「コロサイの信徒への手紙」第1章に基づき彫琢されたいわゆる「全称肯定命題(S-P)」である。

しかしながら現代の聖書学の常識は、「コロサイ」書簡自体をパウロの真筆とは認めていない。簡単に言い切ってしまうと、パウロの威を借りた後代の手による「コロサイ」書簡の叙述を、さらにその後の動乱のさなか誰とは知らぬ誰かによって「命題」という金型(かながた)に流し込み整形され、そうして殊勝にも今の世まで生き延びてきたものである。

もちろん、火のないところに煙は出ない。

その火種が、真筆と鑑定された「ロマ」書(12. 4-8)であり「コリント」前書(12. 12-31)であったのだ。「コロサイ」書簡ならびにその叙述の「命題」化は、時代の切迫が要請したいわばフライングとも考えられる。分からないではないが、フライングはいかなる競技・レースと言えども、この人の世ではやはり違反であり失格と判定される。それが黙過されてきた。キリスト教と癒着した西欧の思想・哲学・文化・文明・歴史・伝統とは、そういった類(たぐい)の数えきれぬ不条理の堆積のことにほかならない。西欧人を至福と絶望に引き裂く、それが根源的な要因なのである。

2014/01/13

色褪せぬ憂鬱(1)ボードレール

[キリスト教] ブログ村キーワード
[精神] ブログ村キーワード
Baudelaire
芸術家の名がカラスのような世評に食い尽くされるのは、おそらくモイラの嫉妬であろう。

そのような芸術家に限って、作品とその履歴とのあいだの不整合がひときわ目立っていたりするものだ。皆様方よくご存知シャルル=ピエール・ボードレール(1821-1867)も、そのうちのひとりに数えられよう。履歴をご覧になって、嫌いになった、と言われる方々もなかにはおられるかもしれない。

とまれ、いつの世もあって今もあり、したがってこれからもあるであろう「こころ」の仕草の不思議に関しては、まさに万華鏡の如く煌(きら)めく永遠というほかはなく、人種の差を超え好き嫌いを超えて、思わず視線を向けてみたい耳をそばだててみたい、そんな衝動にかられる一節または一連というものも、この世界にはたしかにある。皆様方はいかがであろうか。

2014/01/11

われわれはうまくいってるのかね?

[パーキンソン病] ブログ村キーワード
自分の写真時を折り、まるで外国語を直訳したかのようなぎこちなさでそう尋ねるドクター。少年の頃からなにかと病気がちなわたしが望んできたのは、そのような医師であった。

診察室に入るや、

「どうかね、われわれの関係は?」

と問われれば、患者であるわたしはきっと天を仰ぎ、OH MY SOUL!コノ医師ニ幸多カランコトヲ!と叫ぶであろう。いや、もしかして突然に泣きじゃくるかもしれない。

治る見込みが少なければ少ないほど、いや見込みなど全くないとわかればなおさらに、この「問いかけ」に束ねられた患者へのメッセージは強化されるはずだ。その内容は次のようなものになろうか。。。

2014/01/09

失敗した「受肉」

自分の写真残念ながらこの島国のプロテスタンティズムの先導者たちは、「インカルチュレーション」という主題についてあまり多くを語らない。

あれよあれよのうちに、今や空恐ろしいほどの数に分裂してしまった教派・教団傘下(さんか)の、またこれ色とりどりに乱舞して止まぬ諸教会の、そのまた会員であられる一般信徒方々が、この言葉の意味はもちろん言葉自体を知らなかったとしても,おかしくもなんともない。教会に通わない受洗者であるわたしが言うのもなんだが、生活の糧のほとんどを信徒の献金に負っていること、そのことを微塵も疑ったことのないちょっとお洒落だが金銭感覚の完全に麻痺した拘禁症候群気味のオーガナイザーたちに、やはりその責任はある。

2014/01/08

対話篇

自己制御を放棄した人たちは、
それ自身不正ではないが、不正を行う
(アリストテレス『ニコマコス倫理学』高田三郎訳)

(とある街中でばったり会うふたり)

おやY君、どうかした?浮かない顔して。

―あぁ、X君。

悩み事?

2014/01/07

舌の裏が痛~っい!

自分の写真アッチャァ、なんたること。

ほっぺたの裏ではなく舌の右側真裏あたりに、直径5ミリほどの白みがかったものが出来ているではないか。

痛い、ってもんじゃない。

それとは知らず押しピンを踏んづけてしまった時のウッ!ッ!ッ!という感じ。そのあと言葉がまったく続かない、そうだ、まさに「あの」時の感じとよく似ている。しかも痛むタイミングがまったく分からないこの不気味さはなんだ?

痛みが走るたびに、ギョエッ!という感じはもちろん、そのつどの痛みに意識がいつも追い抜かれてしまっているような、じつに奇怪な屈辱感さえ感じるのだ。

ああ、なぜゆえ???

2014/01/06

Release yourself from the Credo!

Mr. An...how do you consider the serious situation of Japan Protestantism from phenomenological viewpoint?

自分の写真
著者An
An;
You know, the westernized mindset compels people to consider a problematical situation a starting point of discussion. As contrasted with it, Phenomenology sticks to the facticity that all things are over when matters appear to the surface. It is because a circumstance in question is not a starting point but a goal line for phenomenology. If once anybody regards a problem as a starting point, he and she will automatically transform the problem into object for their own cognition, which is the 2-dimensional representation set up by conciseness. It follows they are starting to discuss with each after having gone away from the problem itself. But the problem itself, you know, is now happening in the midst of the 3-dimensional world. So it is not likely they will be able to solve the problem by such a westernized mindset. I think this is one of factors that make many discussions over Japan Christianity go around in circles.

2014/01/05

憂鬱な通院

明日から、新たな年の通院の日々がはじまる。

歳末にわんさともらった薬はどれもこれも四週間分。ほとんど服用した。
わたしなどまだ少ない方かもしれないが、それでも劇薬含めかなりの量である。

便通もとうとう十日に一回。信じられないことが、当たり前になってきた。日を追うごとに食欲がなくなる。訴えると、下剤につぐ下剤。。。現代医学には、デリカシーというものがまったくない。脳味噌が絞られるようだ、と訴えると今度は鎮痛剤。血気盛んな頃のわたしなら、主治医をはり倒していたかもしれない。

2014/01/04

ニーチェ箴言散策集・私家版 (15)

ニーチェ箴言散策集
Friedrich Nietzsche
『ニーチェ箴言散策集』(2008.02起稿 2008.07脱稿 Mr. Anonymous)


130節から134節までをどうぞ。。。


原文・翻訳からの引用は、「報道、批評、研究目的での引用を保護する著作権法第32条」に基づくものです。ドイツ語原文は、"RECLAMS UNIVERSAL-BIBLIOTHEK Nr.7114"、日本語訳は、木場深定氏の訳に、それぞれ依ります。

2014/01/03

信仰者の浮遊感

自分の写真
著者An
キリスト教、思想、哲学、現象学、神学、聖書、病気、パーキンソン病、メンタルヘルス、パニック障害、自殺等をキーワードにしたキリスト者であるわたしが言うのもなんだが。。。(あぁ、長ったらしいこと!努力努力、フ~っ)

生の臨界点をこれみよがしに貪り尽くし、そして過ぎると、同じ生の対極にある臨界点に遺棄されて、しかもあろうことか今度は怯えながら生のみあらんことを殊勝に願う、そんな愚かでばかばかしいとしか言いようのない振幅を縦にも横にも飽きずに反復させてきたもの、それが宗教という名の見えそで見えぬ怪物ではなかったのだろうか。

「旧約聖書」が血なまぐさいのは、おそらくその飽くことなき反復のためであろう。

2014/01/01

来る年2014年。。。


☆来る年◆◆◆◆◆◆◆◆
◆2014年の命に信頼!
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
読者の皆様
新年あけまして
おめでとうございます。

一年ぶりに
歌っちゃいました♪もう音程ガタガタ。。。
しかもかなりのノイズ。ご辛抱ください。

「時間よ止まれ 矢沢永吉」のカバー。

ブログ「十字架の現象学」
本年もよろしく!です。

★原楽曲著作権のすべては作詩家・作曲家・歌手それぞれに帰属します。