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2014/01/17

>>>神学<<<が崩落する時

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Heidegger Forum
電子ジャーナル部分
教勢の衰え?リバイバルへの虚ろな熱狂?古色蒼然たる無神論対有神論?正統に異端?

そんなこと、ほんとうはどうだっていいのだ。

この二十一世紀、いったいキリスト教の何がコアな問題だと言うのであろうか。

その最も過敏な部位に触れたじつに勇敢な論稿のひとつが、ここにある。

2013/11/22

信田さよ子氏の「先手」


An onymous その道では知らない人のおそらくはいないであろう信田さよ子氏であるが、イマサラドウダッテイイヤとうっちゃったはずの氏のわずかな言説が、どうかした拍子に脳裏に蘇ってくる。

『現代思想』今年度版1月号に掲載されていた「自助グループロマン主義」がそれである。『依存症をめぐる臨床』という主題のもとに企画された分割連載のうちの第六回目にあたる小論、正確に言えばそういうことになる。

次の箇所である。

2013/10/22

こんな最新刊が


An onymous出来たてホヤホヤの一冊となれば。。。この十月(今月)出版の『「福音書」解読 「復活」物語の言語学 』(溝田 悟士 講談社選書メチエ)か?例の如くアノニマスひさびさの超絶技「立ち読み」開始五分。ナヌゥゥゥ?コノ内容ドコカデ聞イタコトガ。。。とその場で著者履歴を確認。


ナ~ンダアノ子ジャン!とニンマリ。2010年3月、神戸松蔭女子学院大学でおこなわれた日本基督教学会での発表者のお一人であった。わたしもその会場にいたのだ。冷たい雨の降る一日だった。この若い研究者の書物に対するアマゾンユーザーのコメントは、たいへん厳しい。どなたが投稿されたか、およその見当はつく。

この三年とすこしの月日がありながら、古傷を癒しきれなかった著者にも失策はあるか。こういった主題の書物の出版は、時期を見誤ると満身創痍になることがある。じっくりと「売れない」著作で足元を固めてから、ポ~ンポ~ンと放り投げるかのようにして出版するのが賢明かもしれない。この分野で言えば、たとえば近年の大貫隆氏のように。。。

ま、とりあえず出版おめでとう。やがてあなたたちの時代がやってきますよ。

アノニマスは体調不良のため2012年から学会には不参加です。もう参加することもありません。
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2013/10/18

森鴎外はいかが?


An onymous三浦綾子、遠藤周作、曽野綾子、椎名麟三などを引き合いにだされる方々が多い会合などで、森鴎外!と開口一番ぶっきらぼうに言い放つ、そんな人が教会にたくさんおられればいいのになぁ、とわたしなんぞは妄想する。


『舞姫』はもちろん、およそほとんどの短編のここかしこ、濃淡さまざまに残された鴎外のキリスト教観・宗教観には瞠目すべきものがある。

数ある短編例から一点。。。となれば、『かのように』を推奨したい。通読するのに15分もあれば、皆様方には十分であろうと思う。ただし新約聖書中、「コリントの信徒への手紙 一」七章29-31周辺に記述されている使徒パウロ三重の時間認識(覚知?)を頭に入れておく必要はある。

結論はふたつである。ひとつは、「かのように」という表現で示された現世(世俗)への関わり方が真逆になっている点にある。鴎外は現世の生をまっとうせんがために嘘を嘘として受容する必要に力点を置いているのに対し(短編『寒山拾得』はその実験であろうか)、パウロは不定未来に預言された終末時(メサイアの時)到来への切迫感から、途切れそうなほど希薄な現世への信徒的関与のモデルを強調している。

もうひとつは、大戦後の西欧においてキリスト教の政教分離(いわゆる世俗化)が進み過ぎ、特にフランスやイタリアで第二のルネッサンス(聖書の新たな解釈を通じ政教分離・世俗化の質を向上させるための運動)が起きている点にある。鴎外の『かのように』の逆転は日本では起こらなかったし、現在も起こっていない。鴎外の考え方を逆転させると、アウシュビッツ、ホロコーストにいたるまでの西欧キリスト教の暗黒史に突入する。今起きている西欧キリスト教の大きな変化と教会回帰は、その暗黒史を限りなく踏み台としたものである。。。というふうになると、もう日本のキリスト教指導者の出る幕ではないということにもなる。そもそも日本のキリスト教史には、逆転を呼び寄せうる歴史的な要因がまったく存在しないのである。だからこそ近年、アメリカや韓国のペンテコステ派、聖霊派、いわゆるリバイバル派等に寄生するようになってしまっているのであろう。

ところで『かのように』は、鴎外五十歳(1912)のときの作品である。

2013/10/06

十字架の現象学 ご無沙汰失敬

厳冬の二月、ブログ更新ついに滞るにいたるも、その旨の周知だに思うにまかせず。さるに、不自由極まりなき身辺整理のときのみならず破天荒なときまでを、千変万化するやまいと老いの機嫌にあつかましくも卑しく乞うては、はや神無月。読者様方には、たいへん申し訳なく感じておりまする。