2014/03/25

誰がために信仰はある――苦陰に隠れ過越しを待たむ

[苦しみ] ブログ村キーワード
自分の写真::苦しみのさなかで苦しみについて考えていると、自分のなかのどこかにまったく「無傷な自分」がいるのではないか、といった猜疑にすっかり心奪われてしまうことがわたしにはある。

起き上がれそうにない時はもちろん、救急車を呼ぼうかと発作的に意志せざるをえない不穏な気分に襲われた時でさえ、その「無傷な自分」がとんでもないジェラシーの対象に変容しながら、やはりどこからかしら奇怪な回路を這うようにして現象してくる。統覚自我。。。とひとことで片づけられそうにはない不気味な動きと不敵なぬくもり。

2014/03/21

都道府県数をしのぐ勢い!

50?なんのなんの、もはや100に近づくかと推測される日本プロテスタンティズム下の分派状況。

都道府県だけがあって政府のない日本、といった感じにやはりなってきましたね。

それでいて、これは異端です、あれとは関係がありません、な~んてまだ書いてある。

わたしどもは単立教会になりまして、というのがトレンドらしい。怪しいねぇ、これも。

こうなると。。。第二バチカンを仮作し統合するっきゃないかにゃあ。これあちきの予想。

今日の講義は、これでお・し・ま・い。

追記:よろしければこちらもどうぞ。キリスト教教派教団を斬る!実在論(der Realismus)

2014/03/18

ニーチェ箴言散策集・私家版 (19)

[ニーチェ] ブログ村キーワード
ニーチェ箴言散策集
Friedrich Nietzsche
『ニーチェ箴言散策集』(2008.02起稿 2008.07脱稿 Mr. Anonymous)


今回138節の読みどころ
「認識の仮象性」を頑として受容しないニーチェおなじみの主題です。
全既刊号はカテゴリーからどうぞ。⇒⇒⇒

原文・翻訳からの引用は「報道、批評、研究目的での引用を保護する著作権法第32条」に基づくものです。ドイツ語原文は"RECLAMS UNIVERSAL-BIBLIOTHEK Nr.7114"、日本語訳は木場深定氏の訳に、それぞれ依ります。

2014/03/16

「使徒信条(信仰告白)」汚染度を10秒で測定!

いきなり問題です。

ママチャリの荷台に幅20センチ、長さ30センチ、高さ30センチの箱状の荷物が載せられています。中味は壊れやすい瀬戸物の食器類。ひとつひとつ新聞紙でしっかりとくるんで詰めてあるのですが、箱ごと荷台から落ちると全壊する可能性があります。でこぼこの比較的少ない平坦な道を疾走しながら、片道15分の距離までこれから無事運びたいと思います。皆さんに与えられているのは、直径2センチ、長さ1.5メートルのやわらかいロープ一本だけです。荷台の大きさは、長さ30センチ、幅20センチです。

さて左の問の正解はどれでしょう?正解だと思われる「投票」にチェックをしてから「投票する」ボタンをクリックしてください。横棒グラフとしてすぐに反映されます。制限時間10秒。ハイ!どうぞ。

「正解」とあなた様の「汚染度%」は、続きを読んでご確認ください。

2014/03/14

小学生のわたしをハグしたのはマルジャリア神父であった

[神父] ブログ村キーワード
自分の写真 ::小学三年生の秋、九歳になったばかりの頃に、わたしの楽園物語は予告もなく途切れた。

以来五十三年、待つには待ってみたが、その続きを知ることはついぞなかった。しかしなぜそんなにも長く、馬鹿正直にわたしは物語の再開を待っていたのだろう。

九歳までの記憶はどれもこれも、溺れるほどの幸せと歓喜のなかにあった。

上町(うえまち)台地一等の高台、大阪は天王寺区伶人町にある名門星光学院の初代校長、サレジオ会出身マルジャリア神父との出会いもそのひとつである。

2014/03/13

先生、なぜそんなに絶叫するのですか?

[キリスト教] ブログ村キーワード
自分の写真::昨夜はちょっと無理をして牧師説教動画を一本、最後まで聴いてみた。直近九日の礼拝であった。リバイバル派っぽい。一時間弱。。。

視聴してから三十分ほど経過したあたりから、「正」の字で「教会」という単語をカウントし始めた。

しかしながら説教者が次第に興奮しだし、「教会を渡り歩きながら品定めする者」や「すでに離れてしまった者」などが、いくら信仰を捨ててはいないと言っても天の国に入ることはなく、永遠に燃えさかる地獄におちるのは間違いない、と激しく攻撃しはじめた。

2014/03/12

ネット配信だけなら猿でも出来るのですよ、先生!

[キリスト教] ブログ村キーワード
自分の写真::礼拝説教ヲソノママ「ネット」デ配信スレバ、大キナ効果ガアルカモ。。。

なんぞという夢のようなことを考えては、性懲りもなく次から次へと無駄に動画をアップする牧師が急増しているようだ。まったくネットの仕組みが何も分かっていない。ハッキリ言って、今のやり方では逆効果なのだ。

久方ぶりに膨大な数の中から、あれこれ何本か、億劫な気持ちを我慢し、のぞいてみることにした。

2014/03/11

レクエイム。。。万のはらからに感謝

或ることに関して多弁をろうしたからとて、それによって了解内容がさらに深まるという保証は、いささかもない。(ハイデガー『存在と時間』第三十四節 原佑訳)
わたしは見た。

不穏にも、ひとつの時がふたつの断崖となって向き合っているのを。

2014/03/09

愛するシスターからの賀状への遅すぎる返事

[キリスト教] ブログ村キーワード
自分の写真::愛する姉上様へ

前略

本年も片道行きになることをご承知のうえ、わたくしの寝どころ宛を御自筆で賀状にしたためて頂き、恐縮しております。

おひとこと、「元気でおられることでしょう。」、とお書き頂きました。

2014/03/08

「杣道(そまみち)」に無頓着な能面キリスト者たち

[キリスト教] ブログ村キーワード
自分の写真::「杣道(そまみち)」とは、何処(いずこ)に行き当たるやらまこと心もとなくて森の中に自生する小道のことである。みずからの姿を草木に覆わせながら、森の精を放つだけでわたしたちをここかしこに誘いもし迷わせもする禁断の道。

もちろん成人になると、そんな道があったことなどすっかり忘れている。発見するのはいつも子供か、子供に逆戻りしてしまった孤独な大人たちだけかもしれない。

おそらくわたしは、そのような子供または大人のひとりなのであろう。

2014/03/01

贖罪論批判・改訂版

[キリスト教] ブログ村キーワード
自分の写真::ギリシア哲学(形而上学)の最高傑作と表現してもよいほど見事に刈り込まれた「使徒信条(THE Credo)」であるが、凄惨な全体主義的展開の元締めとして人類史を切り裂いてきた事実の数々を思うと、その元凶たる「使徒信条」をいまだ唱和して懲りぬ教会に再度行こうなどという気持ちは、もうわたしのどこからも湧いてはこない。もちろん健康上の理由もいささか関与してはいるが。

受洗しながらにしてわたしのように礼拝はもちろん、その他一切の教団・教派・教会行事等に参加しない方々は、ネットの感触から判断する限り想像以上に多そうである。教会難民・教会ジプシーという言葉が出来て久しくもなるはずだ。事情は各人さまざまであろうが、しかしその実態はよく分かっていない。

実態がよく把握できない理由は簡単である。