2012/11/22

イエスの「死生観」

(以下の記事は、2010.12.05、に書かれたものです)

1945年12月。。。

Wikimedia Commons
エジプトはナグ・マハディ(Nag Hammadi)村の土中から、一人の村人によって壺が掘り起こされた。その壺の中におさめられていたのは、エジプト語の異形態コプト語で綴られた皮とじの写本冊子(Codex)であった。

鑑定の後それらは、熱心党を前衛とした対ローマ・ユダヤ戦争(66-70)、そしてその後の対ローマ・ユダヤ人反乱(132-135)によって、まったき亡国の民となったキリスト教徒たちの一部集団が、直後、イエスの言動をどのような伝承のなかで守り継ぎ、またどのような思想的混沌のさなかにおいて伝播していたのかを知る上において、たいへん貴重な資料群であることが判明した。


写本冊子のいくつかは、村人たちに燃料として用いられすでに灰燼と化してしまっていたが、13分冊に収録されていた52文書は、一度は市場に流出したものの、心ある人々に手繰り寄せられ、1975年以来、カイロにあるコプト博物館にて保存され、今日に至っている。

コプト語写本自体の成立は、紀元4世紀前後のものと鑑定されている。しかし、元あったであろうギリシア語底本の成立は、紀元2世紀前半頃と推定されており、イエス時代に直結すると考えられる文書も、多く含まれている。

残念ながら、367年、エジプト北域アレクサンドリアの司教であったアタナシオスによる指示以降、大半が偽典偽書(New Testament Apocrypha)として新約正典からは排除されることになった。今日に至るまでも、グノーシス的ユダヤ・キリスト教異端文書として一蹴されることこそあれ、ミサ・礼拝等においてその内容の実際に与る機会は、ほとんどない。


さて、ロン・カメロン氏の英訳(Translation by Ron Cameron,1982,from THE GNOSTIC SOCIETY LIBRARY)を導きの糸として試みた日本語への重訳「ヤコブのアポクリフォン(Apocryphon of James)」は、上述したナグ・ハマディ写本第一分冊の中に含まれていた文書のうちのひとつである。文書自体に、タイトルはない。

その出来不出来はともかく、重訳を終えた今、言葉群を背面からつき破るがごとき筆記者の圧倒的な信仰、というものを感じている。


「ヤコブのアポクリフォン」最大の特色は、『新約聖書』では断片的にしか触れられていない復活後のイエスの言葉が、イエスの実弟ヤコブ、それに使徒ペトロとの応答のなかで、大量に叙述されている点にある。

そのごく一部を引用しながら、当時の信徒たちの一部集団が抱いていたであろう「死生観」について、感じたところを簡単に述べておきたい。


「ヤコブのアポクリフォン」に叙述されている復活のイエスの「語り」には、沈鬱かつ深刻な響きと切迫感が感じられる。

そこには、「ヨハネによる福音書」、あるいはその他正典書簡などで表象された「人ならぬイエス」の姿はない。むしろ、十字架への突進、ともいうべき殉教への激しい説得を展開し、それへの同意を迫るがごとき「生々しきイエス」が描かれている。

復活のイエスは、こう語る。
次のことを、この際わたしはあなた方に言っておこう。しかしもう、わたしはもといたところに昇らなければならない。だがしかし、わたしが熱心に行きたいと望んだあの時、あなた方はわたしを見捨てたのである。そしてわたしと行動を共にするかわりに、わたしの後をつけてきたのである。(重訳アノニマス、以下同じ)
ヤコブとペトロにとっては、最後通告にも似た非難である。

「あの時・・・見捨てた・・・後をつけてきた」というのは、マルコ(14章)マタイ(26章)ルカ(22章)ヨハネ(18章)の、いわば正典「福音書」で触れられたイエス逮捕前後の集団のとまどいとためらいを指している。


宛先不明の書簡体裁をとる「ヤコブのアポクリフォン」の冒頭には、「シークレット・ブック」という言葉が登場する。はたしてこの表現が正典「福音書」に関連したものであるのかどうかについては、議論がある。

訳者ロン・カメロン自身は、正典「福音書」が成立する以前の使徒たちの権威をめぐる競合のなかで、イエスのぬくもりが未だ冷めやらぬ時期の口伝に基づき執筆されたもの、と語っている。

その点を考量すると、「シークレット・ブック」本体のみならず「ヤコブのアポクリフォン」自体も、イエスの実弟ヤコブの手により成ったものがその後、言語変換(ヘブライ語→ギリシア語→コプト語)といかほどかの思想的メタモルフォーゼを経ながらも、次世代次々世代の離散の信徒たちによってエジプト地域にまで命を賭して守り継がれてきた、と考えてよかろうと思われる。そのことは同時に、上記四福音書の広域にわたる写本群の存在をも意味する。

その決定的な箇所となる貴重な記録を、ロン・カメロン氏の英訳でご覧いただきたい。復活のイエスがヤコブに語っている、という想定である。
Since I have been glorified in this manner before this time, why do you all restrain me when I am eager to go? You have constrained me to remain with you eighteen more days for the sake of the parables. It sufficed for some persons to pay attention to the teaching and understand 'The Shepherds' and 'The Seed' and 'The Building' and 'The Lamps of the Virgins' and 'The Wage of the Workers' and 'The Double Drachma' and 'The Woman'.
正典「福音書」に収められている物語への言及が七つも確認できる。これは驚きである。

62年に殉教したと言われるイエスの実弟ヤコブが(ヨハネの兄弟ヤコブ、アルファイの子ヤコブとは別人)、エルサレム教会周辺域のヘブライ派(ユダヤ・キリスト教)において最高位にあったことは、あまねく知られている。当然のことながら、イエスの顛末の熟知者である。


話題を「死生観」にもどそう。

「ヤコブのアポクリフォン」の中の復活のイエスは語る。
もしあなた方がサタンの抑圧を受け迫害されながも、父の御心を行っているならば、父はあなた方を愛し、わたしと同じ者とみなして、父のご深慮を通しすでに愛されている者として、あなた方それぞれの選択に応じお考えになるであろう。その時、肉の体の愛人であることを、また苦難を恐れることを止めないでいるだろうか。あるいは、あなた方は知らないのか。いまだ虐待を受けず、不正に告発されず、投獄されず、不当に責められず、また理由もなく十字架にはりつけられず、わたしがまさにそうであったように、その災いによってみじめにも葬られずにいることを。霊は、いわばあなた方を囲う防壁である。それでも肉の体を惜しむのか。あなた方の前にも後ろにも果てしなくひろがるこの世をよく見るならば、あなた方の命がたった一日のものにすぎず、またその苦しみもたったひと時のものにすぎないことが分かるであろう。良きものは、この世に現れないであろう。だから死を軽蔑し、命に関心を抱きなさい。わたしの十字架と死を想い起こしなさい。そうすれば、あなた方は生きるであろう。
イエスのこの「死生観」は、どの正典「福音書」よりも迫真的であり、また深奥でもある。

ユダヤの血を受けたがための外勢からの抑圧と迫害。イエスの使徒であるがための内勢からの抑圧と迫害。そして、生存の根底から噴出する複雑なクリーゼ(危機)による媒介。それらを通じ引き起こされた筆記者の内的時空間の衝撃的な破裂と破断。その見てはならぬ剥離を修復するかのように、復活のイエスは筆記者、あるいは伝承者の「ノエマ(意識対象)」に現出している。その存在機序を見逃すと、ただのお伽噺になってしまう。

そのような信仰者の打ち消しえない存在論的な体験と伝承とが織り込まれたものであろう、とわたしはわたし自身の体験から感じる。体験のない方々には、フッサールの標準的な「ノエシス・ノエマ構造」をまずは理解され、さらにそれが破壊される可能性如何にまでご自身で敷衍されてみることを提案したい。そのデモーニッシュな体験が、歴史的な事実の外延に取り込むに値するものであることに、きっと気づかれるであろうと思う。


いずれにせよ、そのような存在の極みにおいてヤコブとペトロは、復活のイエスの言葉を通じて、それでもなお「生きてある」ことの不可思議と、そのシニフィエ(意味されるもの)に、まさに手招きされていたのであろう。

「霊は、いわばあなた方を囲う防壁である(you for whom the spirit is an encircling wall)」という復活のイエスの言葉は、「ヤコブのアポクリフォン」が、全き意味でのグノーシス文書ではなかったことを示している。むしろ、個的状況がいかなる地獄絵図を描こうとも、その絵図が消失しないかぎりにおいて、恒に先行して「あった」し、そして「ある」し、だからこそ「あるであろう」存在に働く無限産出の力への根源的な覚知を促す言葉として、わたしは読み、そして重訳した。

グノーシス的異端資料として評価されてきた「ヤコブのアポクリフォン」ではあるが、丁寧に読んでみると、そう簡単には一蹴できないほどにも生動的なイエスが、そこには描写されていた。

わたし自身の印象としてあえて申し上げれば、パルメニデス(紀元前515?-430?)『フュシスについて』に残された六脚韻律詩に登場する「(真理の)女神」の言葉に、より近いものを感じる(山川偉也、有賀鉄太郎参考)。


さらに復活のイエスはご覧のように、「だから死を軽蔑し、命に関心を抱きなさい。わたしの十字架と死を想い起こしなさい。そうすれば、あなた方は生きるであろう」、と語っている。

「死を軽蔑し、命に関心を抱きなさい(Scorn death, therefore, and take concern for life)」とは、じつにイエスらしい表現である。

軽蔑すべき「死」とは、このうつし世の波間に酔い、ただ消えていくだけのいわば消耗死である。その消耗死の終末を個々に恐れていることの愚かさを悟れよかし、ということである。

したがって関心を抱くべき「命」とは、刻一刻の死の可能性が、よしんばいついかなる時、現実態になりかけたとしても、微動だにもせずいられる力の存在をこそ信ぜよかし、というメッセージを含んだ神妙な言葉にもなる。その範型として復活のイエスは、みずからの十字架と死を差し出しているのである。

少なくとも原筆記者、あるいはその後、写本の伝播ととともに流浪を余儀なくされたであろう次世代次々世代の一部信仰者集団が、そのようにイエスの信仰を了解していたことを、全くに疑うことはむつかしい。

復活のイエスは、このようにも語る。
本当にわたしは言っておく。わたしの十字架を信じないならば、救われるものは誰一人いないであろう。しかし十字架を信じている者たち、彼らのものは神の国である。だから、命を探し求める死者同然のようになって、まさに死を探し求める者となりなさい。探し求めているものは、その人たちに明らかにされるからである。そこには、彼らを捕らえる何があるのか。死の方向にあなた方自身を向ける時、選びがあなた方に知らされるであろう。わたしの言葉は真実である。死を恐れる者は、誰一人救われないであろう。神の国は、すでにみずからを死に差し出している者たちに属しているからである。わたしよりもすぐれた者になりなさい。聖霊の子のようにみずからを整えなさい。
さらにそれらは、このようにも譬えられている。
天の国をむなしくしてしまわないでいなさい。それは、周囲に果実がこぼれ落ちた(あとの)ナツメ椰子の若枝のようなものだからである。若枝には葉がなり、芽が吹き、ナツメ椰子の実を実らせる働きをなし終え、そして枯れたのである。このように若枝は、たったひとつの根から実った果実と共にあったのである。果実が摘み取られ、そのひとつひとつは多くの収穫者によってかき集められた。もしこのような植物を今新たに生み出すことができるなら、それはなんとよいことであろうか。その時に、あなたがたは天の国を見出すであろう。
「ナツメ椰子の若枝(like a date palm shoot)」とは、まさにイエス自身のことであり、また使徒たちへのイエスの希求でもあり、いわずもがな、後世に連なるキリスト教信徒たちにまで及ぶ言葉でもある。

ここに、イエス「の」信仰はある。そしてここにしか、イエス「の」信仰はない。

躍動感あふれる現存在イエスが見事に描かれている。古代ローマ帝国末期御用学者たちのヘレニスティックな思惟の産物、『使徒信条(the Credo)』、という名の額縁の中の「神の子イエス」などそこにはいない。

じつに凛々しくも精悍な復活のイエス究極の「死生観」である。

「死」を恐れることなかれ。。。これ以上の福音がどこにあるであろうか?


(以上の記事は、2010.12.05、に書かれたものです)

2 件のコメント:

ryohco-edona さんのコメント...

私はキリスト教徒でも仏教徒でもありませんが、唯ひとつ未だに勉強して考えふけっているモノがあります。この記事に対して不適切かも知れませんが投稿させて頂きたく思いました。
それは『般若心境』を10代から書いて居り、救いを求めるとかそう云うものではありません。
以前から仏教とキリスト教にとても共通していると感じていたのは、正に『生とはどういう事であり、死とはどういうものなのか』これを同じ様に説いている節です。
『究境涅槃三世諸仏依』とは、簡略すると唯命とは在るものだという意味です。
しかし生を受け死に行くまでの命は瞬きの如く非常に儚く短いものだが、どの様に生きるのかを選択するのは自分であり、それがやがて死に様に現れるであろう。
この記事のイエスの言葉は、自分にしてきた事、自分がされてきた事、そしてイエスが最期をどのように迎えたのか、そこから学びなさい。そして、いつでも思い出しては自らの行いの様を振り返り、悪に流れ易き己を律する事を知りなさい。そのように言っているように感じました。

『姿なきイエス』という言葉、『十字架を信仰させようとする信徒』これは大変勉強になりました。
イエスや釈迦が教えたかった事は、人の振り見て我が振り直せだったのではないかと思います。
双方とも他者を切り捨てるのではなく、受け入れる心を磨きなさい。ではないのかと思う所があって、殺し合いをしろとは一言も言っていないにも関わらず、聖地争いや宗教の対立をする生ける人間の愚かさを静観しています。

An さんのコメント...

丁寧にお読みいただきありがとうございます。書き出しは、「ヤコブから一筆啓上」、となっています。迫害に苦しむ指導者への往復書簡の一部であったようです。重訳の許可は、初代(原始)キリスト教資料の管理者米国のピーター・キーバイ君から得ておりましたので、全文掲載を、とも思いましたが、ブログとしては長すぎるため、一部だけを紹介しました。

仰るとおりいずれの信仰も、「生き死に」の孤独極まりなき人間体験が主幹となっています。そこからさまざまな枝がとりどりの宗教となって生い茂ります。どの枝振りをよしとし選ぶか、あるいは選ばないかも含め、全権はその方個人に委ねられています。

ご指摘頂いた通り、信仰と宗教の順位が逆転している現実が多くあります。キリスト教も組織化されるにつれ、夥しい数の無垢な信仰者や異民族に筆舌しがたい犠牲を強いてきました。

わたしがイエスの言動の背後に信仰のまことを強く感じながら、教会を離れましたのは、ただイエスの信仰とわたしの信仰を、宗教という名の世俗的な権力機構から守るための選択でした。イエスの生き様とその揺るぎなき信仰が、病にあるわたしを奮い立たせてくれています。

ありがとう。