2012/11/25

私家版・ニーチェ箴言散策集 (5)

ニーチェ箴言散策集
Friedrich Nietzsche
『ニーチェ箴言散策集』(2008.02起稿 2008.07脱稿 Mr. Anonymous)


80節から84節までをどうぞ。。。


原文・翻訳からの引用は、「報道、批評、研究目的での引用を保護する著作権法第32条」に基づくものです。ドイツ語原文は、"RECLAMS UNIVERSAL-BIBLIOTHEK Nr.7114"、日本語訳は、木場深定氏の訳に、それぞれ依ります。

)))080節(((
Eine Sache, die sich aufklärt härt auf, uns etwas anzugehn. - Was meine jener Gott, welcher anrieth: 》erkenne dich selbst《! Hiess es vielleicht:》höre auf, dich etwas anzugehn! werde objektiv!《 - Und Sokrates? - Und der 》wissenschaftliche Mensch《? - 
解明された事柄は、われわれの関心を惹くことを熄める。――「汝自らを知れ!」と勧めたあの神は、どういうつもりでそう言ったのであろうか。恐らくは、「関心をもつことを熄めよ!客観的になれ!」という意味だったかもしれない。――そこで、ソークラテースはどうか。――また、「学問的な人間」はどうか。 
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ご存知の方もおられるかとは思いますが、「汝自らを知れ!」、という「ことば」は、古代ギリシアの聖地デルフォイにあったアポロンの神殿柱に刻まれていた格言である、と伝えられています。

この格言は、フッサールの『デカルト的省察』最終第六十四節の終盤にも引用されているもので、そこには、訳者船橋弘氏による丁寧な「訳注」が施されています。

氏の訳注によりますと、元来は、『「自分のことを忘れるな」「身のほどを知れ」「自分の分限をわきまえよ」といった処世上の格言に解されていた」』もので、ソクラテスはそれを、「いかに生くべきかを考察することを命ずる倫理的要求と解し」、フッサールは、「自我に立ち帰り、自己省察を要求する哲学的要請」と解した、と説明されています。(この段、中央公論社中公バックス版「世界の名著62」参照)

現象学基本文献のひとつとなる名著『デカルト的省察』の初版は1931年。仏訳としてパリで出版されていますので、ニーチェの箴言における引用は、それより遡(さかのぼ)ること、約45年ほどになります。


いずれにしましてもニーチェは、箴言冒頭の第一文を前提にしながら、改めてこの「格言」に問いを投げかけ、そして自ら推断をくだし、さらにその後、他者にも問いかける、といった手順を踏んでいるのが分かります。

第一文目自体は160節の箴言にも通じるもので、哲学者の認識論的な知見一切の浮遊性(仮象性)を揶揄したものとも考えられますが、特に、「格言」への問いからくだされた「推断」の後半部、「客観的になれ!」、に差しかかるや、読み手側の解釈が、一瞬、方域を失ったかのような錯覚に襲われます。お読みになられた皆さん方は、いかがだったでしょうか?

原文自体も<werde objektiv! ヴェァーデ オブイェクティーフ>で、「客観的になれ!」、と訳す以外ありません。

あえて臍を曲げ訳しましても、「公平、公正、中立であれ!」、くらいにしかなりません。


わたしはしばらくの間、その中断を、そのままに放置しておきました。

そうこうしていますうちに、もしかしてニーチェは当初から、その直前にある、「関心をもつことを熄(や)めよ!」、を解きほぐすことによってしか渡れない橋梁として、「客観的になれ!」、という表現を設けていたのではないか、否むしろ、読み手の解釈をそこにおいて中断させたかったのではないか、とさえ感じるようになってきました。

その「問い」を、逆にこちら側から箴言に向けてみますと、哲学者の知見に、「われわれの関心を惹くことを熄める」ほどのものしかないのなら、「関心をもつことを熄めよ!」、つまりは、真理という名の「目的因」に牽引される一切の哲学的探求などやめ、「公平に」、人間存在の「生」の根本衝動からひと時たりとも逃れられないことを、一度は認識の鎧(よろい)を脱ぎ捨て、その身をもって感じてみてはどうか、というサジェッションが秘められた箴言ではなかったか、という思いに誘われます。あくまでもわたし個人の思いではありますが。。。

これで、ニーチェがさらに、「いかに生くべきかを考察することを命ずる倫理的要求と解し」(上掲船橋弘氏による)た「ソークラテース(ソクラテス)」に、まるで確認するかのように念を押し、また、いまめかしき「学問的な人間」にも、問い質(ただ)そうとしたニーチェの思惑も、おぼろげながら見えてくるような気がします。

。。。というふうに考えてきますと、「公平、公正、中立であれ!」、という訳のほうが、躓きがすくなかったかな、と今度はすこし我を張ってみたくもなってきました。人間って罪な存在です。

ところで。。。

私をも含む現代人には、「客観的」という言葉から、すぐさま「主観」の外側に存在するような「実体世界」を直覚してしまう傾向が、強くあります。フォイエルバッハ以降に登場した「唯物論」が、好むと好まざるとにかかわらず、思った以上に深く、刷り込まれているようでもあります。

わたしが、ハタと、「客観的になれ!」、で中断しましたのは、そのことにも要因があったのかもしれません。

哲学史的に敷衍しますと、概略ヘーゲルあたりまで、「客観」は、観念としては、「主観」の一部である、と捉えるむきが、実証主義や経験主義などを除いて、圧倒的でした。


なお、マルクス、エンゲルスの『共産党宣言』が公になりましたのは、ニーチェ四歳の時(1848年)です。また、マルクスの『資本論』第一巻が刊行されましたのは、ニーチェ二十三歳の時でした。さらに、ドイツ社会主義労働党が結成されたのは、ニーチェ三十一歳の時です。(この段、中央公論社中公バックス版「世界の名著」57所収「年譜」参照)

しかしそれらの時勢も、ニーチェの思索を揺るがすことにはならなかったようです。

その意味では、ニーチェの存在の地軸には、微塵のブレもない、と言えるでしょうか。


蛇足ですが、わたしが『共産党宣言』を読んだのは、ナント、英文によるものが最初でした。高校三年生の頃だったでしょうか。かなりショックを受けましたが、若かったんですねえ。

ついでながら、
『蟹工船』がミリオンセラーに!?
風にそよぐ葦でなければ、何と呼べば。。。

腹蔵のある仕掛け(風)を未然に防ぎ、そしてその不徳を諭(さと)す有徳なオンブズマン(市民的監査団体)が、このNIPPON国のあらゆる分野には、もっともっと必要です。

たとえば、教育再生委員会。

これまでどれほど莫大な予算(税金)を投入してきたのでしょう。仮にも、お茶のみ会や親睦会でしかなかったのなら、割り当てられた莫大な個人報酬だけでも、全額返還すべきです。それぞれに、「本職」というものがあるのですから。

「授業時間」や「漢字の字母の数」や「全国共通テスト」を増やすだけなら、猿だってできます。いっそ、莫大な個人報酬の総額を、今日も野宿する労働者に分配した方が、よほど、構成員諸氏の徳は証されるはずです。一抜けた貴方、貴方もそうですよ。

教育界然り、出版界然り、政界然り、財界然り、金融界然り・・・「構造改革」という名の「規制緩和」の本性が、ぼつぼつ噴出しだしてきましたよ。聞いてますか?双頭の怪人、小泉-竹中さん!


書を捨てて街に出る知識人が、激減していることを憂います。
日用の糧さえ得られればいいのが、知識人じゃないのですか?
雨露さえしのげればいいのが、知識人じゃないのですか?
格好なんか、どうだっていいじゃないですか?
すこし飽食し、オシャレにもなり過ぎてはいませんか?
書を捨て襤褸(ぼろ)を着て、街に出てみようと思われたことはないのですか?

若者たちはそんな貴方がたを見て、いつしか無言のまま、未来を目先に限ってしまったのですよ。

(2008年07月11日 記)

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)))081節(((
Es ist furchtbar, im Meere vor Durst zu sterben. Müsst ihr denn gleich eure Wahrheit so salzen, ddass sie nicht einmal mehr - den Durst löscht?
大海のうちで渇きのために死ぬのは怖るべきことである。ところで、諸君は一体、真理がもはや決して――渇きを癒やすことがないほどに、諸君の真理を塩からくしなければならないのか。 
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「論理」や「直観」などによって、事象の根本原理やその背後にある(と思い込んでいる)絶対存在(者)などを探求するプラトン以来の形而上学。それを標的にしたニーチェの一連の箴言は、同じようではあっても、そのつどの座標点が微妙に異なっていたり、象限自体が変えられていたりして、じつに多様で多彩なものとして結実しています。

どれもこれも甲乙つけがたいものがありますが、本箴言は、そのなかでも上質の部類に入るもの、と思われます。特に第一文目は、箴言の仕掛けとして、圧巻です。

第二文目全体に、やや呼応の不自然さを感じますが、翻訳上、やむを得ない処置だったのでしょう。「ところで」と「一体」を伏せ、「・・・ことすらないほど一度に・・・ならないとでも言うのか」という加工も、原文をみるかぎりは、許されるかもしれません。


ただ海水であったがために、溺れ死ぬ恐怖だけでなくまた別の恐怖をも抱かされる。そしてその大海の中で経験するこの二重の危機的状況から迫りくる閉塞感や窒息感。表象するほどに、読み手を息苦しくさせるものがあります。

もちろん「大海」または「海水」は、「(偽装された)真理」のメタファーではあります。それほどまで切迫した形而上学全般への問いかけや批判を、ニーチェは実際、どのように行っているのでしょう。

著作から、すこしだけ、拾い出してみることにします。


まずは、形而上学者の思惟全般に見られる傾向性について。
形而上学者たちの根本信仰は諸価値の反対物を信仰することである。(『善悪の彼岸』第一章 一部傍点あり)
いきなりの引用で分かりにくいかな、とは思いますが、要は、「偽」を前提に「真」を定めたり、「悪」を前提に「善」を定めたり、「醜」を前提に「美」を定めたりするような、いわば二元論的な認識や評価は、あくまでも戯れにすぎない認識活動の「前景」であって、そもそも哲学の「始まり(始源・根源)」などではない、ということです。

そう言うニーチェ自身は、どう考えていたのでしょう。
あの善き崇められた事物の価値を成すところのものの実態は、一見してそれと反対のあの悪しき事物と淫猥な仕方で相通じ、相結び、相鈎がれ、もしかしたら本質的に同じでさえあるというまさにその点に存することさえも、ありうべきことであろう。恐らくはそうだ。」(同書同章 一部傍点あり)
「真偽」も「善悪」も「美醜」も、喩えますと、すべて同母兄弟である、と考えていたようです。


次に、認識や判断を実行している当の「主体」について。
あたかも一般人が稲妻をその閃きから引き離し、閃きを稲妻と呼ばれる一つの主体の作用と考え、活動と考えるのと同じく、民衆道徳もまた強さを強さの現われから分離して、自由に強さを現わしたり現わさなかったりする無記な基体が強者の背後に存在しでもするかのように考えるのだ。(『道徳の系譜』「第一論文」)
前半部は、じつに当を得た比喩で、「主体」の仮象性をみごとに射止めています。

「閃(ひらめ)き」自体が当の「存在」の真理(真実)であって、「稲妻」は、人間主観の認識を通過して得たあとの非存在たる(事実性から遅れた、あるいは逸脱した)「概念」にすぎない、ということです。

「無記な基体」とは、「客観」から超脱した無世界的な「主体」のことで、デカルトの「主観」の成立などに、その元凶を見ているようです。

この「主体」批判は、その後、フッサールやハイデガーなどによって、学的に継承されることになったものです。


あとひとつくらいにしておきましょう。「原因と結果」について。

「原因」と「結果」はまさにただ純粋な概念としてのみ、換言すれば、それは記載や理解の目的のための便宜的な仮構として用うべきもので、説明のために用うべきものではない。「それ自体」のうちには「因果の結合」とか「必然性」とか「心理的不自由」などといったものは何一つ存在しない。そこでは「結果が原因に」継起するということはなく、また何らの「法則」も支配しない。われわれのみが原因・継起・相互・相対・強制・数・法則・自由・根拠・目的などどいうものを捏造したのだ。(『善悪の彼岸』第一章)

「それ自体」や「そこ(では)」とは、前段でも少し触れました「存在」それ自体のことです。また、「われわれ」にニーチェは含まれておらず、こちらも、前段で指摘しました認識「主体(主観)」、と考えていいでしょう。


他にも、形而上学全般への問いかけや批判は、延々と繰り広げられ、ときとして突発的に、実行されたりもしています。


「眉間にしわを寄せた猿芝居など、もういい加減にしたらどうか。」

そんなふうな憤懣やる方なきニーチェの独り言が、聞こえてきそうですね。

この世の現象学学者と解釈学学者は、あなたの苦悩を、必死になって、引き継いでいますよ、天国にましますニーチェ様!

(2008年07月10日 記)

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)))082節(((
》Mitleiden mit Allen《 - wäre Härte und Tyrannei mit dir, mein Herr Nachbar! - 
「万人に同情する」――わが隣人諸君よ――それは君に対する峻酷と暴虐ではあるまいか。(一部傍点あり) 
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ニーチェの「歴史観」の特異性を前提にしなければ、「峻酷(しゅんこく)と暴虐(ぼうぎゃく)」が、自縛的な行為に対して投擲(とうてき)された表現である、ということを見透かすのは、少々難しいかもしれません。


ニーチェの「歴史観」には、通常考えられているような、個々の事象自体の偶然や必然に対する解釈などが、第一義的に関与していません。むしろ氏の「歴史観」は、人間存在の根源、つまりは、「力」からアンビバレント(両面価値的)な意志によってそのつど生成され、繰り出され、構成される価値序列の反復的な交替劇である、と見る特有の、しかも頑(かたく)ななまでの視座に置かれています。「知」は進歩しても、「情」は進歩しない、という拘(こだわ)りが、強くあるのでしょう。


ニーチェは、次のように叙述しています。
人間が存在するかぎり、すべての時代において人間蓄群もまた存在した(血族団体・共同体・部族・民族・国家・教会)。そして常に少数の命令者に対して非常に多数の服従者がいた。――従って、人間にあっては服従ということがこれまで極めてよく、また極めて永い間に亘って訓練され、育成されて来た・・・(『善悪の彼岸』第五章)
そして次のようにも。

平均して現今では誰でも一種の形式的良心として、・・・中略・・・、「なんじ為すべし」と命じるものに対する欲求を生れつきにもっている。この欲求は満足を求め、その形式を内容で充たそうとする。(同書同章 一部傍点あり)

ところで、上掲箴言の「万人に同情する」という表現は、「万人を憐れむ」、と同義と思われますので、公共の福利を標榜する主義一切のメタファーとしての可能性も捨てきれませんが、ここは限定的に、キリスト教で言うところの「隣人愛」、と解しておくことにします。


さてその「隣人愛」が、なぜ、「峻酷と暴虐」に相当するのか?なのですが。。。

上述しました「歴史観」からニーチェは、次のような判断を下しています。
道徳的価値判断を支配する功利性が単に蓄群的功利性であるに止まるかぎり、また眼が専ら集団の保持にのみ向けられているかぎり、なお「隣人愛の道徳」というものは存在しえない。(同書同章)
「集団の保持にのみ向けられている」とは、「集団」への「服従」、つまりは、その安寧秩序を意欲することです。

冒頭に述べましたニーチェのアンビバレントな「歴史観」に立脚すれば、当然、その人・集団を脅かす意欲一切も、それらのなかに生成されてはいます。しかし実は、その間、不道徳なものとして、ただ抑圧されていたにすぎません。

「万人に同情する」、「万人を憐れむ」、すなわち「隣人愛」自体は、なにがしかの人・集団の秩序・安寧が激しく脅かされたがために、その恐怖一切の母体を「不道徳」と見立てる、もしくは、「不道徳」なものとして復讐し、掠奪し、支配することによって、成立したものではないか、とニーチェは、自らの「歴史観」に基づき考えたようです。

次々節でも引用しましたように、「隣人愛」とは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」(マタイによる「福音書」二十ニ章)、という教えに示されているとおりです。

そうしますと。。。「隣人愛」を道徳として成立させた恐怖の母体への施しは、「峻酷と暴虐」になって、自分に投げ返されてしまうことにもなります。

「万人に同情する」という「隣人愛」成立の、この自己矛盾こそを、ニーチェは、上掲の箴言の後景で思い描いていたのではないでしょうか。

「人間の頽廃形式」を見通す「新しい種類の哲学者と命令者が必要となる」、とまで言い切ったニーチェでしたが、残念ながら、ツァラトゥストラを未来の哲学者に託したまま、1900年8月25日、55年の生涯を閉じました。


サミット、サミットと、かまびすしきこの数日でしたが、さて、そのような「命令者」がおられましたかどうか。わたしには、アンビバレントな欲動の不協和音にしか聞こえなかったのですが。。。

(2008年07月09日 記)

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)))083節(((
Der Instinkt. - Wenn das Haus brennt, vergisst man sogar das Mittagsessen. - Ja: aber man holt es auf der Asche nach.
本能。――家が燃えるとき、昼食をさえ忘れる。――そうだ、しかし灰の上で後れ馳せに食べ直す。(一部傍点あり) 
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比較的心身の状態の良いときに書き留められたものではないでしょうか。内容とは別に、どこかしら落ち着いた風趣も漂っています。


わたしたち人間にとっての「理性」や「認識」というものが、どれほどに、脆(もろ)くも儚(はかな)い前景的な仮象であるか。。。そのことをニーチェはユーモラスに描写しています。


「灰の上で後(おく)れ馳(ば)せに食べ直す」の原文はご覧のとおりで、少し含みを持たせ逐語訳を施しますと、「灰燼に帰したもと居た場所に昼食を後から持ち運ぶ」、といった感じになります。

「火事ダア!」の叫びに応じ、我が身だけでなく、食していた昼食のいくぶんかも咄嗟に持ち出していたことが、原文から分かります。このような行動を、病理学的には、下層知性機制や下層意志機制への「退行」、と呼ばれたりもします。


木場先生のご翻訳の完成は、「訳者あとがき」を拝見しますと、1969年になっています。

その当時を個人史的に振り返りますと、わたし自身、吉本隆明さんや大江健三郎さんの評論系、それにサルトルの戯曲・小説・評論など、どちらかと言えばアウトローな主題にかぶれていました時代で、岩波文庫版の『存在と時間』なども、すでに出版されており、入手(だけ)はしていたように記憶しています。

当時の思想的な潮流といたしましては、構造主義がその後どーっと押し寄せる寸前のエアポケットのような頃合で、実存系は徐々に尻すぼみとなり、学生たちを虜にした主義主張も、瀕死の状態に差しかかっていたようです。

わたしが大学院に在籍するようになりました頃には、すでにどの演習も、構造主義系のものばかりで、その幾何的な講義に、わたしは少々うんざり。気分転換?は、他節でも紹介いたしましたが、はるばる鎌倉からお越し頂きました江実(ごうみのる)先生のマライ・ポロネシア諸語の講義。これは最高でした。

。。。とまあ、そのような時代であったわけですが、1969年当時に、「灰の上で後(おく)れ馳(ば)せに食べ直す」、とご翻訳された木場先生の力は、すごいなあ、と感じます。


お気づきになられた方もおられるとは思いますが、上掲箴言の主題の焦点を少し仰々しく表現してみますと、「存在論的差異」、ということになります。箴言という形式のなかにおいて、それをちょっぴり過度に演出した、と言えるでしょう。そのニーチェの過度な演出が、ご翻訳にとてもうまく映し出されているように感じます。


巷間呼称されます「存在論的差異」を執拗に指摘し続けたのは、ハイデガーです。しかしその主著、『存在と時間』のなかにおいてこの造語が使用されている場面はありません。その後の釈義、あるいはその孫引きの結果、一人歩きしているのでしょう。


「存在論的差異」を了解するのは、難解と言えば難解。しかし簡単といえば簡単とも言えます。

ご自分を反省される「もう一人のご自分」を想定されるのが、近道でしょう。

たとえば、「自分ハ今疲レテイル」、と感知し、認識し、そう判断を下していますのは、皆さんお一人おひとりの「ご自分」ではなく、「もう一人のご自分」です。どのように努力し、工夫をこらしても、この時間の順序を逆転させることはできません。

知覚や認識や判断の主体であろう「もう一人のご自分」に、「そのつど、すでに、いつも」先行していますのが、「ご自分」です。万言を尽くしたとしても、「もう一人のご自分」がその「ご自分」を追い越すことなど、健常であるかぎりは、出来ません。

この「ご自分」が、いわゆるハイデガーの言うところの「存在」で、「もう一人のご自分」のほうが、「存在者」となります。この如何ともし難い間隙(かんげき)を、「存在論的差異」と呼んでいます。

つまり、わたしたち人間は、存在論的には、このように「分裂」した状態で、この世に投げ込まれ生きざるをえないものである、ということです。ハイデガーのエネルギーのほとんどは、この「存在(現存在)」の機構や機序を、それ自体において現出させる「問い」を案出しようとした、その壮絶な闘いに費やされた、と言っても過言ではありません。

この「存在(現存在)」の機構や機序については、箴言散策089節の(「世界内存在」の(注))において敷衍しておりますので、興味を持たれた方は、そちらのほうに。


ところで、箴言冒頭の「本能」という言葉を気にされて、「存在論的差異」の演出、というわたしの箴言解釈に意義を挟まれる方もいらっしゃることでしょう。

しかしながら、ニーチェの後期著作における「本能」の使用環境を拾い出しますと、そのほとんどが、「感情」や「衝動」や「意欲」や「意志」や「力」、といった語群に取り巻かれるように構成されています。その点では、上掲箴言を書き留める寸前において、「存在論的差異」に迫るような、あるいは酷似した直覚をニーチェが抱いていたことは、間違いなかろう、とわたしは思っています。

(2008年07月09日 記)

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)))084節(((
Das Weib lernt hassen, in dem Maasse, in dem es zu bezaubern - verlernt.
女は魅惑することを――忘れるようになるほど、憎むようになる。 
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本来は、139節にも通じる箴言ですが、そこではすこし、男性側に立って解釈しています。


次節でも触れていますニーチェの人間観(存在論)からしますと、周囲の人々を魅惑するほどの女性が、そのことを忘れるほどの形相(ぎょうそう)で、他人を今度は憎んだとしても、特段、奇異なことではありません。

一方で、「男は皆狼だ!」という言説を、ご子女教育のための家訓にされているご家庭も、多いことでしょう。しかし、最初の最初から男が「狼」であった、というわけではないでしょう。もしかして、聖者であったかもしれないのですから。。。

その意味では、一部言葉を差し替えれば、男性にも通じる箴言です。

とは言え、実際、その修羅場を経験するとなると。。。


魅惑的な「愛」は、確かに「憎しみ」を切り札として隠し持っていますが、「憎しみ」は、「愛」を切り札にはしません。「憎しみ」それ自体が、最後通告だからです。

「憎しみ」が「愛」に回帰する可能性は、怜悧な打算か、なにがしかの宗教への帰依くらいしかないでしょう。よしんば「復縁」したとしても、もとの魅惑的な「愛」を取り戻すことは、至極困難でしょう。


姿・形や地位や名誉や財産などを利己的に打算する前に、お互いの存在のアンビバレント(両面価値的)な深淵やその傾きや癖のようなものを、二人して覗き込み受容することができたのか、ということのほうが大切だと、わたしはパートナーとの関係を振り返って思います。

「自分ニナイモノヲ彼(彼女)ガ持ッテイルカラ好キニナッタ」

それなら、いつか、彼(彼女)の持つものを、アナタも持つことができるようになったら、その時はどうするのですか?いつかはきっとそうなります。


「似た者同士、似た者夫婦」、という表現があります。

この人間関係をキリスト教徒たちは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」(マタイによる「福音書」二十ニ章)、というふうに伝えています。

まことに無礼ながら、宗教色を脱色させて頂きますと、この教えは一種の「存在論」にも匹敵します。

175節のニーチェの箴言を、ここにも引用しておきましょう。
結局のところ、人々が愛するのは自分の欲望であって、欲望の対象ではない。

余談ですが、

わたしのパートナーは、わたしが鬱々たる表情をしていますと、「あなたの痛みは、私の痛みでもあるのヨ。」、と諭(さと)してくれます。

中卒の学歴を折にふれ悔いながらも、この二十年もの間、女性アルコール依存症者の解放のため全国行脚してきた彼女の、ひと方ならぬ労苦と誇りのなかに、わたしも自分を探し、そして見い出しています。

「人間獣」を揺り起こさないための、これがわたしたちただひとつの愛の方法であります。

愛が憎しみであることを、お互いの知らないところで、じゅうぶん体験してきましたから。。。

(2008年07月09日 記)

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