2014/01/08

対話篇

自己制御を放棄した人たちは、
それ自身不正ではないが、不正を行う
(アリストテレス『ニコマコス倫理学』高田三郎訳)

(とある街中でばったり会うふたり)

おやY君、どうかした?浮かない顔して。

―あぁ、X君。

悩み事?

―いや、そうじゃないんだけどさぁ。。。なんかこう鼻のあたりがむず痒いっていうかぁ。

それって、花粉症じゃナイ?

―。。。ねぇねぇX君。「太陽」とか「土星」なんかはさあ、言ってみればガスのかたまりじゃない?

。。。ンまあ、そう言えばそうだけど。なんか関係があるの?鼻のむず痒さと。

―そこなんだよなぁ。

何がさ?

―「太陽」とか「土星」を表現する場合にさぁ、X君ならなんて表現する?「ある、いる、止まっている、浮かんでいる。。。」いろいろあるじゃない?

ふぅーん、またおかしなこと考えてるんだねえ。そうだなあ。。。感覚的には「止まっている、じっとしている、動かずにある」ってところかな?

―ンだよねえ。でもそこなんだよなぁ。。。むず痒いって言うのは。

ヤッパ花粉症だよ、それは。

―じゃあ、これはどう?「揺れ動く四分の三」とか「不安な三角形」ってのは。

おいおい、そんなのあるわけないジャン。「揺れ動く」とか「不安な」ってぇのはもっとこう、何ツーか。。。うまく言えないけどさぁ、重さがあったり、匂いがあったり、翳りがあったり。。。とにかくもっと生々しい出来事に使う表現じゃないのかなぁ。例えば心が揺れ動くとか、不安な心とかさぁ。ウン?オレまでむず痒くなってきそうだ。ま、立ち話もなんだからお茶でもしようよ、時間あるんだろ?

(昼下がりのガランとした喫茶店のそのまた片隅)

―ちょっと見てほしい数字があるんだぁ。これがそう、見える?10825、11035、10685、11149、12012、11602、11287、11529、11433、11130、どう?

「どう?」って、謎解き?これじゃあまるでネブガドネツァル王みたいだね、今日のY君。僕にダニエルになれってわけだ、ハッハッハッ。ま、たまには美男子になるのも悪くはない、よかろうよかろう。。。ウ~ンまず言えることは、数列の集合ってところかなあ。

―数列の集合?

そうだよ。ひとつひとつ見れば、「偶然」としてのバラバラな数列にすぎないじゃない?ただ見たところ、万の値が皆共通して「1」になってる。こうなると、「必然」としての数列の集合(群れ)になる可能性もまたあるんだよなあ。。。

―その「必然」って証明できるの?

できるとも。ただし証明には「条件」ってものがいる。この十個のそれぞれの数列が、同質の事態から帰納されていることがその必要条件。それに、十個の数列が十年という時間軸に対応したものであることがその十分条件。とまあ、こういうことになるだろうな。

―ということはそのぅ。。。偶然に見えるばらばらな数列も、要件さえ整えば、いつでも必然的な数列の連鎖になるってこと?

さすがY君、そのとおりだよ。

(一組の若いカップルが店の入り口近くに着座、西日が店の空間を射抜く)

―じゃあ、「揺れ動く四分の三」や「不安な三角形」の場合はどうなるの?

えっ!?またその質問?仕方がないなぁ。Y君のために、存在する、と言っておくか。

―本当?

こう考えてみたらどうだろう。「四分の三」自体が「揺れ動く」ってのはさすがにイメージしにくいよね?でも四分の三と残り四分の一とのちょうど境目あたりが少し霞んであいまいだという意味で理解すれば、「揺れ動く四分の三」、じゅうぶんありってことになるんじゃない?三角形の三つの辺の線上がややぼんやりとしていて不安だと考えれば、「不安な三角形」だって立派な日本語だよ。そうは思わない?

―そう言われれば。

そう考えるとだ、Y君。そのむず痒さの原因も少しは解ってくるんじゃない?

―というと?

どうもY君は、さっきの十個の数列を必死に比べてみて「増えもせず減りもせず、しかし部分的には減ったり増えたり。。。全体としてはどうなんだろう」なんてことを考え続け、そのうち鼻のあたりがむずむず。。。そういうことなんじゃないのかなぁ?

―。。。。。。

要は、数列群全体から何かを読み取ろうとすること自体に、きっと無理があったんだよ。

―数列群の全体?

ウン。数列はたしかに大切な指標には違いないのだけれど、数列が何か実体や事実そのものであるかのように思い込んでしまうと、いつしか本末転倒な議論に巻き込まれてしまう。数列は、あくまでも実体や事実のおぼろげなる影。数列をいくらながめても、見えてこないものは見えてこないんだよ。

―ウ~ン。。。

さっきY君が見せてくれた数列群で言うとさあ、万の値が「1」で共通してたよね?でも千の値から一の値までには微妙な数字の増減が見られる。そこまではいいんだよ。問題は、そのあとの解釈や判断にあるのさ。分かる?一万がいつまでたっても二万にならないと解釈し悩めば「止まっている、停滞している、沈滞している」と判断されるし、一万が一万以下にはなっていないと解釈し喜べば「無事維持されている」という解釈や判断も成り立つんだよ。数字列というのは、実体や事実を追いかけることはいくらだって自由にできるんだけど、追いつき追い越すことは決して出来ないものなのさ。そのあたりの混乱に、Y君ちょっと翻弄されたんじゃない?

―ああ、なんかずいぶんスッキリしてきたような感じがする。

じゃあもうひとつ、さっきの太陽の話に戻ってみようよ。遠くから見れば太陽は完全な球体だけど、表面は不規則に燃え立ちゆらめく「炎」なんだ。Y君が言ったとおりガスさ。人間はただその「炎」の観察を直接的な媒介として、太陽の実体をいわば推測・推理しているだけなのさ。これまでだれも太陽に触れた者などいないんだから。分かるだろ?「炎」に追いつき追い越し太陽の中に突入することなんて、出来っこないさ人間には。

(二人喫茶店を出て再び街路へ)

おっと、言い忘れていたよY君。一万が仮に九千、八千、七千。。。こんなふうに激しく減少傾向を示しだした時は要注意だ。いかなる症候群であるにせよ、はたまた信仰共同体であれ、教条主義に汚染されていると見て間違いないと僕は思うよ。これ毛沢東の実践で検証済みの真理。。。ネ。

―X君、ほら見て!サンセット!

ぅわあ、ほんとだ。美しい!

(本記事は、重度アルコール依存症者のための更生施設であった(旧)大阪市立弘済院救護第2ホーム高嶺会発行月刊誌『たかみね』2000年5月号に寄稿した内容をブログ用に修正・加筆編集したものである)

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