2013/12/24

クリスマスに見る夢

その誕生からしてすでに飽きるほど多くの推理に弄(もてあそ)ばれてきたイエスですが、わたしなどは、一滴の海水もないそんな推理の大海をよくもまあ真顔して泳げるものだなあ、とむしろ同じキリスト者のほうをみてがっかりしてしまうことが正直あります。

聖書は夥しい数の人々の手からなったまことに幼気(いたいけ)なる、しかしあくまでもおとなのメルヘン。このようにぼつぼつ割り切るべき時代がこの国には来ているのかなぁ、と思ったりも最近はします。

それはわたしたちの体験しているそのつどの未踏の世界が、真実を明かすこと語ることは常に正義であるということを、これまでのようには必ずしも気前よく証ししてくれなくなっているからです。メルヘンでないと触れられない象(かたど)れない真実、そんなものがたくさんどこか近くに眠っているような気がします。

奇々怪々な世界をひとしく真顔で説得するのはとても危険です。豊かな果実に恵まれることもないでしょう。

ここはひとつメルヘンの世界にどっぷりと浸れるような奇想天外な情報発信がこの島国津々浦々の教会から、音もなく降りしきる粉雪のように目ざとくも隈(くま)なく、国内外の孤児・孤独者たちの冷たい窓の隙間めがけ届けられるそんな奇跡の風景を、ぼんやりとした夢の灯りの中に透かしてみたいと思います。

せっかくのクリスマスなのですから。ネッ!

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