2012/11/15

無花果(イチジク)の木とペトロ・メッセージ

(以下の記事は、2010.12.22、に書かれたものです)

今年は、ニーチェの「マネキン」がよく売れたそうだ。よほど見栄えが良かったのであろう。

なんとも不思議な国、また国民ではある。

元来ニーチェは、ギリシア古典文献学徒であった。
  • Wie? Das 》Wunder《 nur ein Fehler der Interpretation? Ein Mangel an Philologie? ("Jenseits von Gut und Böse"47,RECLAMS UNIVERSAL-BIBLIOTHEK Nr.7114.)
「奇跡(das Wunder)」の淵源を、「解釈の誤り(ein Fehler der Interpretation)」または「文献学の欠乏(Ein Mangel an Philologie)」に見出さんとするニーチェに、その片鱗が感じられる。

さて、イエスの一喝で枯れてしまったと記録されている「イチジクの木」であるが。。。

マルコ「福音書」11章と、マタイ「福音書」21章である。

数ある説教を強引に大別すれば、そのまま「奇跡」と解釈しているもの、イスラエルやその宗教的指導者の「暗喩」として解釈しているもの、以上ふたつにはなろうか。断然、後者のほうが多い。

どの教説も、それぞれに魅力はある。

しかしどの教説にも、残り香がない。

シモン・ペトロの解釈学的状況が、まったく顧慮されていないのである。
どうしたことであろうか。。。

マタイはさておき異邦人と思しき筆記者マルコは、イエス磔刑(たっけい)後、通訳者として、その直弟子シモン・ペトロに仕えた第二世代の信徒のひとりである。4世紀初頭を生きたカイサレイア司教エウセビオスの『教会史(Historia ecclesiastica)』に、二次的な情報ではあるものの、そのことは記されている。

迫害による使徒ペトロの殉教は、ネロ皇帝在位(54-68)の時であったが、ほぼ同時期に、異邦人宣教の巨星パウロ、それにユダヤ・キリスト教の頂点にいたイエスの兄弟ヤコブも殉教死している。イエス磔刑後、わずか30余年。マルコ「福音書」は、エルサレム第二神殿崩壊寸前の不穏かつ混沌たる時代のなか、離散の地(ローマ?)において成立した。

聖書外典「イザヤの昇天(Ascension of Isaiah)」第三章三節に、わずかではあるがペトロ殉教の痕跡が見出せる。
  • Will persecute the plant which the Twelve Apostles of the Beloved have planted. Of the Twelve one will be delivered into his hands. (CHAPTER4.3, from Translation by R. H. Charles.)
'Of the Twelve one' がペトロと考えられている。

ジャン・ダニエルーの文献考証によると、ヘブライスト(ユダヤ・キリスト教徒)とヘレニスト(異邦人キリスト教徒)との境界域に最後まで立脚し苦悩していたのは、パウロよりもむしろペトロであったようである(『キリスト教史1』第四章3「ペトロの宣教活動」)。

その風貌・言動・性格・立ち居振る舞い等から「ケファ(岩)」とイエスにより名づけられたペトロの体験想起とその経験化にマルコが立ち会っていたとするなら、「枯れたイチジクの木」の記録からわたしたちが了解すべきは、むしろ秘匿された「ペトロ・メッセージの時熟様態」にこそあるのではないか、とわたしなどは思ったりする。

ペトロ口伝の固有性は、マタイ「福音書」21章ではすでに払拭されてしまっている。

はたして、ペトロ口伝に秘匿されたと思しきその「メッセージ」の復元は可能であろうか。。。

マルコ「福音書」全体に見られる叙述構成の特色のひとつは、イエス宣教開始後の足取りが、極めて鮮明に記録されている点にある。すべての時・所が、ユダヤ教三大祭のひとつである「過越祭」に向け、それぞれコンパクトに束ねられ配列されている。

ベタニヤから目と鼻の先にあるエルサレムに都入りする途上で起きた「枯れたイチジクの木」の出来事であったが、そこに至るまでのイエスの足取りには、疾(と)くもけやけきものがある。
  • ガリラヤ(宣教開始)→カファルナウム→ガリラヤ周辺域→カファルナウム→ガリラヤ湖畔→麦畑→会堂→ガリラヤ湖畔→山(十二使徒任命)→家→ガリラヤ湖畔・・・→ゲラサ(ガリラヤ湖東岸デカポリス)→ガリラヤ湖西岸→ナザレ(故郷の会堂)→村付近宣教(使徒派遣)→人里離れた所→ガリラヤ湖北東域ベトサイダ(変更?ゲネサレト)→家・・・→ティルス(フェニキア)→シドン→デカポリス→ガリラヤ湖東岸→ダルマヌタ(西岸?)→向こう岸(ベトサイダ)→フィリポ・カイサリア地方→ガリラヤ南下→カファルナウム→家・・・→ヨルダン川沿い南下→エルサレム方域へ→エリコ到着→ベトファゲ、ベタニア→エルサレム神殿(1)→ベタニア→イチジクの木の出来事1→エルサレム神殿(2)→ベタニア?→イチジクの木の出来事2→エルサレム神殿(3)へ・・・・・・
マルコ「福音書」に従えば、以上のようになる。

「枯れたイチジクの木」の出来事だけに焦点を合せて、「エルサレム神殿詣」(1)に見られた民衆の熱狂(11.8-10)が(2)(3)には記録されていない、という点に注目したい。

「イチジクの木の出来事1」は、イエスの神殿詣(1)と(2)の間に起きている。新共同訳聖書が、「翌日、一行がベタニアを出るとき、イエスは空腹を覚えられた」(11.12)、と翻訳しているのは、その時のことである。そしてその翌日(三日目)、「枯れたいちじくの木」をめぐるペトロとイエスとの齟齬にも近い断層ある会話が、イエスの神殿詣(2)と(3)の間に挿入されている。

(2)(3)の時点で、「エルサレム神殿詣」(1)に見られた民衆の熱狂が描かれていない、という叙述上の事実に留意してこの構成を眺めると、「イエスは空腹を覚えられた」、という翻訳の再考の余地はまだ残されているのではないか、と思われてくる。

「空腹を覚えられた」と翻訳されているギリシア語は、"peinao(音表記)"のアオリスト形である。言語学的には基礎語彙に収まるもので、生理的な意味(physical sence)から心理的な意味(spiritual sence)への転用は古く、新約聖書のみならず旧約聖書においても、その意義分化の実際は確認できる。

なぜわたしがこの点にこだわるのかと申し上げると、「生理的な意味」として翻訳するか「心理的な意味」として翻訳するかは、ひとえにイエスの関心の方域の復元如何にかかっているからである。

つまりはこういうことである。

イエスが翻訳のとおり「空腹を覚えられた」とするなら、「イチジクの木」に近づいた直接の契機は、生理的現象となろう。しかし仮にも、なにがしかの「渇望」に身悶えする様子が、アオリスト形で表現されるほどにペトロの目にとまるものであったとするならば、そのイエスの様相は、生理的現象ではなく世界内現象でなければならない。

畢竟読み手は、そのイエスの様相をそれとして押し出した時・空間への遡及を促されることになる。そこに、民衆の熱狂(11.8-10)がある。そしてそれが、空砲に終わったことも記されている(11.11)。それらの方域から翌日のイエスの様相を眺めれば、生理的な「空腹を覚えられた」という情報はいかにも奇異である、と言わざるをえない。

むしろ、イエスからの民衆のあっけないほどの退却、またはその熱狂の急激な冷却に、一日にして遭遇したイエスの失望と希求、その直後の決断と行為すべての目撃者であり、また、イエス磔刑後の直伝者・解釈者でもある身の程弁えたペトロのイエスに対する深い思慕こそが、「空腹」物語の背後に控えているモチーフではなかったろうか。

ペトロは、およそ30年前のイエスの懊悩をじゅうぶんに了解しえなかった一場面を想起し、痛恨の思いを抱きながらも、しかし当時の自身の貧しい了解の一端を真面目(しんめんもく)にも実直に伝えたのであろう。マルコが、そのペトロの気持ちをどこまで理解していたのかは、また別問題である。

是非はともかくも、概略そう理解してはじめて、聖書規模の象徴性よりも、イエス集団固有のアクチュアルな暗号(隠語)として「イチジクの木」を了解する可能性が開かれる。それだけでなく、神殿詣(2)と(3)の間に挿入された「枯れたイチジクの木」をめぐるイエスの齟齬にも近い断層あるペトロへの応答も、まさに定めを共にする決意を覚知するペトロ以下使徒たちのその後の信仰と、完璧なユニゾンを成すことになる預言的応答であったことが分かってくる。ペトロの循環する解釈学的状況の一端が、わずかながら垣間見えそうな気がする。

ペトロの呼びかけに、イエスはとんでもない方域から応答している(11.21-22)。
  • Rabbi, lo, the fig-tree that thou didst curse is dried up.' And Jesus answering saith to them, 'Have faith of God. (from "Young's Literal Translation")
'Have faith of God' に注目したい。「枯れたイチジクの木」には一切触れられていない。

新共同訳は、「神を信じなさい」、と翻訳している。

ユダヤ教徒として生まれてくるユダヤ人に(「創世記」17.9-14)、ましてや使徒たちの面前で、「神を信じなさい」、と言うほうがおかしい、とわたしなどは単純に感じる。はたして、「神を信じなさい」という翻訳は妥当であろうか。

ドイツ聖書協会の "Gute Nachricht Bibel" ではこうなっている。
  • Habt Vertrauen zu Gott!
「信じる(信ずる)」なら、'glauben' がある。名詞なら 'der Glaube'。それらを使用している箇所もある。しかしここでは、'das Vertrauen' という名詞が使われている。

語構成の観点からは、'Ver-trauen' と考えられる。'trauen' だけで、「(なにがしかの確証・根拠に基づく、あるいは基づく限りにおける)信用・信頼」、という意義素(意味の核)を内包している。さらにそこに、動作様態の強調・完了・結果等をフォーカスする「前つづり」 'Ver-' が接頭している。

この語構成に配慮しながらあえて訳してみると、「霊験あらたかなる神への揺ぎなき確信をこそ抱いていなさい」、とでもなろうか。「神に捕らわれてしまいなさい」、と訳すこともできよう。いずれの場合も、神という「概念」からではなく、その「働き」を根拠とした場合にしか生成しない訳である。

したがって新共同訳の「神(を信じなさい)」は、すでに思惟の形式に取り込まれ概念として洗浄された後の「神」であるにすぎない、ということになる。いわば「絵に描いた餅」である。その「餅」を食するのは、無理である。その意味で、この箇所の翻訳に違和を感じる人はまことに幸いである、と言えよう。

イエスのこの箇所のアラム語は、ギリシア語底本では 'ekhete pistin theoü'(音表記) と変換されている。英語もドイツ語もギリシア語も、もとをただせば印欧語から派生した語族であるため、シンタックス(統語法)にある程度の類似性が残っているのは、当然である。

しかしながらなお注目すべきは、「神」に相当する 'theoü' が与格ではなく属格になっている点、それに目的格 'pistin' の基本形 'pistis(ピスティス)' の意義如何にある。

上掲のドイツ語聖書では与格前置詞 'zu' が用いられているが、その結果生じる「神」の対象化(概念化)を 'Vertrauen' によって阻止しようとしているのが分かる。ロバート・ヤングはギリシア語底本どおり、強引に属格 'of' を主張している。いずれにも、慎重な配慮がうかがえる。

問題は 'pistis(ピスティス)' だが・・・

ここは、有賀鉄太郎氏にご登場願わなくてはならない。

氏は、「クレメンス・アレクサンドリヌスにおける信仰と認識」(『キリスト教思想における存在論の問題』第二部第六章)のなかで、次のように述べられている。引用中「かれ」とあるのは、クレメンス(30?-101?)のことである。
  • それは二重の性格を持っている。同じくピスティスと言っても、認識に導くものと、臆見的なものとの両方が考えられる、とかれは言う。聖書の教えるピスティスは後者ではなくて前者である。それが真の信仰なのであって、それは神の言(命令)に服従することによって真の認識への過程を始めさせる。それは、それ自体としても神の力であり、真理の強い働きなのである。(ギリシア語引用割愛御免)
「真の認識」を発芽させる土壌として「ピスティス(信仰)」が捉えられている。

「信仰は理屈ではない」、という不真面目はここにはない。しかもその「信仰(ピスティス)」の土壌自体、「神の力」とその「真理の強い働き」に捕らわれる出来事を通じてしか与えられない、というクレメンスの非ギリシア的(ヘブライ的)確信を、氏は我が事のように叙述されている。

イエスとペトロとの絆を、そこに見る思いがわたしにはする。

1950年に他界したユダヤ教徒でもあり哲学者でもあったユリウス・グットマンは、とても真摯な問題を、ザームエール・ヒルシュの紹介と重ね合せ提起している。
  • イエスの生涯を通してあらわになったキリスト教の第一の原則は、ユダヤ教に完全に依拠している。イエスは天の国を求める。が、イエスはユダヤ教を乗り越えようとする意図をまったくもってはいない。逆にイエスは、イスラエルの民がそうなるべく定められているもの、つまり「神の子」に、すべてのユダヤ人がなり、罪を克服すべく教育され、イスラエルの運命、主の僕の苦しみを独りで担う準備を整える時まで、天の王国は到来しないことを認めていた。イエスは、この方向に歩き出した最初のひととなり、他の人々の模範たらんと努めた。・・・中略・・・。原罪と贖いの教義ゆえに、キリスト教は反合理主義に陥り、信仰と理性との確執を惹起することになる。(『ユダヤ哲学』第二部二章 合田正人訳)
最後の一文は、パウロの功罪をめぐっての言説である。

「贖罪論」に捕縛されたこの島国のプロテスタント基督教信徒たちに、「枯れたイチジクの木」を回顧し涙して語る使徒ペトロの姿が、はたして表象できるであろうか。

(以上の記事は、2010.12.22、に書かれたものです)

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