2012/11/18

私家版・ニーチェ箴言散策集 (3)

ニーチェ箴言散策集
Friedrich Nietzsche
『ニーチェ箴言散策集』(2008.02起稿 2008.07脱稿 Mr. Anonymous)


70節から74節までをどうぞ。。。


原文・翻訳からの引用は、「報道、批評、研究目的での引用を保護する著作権法第32条」に基づくものです。ドイツ語原文は、"RECLAMS UNIVERSAL-BIBLIOTHEK Nr.7114"、日本語訳は、木場深定氏の訳に、それぞれ依ります。

)))070節(((
Hat man Charakter, so hat man auch sein typisches Erlebniss, das immer Wiederkommt.
性格を有する者は、繰り返し現われる自分の典型的な体験をももつ。
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昔風に言えば、「三児(みつご)の魂百まで」。

今めかしく言わば、「嗜癖(しへき アディクション)」。

箴言としては、「性格」と「体験」との絶対的な先後関係を押し出すことを通して、「典型的な(特徴的な)体験」が「繰り返し現われる」ことの必然を、描出したものだと思われます。


凡そ、「性格」を有しない、という者はいませんので、「性格」自体は無規定的には見えますが、すでに内在化され、特定化された「性格」、と考えるほうが自然でしょう。

『精神医学事典』(弘文堂 1981年版)には、「性格」がギリシア語由来であることが記されており、元は、「刻みこまれたもの」「彫りつけられたもの」を意味していたことが、指摘されています。


ニーチェの後期の思索のひとつに、「永劫回帰」、というものがありますが、箴言としての出来映えから判断して、その思索の核心を仄めかそうとするほどの大きな意図は、窺えません。ただ、そのデッサンであった可能性は、感じられます。


「永劫回帰」の解釈には、ハイデガーを含め、じつにさまざまなものがあり、実のところ、今もって定まってはいないのが現状です。

たとえば精神医学者の木村敏氏などは、「既視」(デジャヴ)の観点から、次のような理解を示されています。
生成が自己自身を存在として「刻印」し、限定するとき、もしそこになんらかの「ミスプリント」が生じたならば、そこで経験される対象としての存在は、たちまち時間的に宙に浮いたものとならざるをえない。・・・中略・・・。多くの人にとってこの事態は、記憶の中で時点を確定できない過去の再現として、つまり「既視」の体験として意識されることになるのだろう。ただニーチェのごとき人の構想力のみが、これに「永遠回帰」という「思想」を与ええたのに違いない。(『偶然性の精神病理』第二章第四節 岩波現代文庫)
『生成が自己自身を存在として「刻印」し、限定するとき』とは、自己あるいは他者あるいは世界が、自明なものとして安定的に捉えられている状態、というものを指示された表現だと思われます。

その対象限定の過程の中で、どのようにして「ミスプリント」が生じるのかの機序については、触れられていません。


ニーチェ自身は、ツァラトゥストラを通じて、次のように語らせています。
この瞬間という門から、一つの長い永劫の道がうしろに向かって走っている。すなわち、われわれのうしろには一つの永劫があるのだ。
すべて歩むことのできるものは、すでにこの道を歩んだことがあるのではないか。すべて起こりうることは、すでに一度起こったことがあるのではないか、なされたことがあるのではないか、この道を通り過ぎたことがあるのではないか。
そして一切がすでにあったことがあるのなら、侏儒よ、おまええはこの瞬間をどう考えるか。瞬間というこの門もすでに――あったことがあるにちがいないのではないか。
そしてすべてのことは互いにかたく結び合わされているのではないか。したがって、この瞬間は来たるべきすべてのことをうしろに従えているのではないか。だから――この瞬間自身をもうしろに従えているのではないか。
なぜなら、歩むことのできるものはすべて、前方へと延びるこちらの道をも――もう一度歩むにちがいないのだから。(第三部「幻影と謎」より 手塚富雄訳 一部傍点あり)
訳注を見るかぎり、訳者ご自身も、「既視」体験と捉えられているようです(「幻影と謎」2の注(1))。


実はわたしにも、「既視」体験があります。

わたしの場合は、見知らぬ街中を歩いている時、特に、路地裏や横道に何気なく逸(そ)れた時などに、「アレ、ココハ一度キタコトガアルヨナア・・・」、と感じるタイプのものですが、その寸前に、アウラ(前兆)のようなもの、変な話ですが、懐かしさのかおりや匂いなどにわたしは包まれます。場合によっては、胸がすこししめつけられるような感じがすることも、あります。

「アレ、ココハ一度キタコトガアルヨナア・・・」と呟くように確認しているのは、その後の状態にすぎません。


上述のツァラトゥストラの「語り」のあと、ツァラトゥストラは自らを振り返って、次のように内省しています。

わたしはわたし自身の思い、そしてその底にひそむ思いに恐怖の念をいだいた。(同書)

「わたし自身の思い」とは、「侏儒(しゅじゅ)」に語った内容です。

しかし、恐怖の念を抱かさせた「その底にひそむ思い」は、上述の内容それ自体ではありません。おそらくこれが、「永劫回帰」の思索が開示する寸前の層において、ニーチェを襲撃したであろうアウラ(前兆)の間接的な表現ではなかったか、とわたしは自らの体験に照らし思っています。

「既視」体験の場にいたわたしを他者に代替させると、その他者にも同じ「既視」体験が起こる、と考えるのは困難です。その意味で「既視」体験は、固有性の高い、したがってきわめて実存的な体験だ、とも言えます。

そして、「既視」体験自体は偶然ではなく、わたしたち一人ひとりの存在の期間(人生)に「刻みこまれたもの」「彫りつけられたもの」の様態や秩序の特異性が、自らを追認せざるをえなくなる、そのような存在論的な突発「事故」が生じた時に、起こるのではないか、と思っています。


たとえば、ショウウィンドウの中に陳列されていた商品を見ていたはずなのに、ふと、そのガラスに映っている自分の表情に気づいた瞬間など。

その時には誰もが、「思わぬ驚き」を感じるでしょう。そしてその直後に、「ナ~ンダ、ワタシカァ・・・」と安堵するでしょう。

このような存在論的な突発「事故」が生じた時、それぞれがどのように反応するかは、ひとえに、存在(人生)に「刻みこまれたもの」「彫りつけられたもの」の様態や秩序の特異性によります。そこに特別な変容がないかぎりは、常にその人がこれまで示してきたように反応するでしょうし、今後もそうでしょう。そして今のこの瞬間もまた、そのようになるでしょう。


上掲のニーチェの箴言を広く解してみますと、「既視」体験前の、むしろ人間存在に「刻みこまれたもの」「彫りつけられたもの」の様態や秩序にこそ、焦点を定めようとしていたのかもしれません。


なお、「確率」論として「永遠(永劫)回帰」を捉えられ、「エントロピーの法則」を無視したニーチェの限界を指摘される三島憲一氏のご見解には(『ニーチェ』第八章第三節 岩波新書)、学ぶところ大なるものがありましたが、存在論的な観点からは、わたしの抱く印象とはすこし違うかな、と感じました。。。紹介旁。

(2008年07月15日 記)

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)))071節(((
Der Weise als Astronom. - So lange du noch die Sterne fühlst als ein 》Über-dir《, fehlt dir noch der Blick des Erkennenden.
天文学者としての賢者。――君がなお星辰を「君の上なる」ものとして感じているかぎり、君にはまだ認識者の眼が欠けている。(一部傍点あり)
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頭では地動説を理解しながら、心ではなお天動説を信じている、といった認識の不充分さ・不完全さを指摘した、と言ってしまえば、それまでなのですが。。。

冒頭の「天文学者としての賢者」が、少々不気味ですネ。


ニーチェは、科学者(客観的人間)に賛同しているわけではないのですが、他節をご覧になられるとお分かりのように、いわゆる「独断的な哲学者(形而上学者」)」に投擲(とうてき)されています徹底した認識論批判から見れば、幾許かの評価は下しているようにも感じられます。

実際、本書全体のなかには、次のような箇所があります。
客観的人間は一個の道具であり、一つの高価な、毀れ易い、そして曇り易い計量器であり、芸術品的な鏡であって、大切にされ、尊重さるべきものである。(『善悪の彼岸』第六章)
毒舌ではありますが、この箇所だけを読みますと、科学者に対し一定の評価は下されている、と言えるでしょう。

ところが直後、ニーチェは、こんなふうにも語っています。
彼は何らの目標でも、何らの出口や上り口でもなく、爾余の生存がそこにその存在理由を見いだすようないかなる補足的人間でもなければ、いかなる結論でもなく――まして端初でもなく、産出や第一原因でもなく、支配者になろうとする強健な、力強い、自体的な存在でもない。(同書 一部傍点あり)
要は、外界をただ映す「鏡」にすぎないのだ、ということなのでしょう。なんとも辛辣な評価ではあります。


ただ、上掲箴言中の「君」が、「天文学者としての賢者」自体を指していたとしますと、事情は少し異なってきます。

『ツァラトゥストラ(はかく語りき)』の第一部「ツァラトゥストラの序説」に、「認識者」に対する次のような「語り」があります。
わたしは愛する。認識しようとして生きる者、いつの日か超人が生れ出るために認識しようとする者を。そういう者がおのれの没落を欲するのだ。(手塚富雄訳)
「超人」への理解は、通常の「認識」がいかに不完全なのもであるかを知り、また、「おのれの没落を欲する」、つまりは、その不完全な「認識」を「供犠(くぎ)」する決意によって、はじめて可能になるのだ、といった意味合いだと思われます。

それでは、不完全な「認識」を「供犠」して得られる、「超人」の裸像とは、いかなるものでしょうか。

ツァラトゥストラは語ります。
感覚と精神は、道具であり、玩具なのだ。それらの背後になお「本来のおのれ」があるこの「本然のおのれ」は、感覚の目をもってもたずねる、精神の耳をもっても聞くのである。(同書第一部「ツァラトゥストラの言説」の「肉体の侮蔑者」)
この「本来のおのれ」「本然のおのれ」こそ、存在者を存在者たらしめている当のもの(存在)なのである、ということではないでしょうか。


したがって、以上のような意味合いを秘めたうえで、『「君の上なる」ものとして感じているかぎり、君にはまだ認識者の眼が欠けている』、と描写した可能性も捨てきれません。

真理ハ星辰ノホウニハナインダヨ、ドコヲ見テルノカネ?君ノ認識、ホントニ大丈夫ナノ?

こんな感じでしょうか。。。

前半部の解釈とは、また少し趣が違いますよね。

(2008年07月14日 記)

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)))072節(((
Nicht die Stärke, sondern die Dauer der hohen Empfindung macht die hohen Menschen.
高い感覚の強さではなく、むしろその持続が高い人間を作る。
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この箴言の「感覚」には、<die Emphindung エンプフィンドゥング>という語が使用されています。


「強さ」ではなく、「高い(高さ)」が求められた「感覚」の中味がまずは問題になりますが、五感のように局在化された感覚であるならば、<der Sinn ズィン>という語が、使用されていたはず。しかし、今指摘しましたように、原文ではご覧のようにそのようになってはいません。(参考:<der Sinn ズィン>の詳細は134節)

そこで箴言の「感覚」を。。。

内・外部的な刺激に対する第一義的で原発的な体験、つまりは、「感性」に近いものとして、了解してみることにします。

そうしますと「高い感覚」も、「高い感性」となり、いくぶんかは対処しやすくもなります。「強さ」ではない、ということですので、「研ぎ澄まされた感性」、程度で対応することもできるでしょう。

それを「持続」することが、これまた、「研ぎ澄まされた人間を作る」、ということなのですが。。。


ここからは、おもいっきり迂回してみましょう。

脳神経系のお話へ、イザ!(以下は、脳生理学者、時実利彦著『人間であること』の各章を参照)


ご承知のように、わたしたちの生命現象を司る「脳」は、
  1. 脳幹・脊髄系・・・筋肉反射、分泌調節など
  2. 大脳辺縁系(古皮質・旧皮質)・・・本能、情動など
  3. 新皮質系・・・適応、創造行為など 
に属する「神経」細胞間の絶妙な連携と和合・統合とによって、機能しています。

人間が、他の動物と決定的に異なります点は、「脳」構造の最も外側に位置します3の「新皮質系」、これの異様なまでの進化にあります。

その「新皮質系」の「脳」を側面から眺めますと、ほぼ中央あたりを縦に、「中心溝」という「溝」が走っています。その「中心溝」を基準にしてさらに、次のような部位に分かれており、それぞれに課せられた重要な役割を担うようになっています。
  1. 前頭葉
    • 前頭連合野・・・意志、思考(判断・推理)、創造、情操全般など
    • 運動野・・・筋肉運動、運動の指令順位など
  2. 側頭葉・・・おもに記憶
  3. 頭頂葉/後頭葉
    • 頭頂・後頭連合野・・・(感覚受容に基づく)知覚、理解、認識など
わたしたちにとって大切な「ことば」に関する神経系統ですが、これは主にわたしたちの左の大脳半球に偏(かたよ)りながら、これらABCの全領域をカバーするように、はりめぐらされています。


さて、ここからはわたし自身の体験ですが。。。

学生諸君を指導していた若い頃、受験までの約十ヶ月ものあいだ、彼らをうまく牽引し、良い結果を招来させるための指導に、とても苦労した時期がありました。

頭頂・後頭連合野や前頭連合野をフルに稼働させましても、なかなかいい知恵やアイデアが浮かびません。学生たちが一人ふたりと離れていくにつれ、焦りが昂じ、次第に寝つきが悪くなって、酒量も増えてきました。

そうしたある夜、寝酒の量がすでに限度を超えていたのか、逆に今度は、眠れなくなりました。とそのうち、意識朦朧とした暗闇の中で、なにかが閃光のようにして、瞬いては消える、そんな奇怪な出来事を寝床で体験するようになりました。

最初は気づいてはいなかったのですが、酒量が限度を超えると、必ず闇の中の寝床で、そのような閃光が瞬きます。

それ以来わたしは、枕元にメモ帖を置き、閃光が瞬いた時に、文字でも絵でもなんでも、書きなぐってから、眠るようにしました。

翌朝、そのメモ書きを見てみますと、何が書いてあるのか、さっぱり分かりません。

それでもメモ書きだけは、実行していました。


そんなある日、ある程度たまったメモ書きをめくっては眺めているうちに、もしかして。。。メモ書きをしている時の感覚反応や意識や認識や推理や判断などの作動速度が、今それを眺めている素面の自分のものと、質的に違うのではないか、という思いに至りました。そこでデスクに置いてあったバーボンをがぶり。

しばらくたちますと、やはり思ったとおりの出来事が起きました。

わけのわからないメモ書きの一枚一枚が繋がりはじめ、物語を紡ぎ、知恵やアイデアの全貌となって、わたしの眼前にその姿を現わし出しました。

「コレヤ!」

と気づいたときにはもう、酩酊一歩前の状態でした。酔っ払いの戯言(たわごと)、と言われても仕方がない状態ではあります。

しかし以後のわたしの講義が、そのメモ書きのお陰で激変したのも、また事実です。

ところで。。。

酒類にはアルコール、いわゆるエタノールが混入されています。エタノールは、「脳」の中枢神経系」に直接作用を及ぼす鎮静薬・麻酔薬の一種です。

DSM(アメリカ精神医学界による診断基準)やWHO(世界保健機関)の基準やICD(国際疾病分類)などでは、依存・乱用・中毒・退薬(禁断症状)の有無の観点から、アルコールを、アンフェタミン(覚せい剤)、コカイン、アヘン類などと同程度のレベルにおいて分類しています。(この段、宮里勝政著『薬物依存』岩波新書参照)


箴言への疑問から、「脳」の構造に迂回し、わたしの体験を挿入しましたのは、箴言中にあります、「感覚の強さ」、をニーチェが否定している点に、わたしの関心が引き留められたからでもあります。「強さ」ではなく「持続」を推奨しているニーチェの判断には、極めて適切で正しいものがあります。

わたしの場合は、エタノールの作用により新皮質系の中枢神経が麻痺し、理性による制御が効かなくなったそのぶんだけ、大脳辺縁系(古皮質・旧皮質)に秘められた原始的な本能や情動が活発化し、強化された結果、閃光の瞬きを啓示と勘違いし、偶然、功を奏しただけにすぎない結果を、自己の才の開花だと、思い込んでいただけなのでしょう。

酒精は、わたしを精神病棟に措置入院させただけでなく、その後、専門の更正施設に身を委ねなければ回復しなくなるほどまで、わたしの人生を激しく大きく狂わせましたが、「高い感覚」を持っていなくても、「高い人間」になっている方々がたくさんおられることに、断酒して十年(2008年現在)が経ち、ようやく気がつきはじめています。完全断酒から数えて十歳、といえば、まだ小学校五年生くらいの認知力ですネ(苦笑)。「愚か」とは、無知を指すことばではなく、気がつかない(否認しようのないことを頑として否認する)ことです。


ニーチェは「高い感覚」を求めました。

おそらくそれは、真理というものが、この宇宙の果てに「ある」のではなく、わたしたち一人ひとりに任された存在の根源に「ある」ことを感知する、その省察的な「感覚」を呼称したもので、それを感知し続けることこそが、より「高い人間」に近づく唯一の道であることを、示唆しようとしたのではないか、と思ってはいます。

もともと酒類など、必要なかったのです。たばこには厳しい国ではありますが。。。

(2008年07月14日 記)

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)))073節(((
Wer sein Ideal erreicht, kommt eben damit über dasselbe hinaus.
自分の理想を達成する者は、まさにこのことによってその理想を超出する。
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主題は「理想」ではありません。むしろそれは、反主題です。

ニーチェの立場からは、「達成」し「超出する」ものこそが、「主題」とならなければならないでしょう。


とある「理想」を達成しようとして、その「理想」に向うのは、その「理想」に魅了され、制約されているからに他なりません。その意味においては、その「理想」は、目的因です。

アリストテレスの『形而上学』第五巻第ニ章には、次のように記されています。
物事の終り、すなわち物事がそれのためにであるそれ[目的]をも原因と言う。(出隆訳 岩波文庫版 一部傍点あり)
「目的因」の定義の初出は、第一巻第三章ですが、まったく同じ内容のものです。


とある「理想」に魅了され、それによって行為の質や量や方位などが制約されていたなら、その「理想」が達成されれば、制約されていた行為の質や量や方位などは、推論としては、その制約一切から解き放たれることになるはずです。

ところが箴言には、「まさにこのことによってその理想を超出する」、と書かれています。

原文どおりに逐語訳をしてみますと、「(まさにこのことによって)当のもの(理想)を通って外へやって来る<…,kommt eben damit über dasselbe hinaus.>」、となります。

ここに、読み手を立ち止まらせる、あるいは読み手の「問いかけ」を誘う、箴言特有の亀裂が入っています。


下世話な話で恐縮しますが、仮に百万円の貯蓄を理想とする「者」がいたとしましょう。そして、その百万円の貯蓄が達成できました。

問題は、その次です。「その理想を超出する」とは、さらに貯蓄を望む、ということでしょうか?

それでは、ただの「貪欲」です。

そうではなく、「百万円の貯蓄」をそのままにして、何か(X)が、その「理想」とは異なる時空間に移動した、ということです。

アリストテレスは、この(X)を「不動の動者(神)」と考えました。その意味では、アリストテレスもプラトニズムです。


しかしニーチェは、「神は死んだ」(「ツァラトゥストラの序説」3より)、と言います。

ここに、みずからの存在をみずからに乗り越えさせて行く「力(生成あるいは生成の場)」としてのニーチェの存在論が、浮上してくることになります。

当のものを語らずして、いかに仄めかすか。。。ニーチェの箴言全般に強く見られる傾向です。


上掲の箴言を読めば読むほど、(X)が、グルグルグルグルと、旋回しながら、延々、「時空」を形成し続けているのが見えますが、皆様方はいかがでしょう?

わたしたちの「生」は、命あるかぎり、わたしたちの存在の根源にあるその「力」を、追い越すことができないようになっています。天才を除いて。。。

(2008年07月13日 記)

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)))073節 a(((
Mancher Pfau verdeckt vor Aller Augen seinen Pfauenschweif - und heisst es seinen Stolz.
孔雀の多くは万人の眼の前でその華麗な尾を隠す。――そしてこれが孔雀の矜持なのである。
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「矜持(きんじ きょうじ)」とは、自分の能力を信じて誇ること、ですが、わたしたちの日常の言語行為とは、なかなか折り合いがついていない、そんな言葉のように感じます。

どちらかといえばこの意義の後半部、「誇る」がやや先行していて、たとえば、「プライドが高い人」、などのように、人を揶揄する場面に吸収されることなどが、少し多いように思います。「もっとプライドを持て!」という形式になってどうにか、前半部の意義が保たれているのかな、という気がします。「矜持」の意義はそれぞれに分割されることで、この文化圏では生かされているようです。


ところで。。。

能力がないのに誇示するのは、「虚栄(心)」です。

『ツァラトゥストラ(はかく語りき)』では、むしろ「虚栄」の象徴として、ニーチェはこの「孔雀」を使用しています(第二部「詩人」)。「海」にも喩えられていますので、こちらは、「尾」をみごと華麗に広げた状態の「孔雀」なのでしょう。


またニーチェは、「矜持」よりも「虚栄」のほうに、寛大な態度を示しています(上掲書第二部「対人的知恵」)。

それは、質実が伴っていないにもかかわらず、必死になって自らを演出し、偽りの賞賛にも信じて応じることしか出来ないほどに、みずからの存在を見失っているからだ、とニーチェは考えます。

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」(マタイによる「福音書」第五章)、というイエスの教えを逆手にとったような思索が、そこには表出されています。


一方、上掲箴言の主題となっています「矜持(誇り)」に対しては、たとえその「誇り」が傷つけられたとしても、みずからの能力によって自らを超克するであろう、とニーチェは考えています。


孔雀が、「万人の眼の前でその華麗な尾を隠す」のは、尾を広げる能力が「ない」からではなく、「虚栄」に情けをかけてほしくはないからである、というゆるやかな逆説が秘められています。


尾を広げ威嚇する孔雀を見て、「ワア、キレイ!」、と感じるのは、わたしたち人間の「エゴ」と「誤解」です。そのふたつともを、ニーチェの箴言は一本の矢で射止めています。


「矜持(誇り)」は、ひけらかすものではなく、独立独歩し、みずからをそのつど超えて行く人間には、なくてはならないものですが、ホンネとタテマエのほうが、この島国では支配権があるようで。。。学力優先だけではねえ。

「島国の呪縛の解体」ってのを、一度考えてみてはいかがでしょう。

国内ばかりに道路をつくるのではなく、日本海に、あるいは南方諸島めがけ、幾本かの橋梁を建設する。どうせならでっかくいきましょうよ、政治家さん。

液晶ディスプレーやアイ・フォーンなんて、どうだっていいじゃいですか。沈没前の狂乱としか、わたしには映りません。大きな夢とその実現可能性を示すのが政治家。今の夢は、どれもこれもちっぽけでせこくて。。。だから企業・官公庁はやり放題。そして若者は先走るのですよ。

ドーンと、この「島国」の呪縛を解体する方策を考えてみましょうよ。ネっ!

(2008年07月13日 記)

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)))074節(((
Ein Mensch mit Genie ist unausstehlich, wenn er nicht mindestens noch zweierlei dazu besitzt: Dankbarkeit und Reinlichkeit.
天才をもつ人間は、少なくともその上なお二通りのものを所有しないならば、耐えがたい存在である。すなわち、感恩と純潔と。
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やや類似した主題として、151節をあげることができますが、そこでは、「天才」をぎりぎりのところで感知したニーチェの戸惑いに対する個人的な感想を述べるに留めています。


「天才」が「耐えがたい存在」である、という指摘は、現在では、いわゆる「病跡学(パトグラフィー)」といわれる分野に包摂され、扱われているものです。

教えの一部を日本病跡学会(事務局:自治医科大学精神医学教室内)に仰ぎますと、次のような説明がなされています。
病跡学とは、宮本忠雄氏によれば「精神的に傑出した歴史的人物の精神医学的伝記やその系統的研究をさす」、福島章氏によれば「簡単にいうと、精神医学や心理学の知識をつかって、天才の個性と創造性を研究しようというもの」です。病跡学という用語は、ドイツの精神科医メービウスが20世紀初頭に造語したパトグラフィー(Pathographie)の翻訳で、他に、病誌・病蹟などとも訳されますが、こうした研究領域は古代からの天才研究にその源流をみる向きもあります。
また、『精神医学事典』(弘文堂 1981年版)の「優秀変質者」の項によりますと、フランソワ・ヴィヨンやジャン・ジュネが紹介されています。どちらも優れた詩を残した芸術家でありながら、反面で、ヴィヨンは放浪・窃盗の果て殺人を犯し、ジュネも乞食・窃盗・同性愛などの問題を抱えていた、というような記述が施されています。

その他、周知されているところでは、夏目漱石や太宰治に関する病跡研究など、枚挙に暇がないくらい、「天才」についての関心は高いようです。


幼児期から天才と見なされ、のち、「天才」研究の先駆者にもなったイタリアの法医学者兼精神医学者のロンブローゾ(1835年~1909年)と、ほぼ同時代をニーチェ(1844年~1900年)が生きていたことや、現存するほとんどの著作の完成をみた四十四歳頃(1888年)に精神錯乱の徴候を示し、翌年には精神病棟に入院していること、などから判断しますと、ニーチェは、狂気に翻弄されながらも、なお、自らの資質と病状を、じつは誰よりも熟知していたのではないか、という気すらしてきます。

上掲箴言の最後に添えられています、「すなわち、感恩と純潔と。」、が僅かにそのことを示しているように思います。

わたしの思い込みが強いせいか、この箴言に、やるせなくなるほどのせつなさすら感じます。


ここからは脱線話ですが。。。

同年代の友人に、CADによる工場廃水の汚染処理メカニズムの構築とその実験に、職業研究者として、日々没頭している者がいます。年に一度会うか会わないか程度の間柄ですが、会うと、髪はボサボサ、服はよれよれ。没頭しては倒れ休業、復職してはまた没頭。。。その再三の繰り返しのなかで、数々の特許と受賞を獲得してきたつわものです。

わたしが唐突に、哲学の話を始め出しますと、彼は黙って聞いています。わたしのくだらぬ話が終わりますと、彼はすぐさま、自分の研究のなかから、わたしの提示したパラダイムに似た類型を取りだし応じてくれます。その反応の速さと正確さは天下一品。

一度だけ、その不遇な人生の全貌を語ってくれたことがあります。その時はわたしのほうからも、どのような人生であったかを、包み隠さず語りました。わたしはが彼に「天才」を感じたのは、その時でした。

暑中見舞いも年賀状も交換しない「天才」と「頑固おやじ」との不思議な間柄。

喫茶室で、不本意であったろう離縁以後の奔放な生き方を、あくまでも朗らかな声で語る彼ですが、それが彼の「天才」の孤独でもあり、また守護神でもあるのでしょう。

まあ、それもよかろう、と思って、笑って聞き流しています。

もう十年になるでしょうか。

(2008年07月13日 記)

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