2013/12/23

もいちどベンヤミン断章

柘製作所
富士ブライヤーコンビ万年筆
posted by (C)enokov
たかが文庫本と言ってしまえばそれまでなのだが、ベンヤミンの『パサージュ論』全5巻(岩波現代文庫)を読了するにはそれなりの我慢は必要だ。。。と言うより、過度に構えず流すように読みながら、ウン?と感じたその言葉・言い回し・文脈などの「居所」だけを忘れないよう処置しておき(わたしの場合は5ミリ幅の手づくり付箋)、寄せ集め編集された各「章」又は各「巻」をまずは読み切ることに専念して、読み切った暁には遠慮せず胸ときめかせて?各所に立ち返ってみる、といったインターバルを採用したほうが断然よいとわたしは感じた。

上掲書第3巻に収録されている「N:認識論に関して、進歩の理論」は、ベンヤミンの思索の断片が一糸まとわぬ状態で集中した章である。わたしがN章に挿し込んだ「付箋」の数はちょうど五本。今回は、そのうちの一本につき投稿してみたい。すでに2巻からひとつを、そして1巻からもひとつを投稿した。お時間があれば、そちらのほうも合わせてお読み頂きたい。
それぞれの時代に生ける者は、歴史の正午に自分自身を知る。彼らには過去のために饗宴を整える義務がある。歴史家は、死者を宴卓に招待するために遣わされた者である。[N15, 2]
これですべてである。

翻訳ではありまた短くもあるのだが、雷鳴の轟にも似た威厳というものを感じさせる表現となっているのがじつに印象的である。

さて現象学に関心を持っておられる方なら、「(歴史の)正午」がどのような様態を指示したメタファー(隠喩)であるか、きっとお気づきになっておられよう。

その使用の先駆者のひとりを、わたしたちはニーチェに見出せる。
いま言ったように、あとからわれわれの体験、われわれの生活、われわれの存在の十二の時鐘の震動を残らず算えてみる――おっと! そこでわれわれは算え誤るのだ・・・(『道徳の系譜』「序言一」 木場深定訳)
この「十二の時」が「正午」にそのまま受け継がれている。

ただしベンヤミンの場合は、ニーチェの文脈から実存の箍(たが)がほとんどはずれてしまうのではないかと感じられるほどまでに、その外延(意味の適用範囲)をおもいっきり広げて使用しているのが分かる。

その「十二の時=正午」であるが、概略次のような意味であろうと考えられる。

わたしたちの頭上まうえを太陽が照らす「時」のこと、つまりわたしたちそれぞれのものであるわたしたちの「影(存在)」が「わたしたち(存在者)」とぴったり重なってしまう栄光?の瞬間を喩えたもの、と捉えればよかろうと思う。

その「瞬間」の奇跡を明かしてしまえば「死(の疑似体験)」であり、その「瞬間」から時間性を完全に奪うと不定次元における「永遠」にもなる。「死」=「永遠」とはそういうことの等式である。

だから、「あの人は永遠に帰って来ない」という嘆きの表現と、「あの人は私の心のなかで永遠に生きている」といった毅然たる表現とは、「死」自体否定することができない以上、印象としてはまったく反対ではあるが、意味論的にはトートロジー(同語反復)なのだ。この自家撞着(どうちゃく)がしてすでに「影」を通して生起しているのである。

ところで、

「歴史の正午に自分自身を知る」とは、継起的に時間をなぞるノエシス(意識作用)を強調したものではまったくない。「知る」とは基礎語彙、つまり最も古い時代に誕生したであろう言葉のうちのひとつである。「見る」「聞く」とともに「体験」の非言語的な渦中から言語的な環境に無事帰還しえた条件下において、「体験」として想起し確認する戦(おのの)くべき出来事を対格として隠し持った言葉群であったことを思い起こす必要がある。

つまり「死」の疑似体験を通過(to go through)した者が振り返る過去には絶対的な必然が貫通してしまっており、これまでの自分の歩みも、ありとしあらゆる過去の事象を通して整然と意図・計画されていたものであったことを、有無を言わさぬ圧倒的な力によって了解させられてしまう信じられない出来事を表現したものではなかったろうか。その力を何と呼ぼうが、今は問題ではない。

人間の自我分裂は幸も不幸をも、また善も悪をも産む胎ではある。しかしその分裂は、人間の社会的生命・政治的生命・生物学的生命等の維持を可能にさせている唯一の存在論的根拠でもあることへの、ベンヤミン自身のとても深い省察が感じられる。もちろんハイデガーに遡及するものではあるが。

続く「彼らには過去のために饗宴を整える義務がある」という箇所は、以上の解釈で解けるであろう。

今ある「わたし(たち)」を、幸の絶頂であれ不幸のどん底であれ、そのものたらしめている力を通して「そうあるべく」過去の出来事いっさいが神妙に配置されていたことを知らされれば、誰だって「過去のために饗宴を整える義務」どころか、みずから率先してその力の真理(啓示)を証しするため、「わたし(たち)」に連なる過去の配列を少しも変えることなくそのまま祝すための「饗宴」を準備するのは、当然なのではなかろうか。

こうなると最後の部分「歴史家は、死者を宴卓に招待するために遣わされた者である」も無理なく解けるであろう。

「歴史家」ではあってもその「遣わされた」働きは、「饗宴」の開催ではなく、開催された「饗宴」の「宴卓」に限られている。つまり端末において「死者(歴史的事物・人物一切)」を「わたし(たち)」に接続された操作に導き、粗暴に扱われてきた価値を奪還し啓示の要素であったことの名誉を回復させる技能者としての聖なる役割について言及したものであろうと考えられる。

そうだから上掲のベンヤミンの文体が、どこかしら「雷鳴の轟にも似た威厳」をもったものに感じたのかもしれない。

だとすると、もしかしてわたしは高齢者特有のニヒリズムに傾斜しつつあるのかもしれない。ベンヤミンが期待したような歴史家が、この日本国のコード(日本語)とモード(文化的傾向・流行)を掻き分けて現れて来るとは、わたしにはどうしても思えないのである。

★ポチッとお願いします★
にほんブログ村 哲学・思想ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ