2014/01/17

>>>神学<<<が崩落する時

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Heidegger Forum
電子ジャーナル部分
教勢の衰え?リバイバルへの虚ろな熱狂?古色蒼然たる無神論対有神論?正統に異端?

そんなこと、ほんとうはどうだっていいのだ。

この二十一世紀、いったいキリスト教の何がコアな問題だと言うのであろうか。

その最も過敏な部位に触れたじつに勇敢な論稿のひとつが、ここにある。



『〈形而上学に入り来った神〉もしくは〈形而上学から退去する神〉?――ハイデガーの「存在の思索」とエックハルトの根本テーゼ「存在は神である」』長町裕司(上智大学) ;'Heidegger-Forum', vol.4.2010.
ハイデガーに寄り添う者ならではのタイトルだ(注)

(注)論文全容(PDF 689.53KB)はこちらから閲覧可 詳細はHeidegger-Forum in Japan

タイトルを見た瞬間、氏がこれから何を試みようとされるのか、わたしには察知できた。読み了え、ナルホド、と思った。優れたハイデガー研究者の精密かつ慎重な筆運びから溢れる熱きまことのほうが、先にわたしには伝わってきた。期せずして、日本のプロテスタンティズム指導者層の想像以上の腐敗堕落、その極め尽くした教条主義の淵源をも暴露してしまうその容量の程と射程に、わたしはとても深い感銘を覚えた。

細部に立ち入ると思いをいささか異にする点こそあれ、所詮わたしは素人。氏の論考の照準をまるごと修正するほどのものではない。不定未来における御「論文」のもつ意義たるやまことに大なり、という印象のほうがはるかに勝っていた。

さて氏の論考の概略を素描しながら、わたしの個人的な印象のいくつかを以下手短に述べてみたい。教会の日本的現状を憂いておられる方々の分散した思いのひとつひとつが、やがてはそこに収斂(しゅうれん)するであろう見晴らしの良い「丘陵」への、せめてもの道標のひとつにでもなればと思う。

「論文」の目次構成は一見すると弁証法に基づく組み立てのようであるが、じつはそうではない。喩えて申し上げると、「上りの電車」と「下りの電車」、または「下りの電車」と「上りの電車」とがたまさかにすれ違うその際の衝撃や戸惑いを、それぞれが陣取った因果の座席にではなく、列車と列車のまさに間隙において乗客に「体感」させる、その可能性を開かんとして設けられたデヴァイスであることが読後分かるよう仕掛けられたもの、と言いことができる。これまたハイデガーに寄り添う者らしいご配慮である。

「論文」の目途について氏は冒頭、次のように叙述されている。
〈形而上学に入り来った神〉か〈形而上学から退去する神〉かという二者択一的問題設定自体が問うに値する(fragwürdig)事態となる思惟の圏域へとその軌道は通路を開こうとしている。
「二者択一的問題設定自体」(下線An)の内破を、勇敢にも予告されている。

目次構成の(1)1.3において氏は、1930/1931に行われたハイデガーの冬学期講義『ヘーゲルの精神現象学』に触れられ、その思惟の居場所を次のように鮮やかに読み取られた。
「存在への問い」がプラトン/アリストテレス以来の存在論的伝統において―たとえ概念的には即応して展開されていなくとも―〈存在(者)‐神‐論的(onto-theo-logisch)〉であったと述べると共に、デカルトに端を発しヘーゲルにおいて終極するこの形而上学の伝統は「存在‐ 神‐ 自我‐ 論的(onto-theo-ego-logisch)」体系として展開され、実体性から解き明かされる事象自体(=精神Geist)の現象化(外化Entãsserung)を主題とする存在論と絶対者である精神自身の自己還帰(内化Erinnerung)の運動を視点とする神学が知の自己関係を成立・生成せしめる自我主体(精神)の媒介過程によって完結するに至ることを見て取っている・・・後略。(下線An)
要は、長期にわたる「存在論」と「神論(神学))」との外観的な対峙は、同じ血(自我主体(精神)の媒介過程)を分けたただの兄弟喧嘩にすぎなかった、ということである。

そして氏は(1)1.4のなかで、ハイデガーが追跡しえたこの「形而上学の存在神論的体制(Die onto-theo-logische Verfassung der Metaphysik)」への「問いかけ」を通じ現象(開示)した問題を、慎重に指摘される。
西洋の哲学的伝統と神を巡っての学的言明のあり方(即ち、神学)に決定的な刻印を与え近代に至ってもその影響作用史を形成してきた形而上学が、その(存在‐神‐論という)ニヒリズム的本質体制の明るみ化によって最内奥から動揺せしめられるに至った存在史の状況において、「神の問い」の在り処の所在究明(Erörterung)もその内に帰属してくる思惟こそが問題なのである。
この「思惟」について氏は、ハイデガーの次の箇所を引用されている。
「キリスト教信仰の神学であれ哲学の神学であれ、神学というものをそれが生じ来たった由来から経験した者は、思惟することの領域において神について沈黙することを今日においては選び愛好する。と言うのは、形而上学の存在‐神‐論的性格が思惟にとって問うに値する(fragwürdig)ものとなったからであるが、それは何らかの無神論に基づくものではなく、存在‐神‐論においては未だ思惟されることのなかった形而上学の本質の統一が自らを示すようになった思惟の経験からなのである('Die onto-theo-logische Verfassung der Metaphysik',S.63;Martin Heidegger Gesamtausgabe, Vittorio Klostermann Verlag, Frankfurt a. M. 1975 ff)」
この箇所でなければならないという事情はまったくないのだが、それにしてもデモーニッシュな叙述である。「問い」続けると死んだはずの親が「顕れてくる」のであるから。。。そこがお分かりいただければ、ハイデガー入門編は終了する。

ここで氏は、目次構成(2)に突入される。氏にとっては大きなご決断であったろう。

「出エジプト記」3章14節を註解したエックハルト(1260?-1328?)の基盤テーゼ ' Esse est Deus '(存在[ある]は神である:[ ]内An)への突入、がそれである。

精巧な思惟のフーガとでも言うべきあのヘーゲル(1770-1831)の筆をもいとも簡単に弾き返したほどの境域に、「出エジプト記」3章14節自体を介してエックハルトはまさに屹立したのである(『エンチュクロペディー』第一部有論 87参照)。

長町氏は、基盤テーゼ ' Esse est Deus '(存在[ある]は神である)を次のように解釈された。
存在(者)神論(Onto-theo-logie)の伝統的な問題構制が形而上学の本質体制と同一視されてしまうことに対して、エックハルトにおいては神‐存在論的(theo-onto-logisch)な視点が形而上学の思惟の前提地盤となり、その全射程幅の内に形而上学的連関が開明される場所を包摂するのである。・・・中略・・・。主語に立てられる ' Esse ' はギリシャ哲学における形而上学の思惟に由来する主題化を経由して思惟を呼び求めるのに対し、述語に位置する ' Deus ' はヘブライ的‐キリスト教的伝承に由来する内実においてであり、全く相異なる伝統を背景としている。(下線An)
エックハルトの安全地帯とは必ずしも言えない秘所のまぢかまで、長町氏は近づいておられる。

そのことに皆様方が気づかれ、また「戦慄」されるかどうか。

そして氏は以下のように解釈を統合され、目次構成(2)から身を引かれる。

' Esse ' は、それ自体実体的に(ut verbum substantivum)機能する内実として、その本来の在り処である ' Deus ' の意味内容として理解されない限り、Esse の本来の意味内実を喪失し、(即ち、Deus から切り離されてDeus から外化されたものとして)無nihil に落ち込むことになる。この基盤テーゼにおけるコプラとしての ' est ' は、' Esse ' から始動する思惟より歩み出て ' Deus ' の固有の次元へと入り来たり、再び ' Esse ' の本来の意味内実の開示へ帰り来る、その生起の通路となる蝶番として作動する。

氏は、前半部を憂いておられる。わたしも、まことにそう憂う者のひとりである。後半部は、「解釈学的循環」(ハイデガー)による氏のエックハルト解釈である。

敷衍させていただくと、「蝶番」としての ' est ' は、ほかならぬエックハルト自身であった、ということである。これは一種の「供犠」である。

さあいよいよハイデガーとエックハルトとの一期一会の交差域に再突入、ということになるのだが、氏は目次構成(3)において次のように叙述された。
エックハルトに見出せる以上のような〈無〉の理解とその思索に固有な徹底性に対して、ハイデガーの〈存在の思惟における無の現象の語り〉がどのように拮抗し或いは絡まりあうのか?・・・中略・・・。ハイデガーの思惟の歩みにおける無の問題の所在を究明してゆくことは、しかしながら今回の発表ではもはや取り組む余地がない。
これは、氏の逃げ口上ではない。

「余地がない」どころか、エックハルトとハイデガーの交差域は、もうじゅうぶん氏の「論文」において現象している、とわたしは感じる。再突入は、危険である。みずからの心「体験」から、わたしはそう思う。

氏はご自身の「論文」を、「或る若き学生への手紙」(1950)と題するハイデガーの次の文章で締めくくられた。
神及び神的なるものの欠如(Der Fehl Gottes und des Göttlichen)は、不在(Abwesenheit)である。然るに不在とは何も無いことなのではなく(nicht nichts)、正に初めて自らのものとすべき既在的なるものの覆蔵された横溢の現前(die gerade erst anzueignende Anwesenheit der verborgenen Fülle desGewesenen)なのであって、そのようにギリシャ精神、預言者的‐ユダヤ的なるもの、イエスの説教における神的なるものが本質現成すること〔Wesenden 本質を発揮するもの〕を取り集めるのである。このような〈もはやないNicht-mehr〉は、それ自体においてその汲み尽くし得ない本質〔現成〕の覆い隠された到来の〈未だないNoch-nicht〉なのである。
『存在と時間』(1926年脱稿)以後の哲学界の無関心・ナチス入党等。。。疎外と非難のなかを生きたハイデガー精神の、これが達した境地である。

よくご覧いただきたい。

「ギリシャ精神、預言者的‐ユダヤ的なるもの、イエスの説教における神的なるもの」に対する価値判断一切を、ハイデガーは保留にしている。なぜか。。。

保留(エポケー)しなければ、「何も無いことなのではな」い「〈もはやないNicht-mehr〉」は現象しなかったからである。したがって、「ギリシャ精神、預言者的‐ユダヤ的なるもの、イエスの説教における神的なるもの」というハイデガーの叙述は、形而上学の種概念・類概念を踏襲したものではまったくなく、「〈もはやないNicht-mehr〉」が時熟を促したその派生態なのである。

その意味から申し上げれば、「〈もはやないNicht-mehr〉」を「力」と呼んでもおかしくはない。

『存在と時間』のなかですでにハイデガーは、私たち人間(現存在)みずからでは如何ともしがたい、しかし紛うことなき存在根拠でもある「被投性」につき次のようにも語っていたのである。
根拠であるということは、最も固有な存在をけっして根底から支配する力をもっているのでは非ざるものであるということにほかならない。(第五十八節 渡辺二郎訳)
このことへの気づき、このことへの驚き、このことへの戦慄。

それらを促すおどろおどろしき雷鳴の如き「体験」を通して、「〈もはやないNicht-mehr〉」の境域がその人に姿を垣間見せ、その人を回心させ、さらにその人の「証し」を実らせて、時には「力」となり多くの人を立ち上がらせ、またある時には「働き」となり多くの人を輝かせることにも繋がるのであろう。

イエスの原-体験第一等の痕跡は、マルコ「福音書」1. 10-11であるが、その箇所が、上掲した意味での「〈もはやないNicht-mehr〉」すなわち「出エジプト記」3. 14と星座的布置をなし点滅するよう描写されていたことを疑うのはむつかしい。神にその名を尋ねたモーセは神であったか。いや神を畏れる人間として描かれている。ならイエスはどうか。子供でも分かる質問ではないか。いついかなるときでも豊かにみずからを証ししては父なる神への「信」を表明し、ついには' est ' に下落し磔刑を受容した人間イエスである。そう教えていれば、教会学校もこれほどの壊滅を体験しなくて済んだものを。

そのイエス「の」信仰に学び、そのイエス「の」信仰をなお追跡し、そしてそのイエス「の」信仰に倣う方域において、信仰共同体を改めて総括し大きく編成し直さなければならない日は、もはや通り過ぎてしまったのではないかとすらわたしは感じることがある。それは、奇しくも今春(2014年)西部邁氏が語った「もはやこれまで!」と同じ心境であることを意味する。

(本記事は2011.02.24当時のものを若干縮小改編したものである)
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