2013/12/13

ニーチェ箴言散策集・私家版 (14)

ニーチェ箴言散策集
Friedrich Nietzsche
『ニーチェ箴言散策集』(2008.02起稿 2008.07脱稿 Mr. Anonymous)


125節から129節までをどうぞ。。。バックナンバーサイドバーから。


原文・翻訳からの引用は、「報道、批評、研究目的での引用を保護する著作権法第32条」に基づくものです。ドイツ語原文は、"RECLAMS UNIVERSAL-BIBLIOTHEK Nr.7114"、日本語訳は、木場深定氏の訳に、それぞれ依ります。

『善悪の彼岸』第四章「箴言と間奏」をハイライトしておりますこの「ニーチェ箴言散策集・私家版」も連載14回目。下り坂に入っています。185節が最後の節となりますが、およそ五節ずつアップしてきましたのであと十数回?といったところです。常軌を逸した乱暴な解釈と数々の脱線をお許しいただき、これまで同様これからもお付き合い頂きますよう願います。★---著者An---★

)))125節(((
Wenn wir über Jemanden umlernen müssen, so rechnen wir ihm die Unbequemlichkeit hart an, die er uns damit macht.
誰か或る者について理解し直さなければならないとき、われわれは、それによって彼がわれわれに与える不快を無情にもかれの所為にする。
++++++++++

仮に、当箴言が東大現代文の第一問であったとしましょう(偏差値70レベル?)。

100字以内で箴言の主意を説明せよと問われて皆様方なら、どういった答案を作成されるでしょうか。

わたしなら。。。
原因と結果は、静止的で固定的な関係ではなく、各人が選択し帰属するそのつどの位相の異なりに応じて現象あるいは事象に貸与される推理上の身分で、場合によってはそれら身分が互いに反転してしまうこともある、
ってな感じの解答を答案用紙に書きなぐって東大合格をはたしたいと思います(大笑)。

翻訳が少々気になるのですが、ここは思い切って、ニーチェの思索のいわば羅針盤「パースペクティヴ(性)」の主題近くを流星のごとく横切った箴言、と判断します。

パースペクティヴ<英:perspective ド:Perspektive ペァスペクティーヴェ>という術語は、知の歴史のなかでも幾多の流転を余儀なくされてきた言葉のひとつで、その居所が定まるまでには数世紀もの時を要しました。せっかくですので、ザックリと概観してみましょう。

淵源は、満天を一望におさめる「神の視」に対する被造物(人間)の視座・視点の、脱却不可能な絶対的欠陥性(不完全性)に対する自覚でした。前を見れば後が見えない、右を見れば左が見えない。。。

ところが、ルネッサンス期をむかえる頃からこの術語は、主に絵画の世界に取りこまれはじめ、皆様方よくご存知の「遠近法」や「透視画法」など、空間描写の技法として狭小にも特化されてしまうことになります。ほとんどの辞書が第1番目にこれらの意味を記述していますのは、系譜的には不正確、と言えるかもしれません。

その後、名高き近世の哲学の祖、フランスの哲学者デカルトの「エゴ・コギト(客観から神の如く超脱した無世界的な主観)」によって、「パースペクティヴ」という術語はついにその姿を潜めざるをえなくなりました。

この「パースペクティヴ」という術語がその坩堝(るつぼ)から解放されますのは、十九世紀後半を待たなくてはなりません。

無味乾燥な科学の知に対し、じつはもっと生き生きとしたものが対象への知に先行していたのではないか。。。といった人間存在の底なき底へと向かう真摯な問いが、さまざまな分野から投げかけられるようになります。(以上、新田義弘『現象学と解釈学』第二部第六章第一節を参考に素描 ちくま学芸文庫)

ニーチェ(1844-1900)は、まさにこの時代の幕開けを生きた人なのです。

蘇生した「パースペクティヴ」の生々しい描写を、わたしたちはその後フッサールの『デカルト的省察』(初版は仏訳で1931年)で味読することができます。
わたしは、身体をもってここに存在していて、わたしの周囲に方向づけをもっていひろがっている第一次世界の中心である。それゆえ、モナドとしてのわたしに固有の第一次領域の全体は、ここという性格をもっていて、いかなる意味でもそこという性格をもたない。(第五省察第五十四節 船橋弘訳 下線アノニマス)
と断りながらも、すでに五十三節においては次のように言及されています。
わたしがそこからある物体を知覚するばあい、わたしがここから知覚するのと同じ物体を知覚するのであるが、ただその同一の物体は、わたしがそこから見ることに対応して、ここから見るのとは異なった現われ方で、わたしに現われるであろうということ、いいかえれば、あらゆる物体の構成には、わたしが現在のここから見る場合のその物体の現われの体系だけでなく、わたしがそこに身を移す位置の変更に対応して、完全に規定された現われの体系もまた参加する、ということである。(下線アノニマス)
以降このような「パースペクティブ性(視座の拘束性)」の問題は、ようやくにして現象学の高価な思惟の装飾として認知され、「間主観性」の機序の一部に取り込まれることになります。

しかし残念なことに、この「間主観性」の核となります「(他者への)超越」の問題でフッサールがしどろもどろになってしまったため、以後現代に至るまで「要ハ適当ニ折リ合イヲツケルコトダナ」とか「共通理解ダナ」といった俗解にも、幾度となく晒されることにになりました。

西欧では、メルロ=ポンティの「前(非)人称性」の発見で解決か?と思われた時期もあったのですが、エマニュエル・レヴィナスが提起した「全体性」の主題のなかで痛烈に批判されたりもし、議論なお続行中か、といったところです。ただ全盛期の華々しさは、もうありません。使用頻度も極端に低下しています。哲学史に弁証法なしとは言われますが、9.11以後はたしてどこへ回帰しようとしているのか、まったく予想がつきません。

さて箴言の「誰か或る者について理解し直さなければならないとき」とは、まさに「ここ」から「そこ」、「そこ」から「ここ」に自らの視座を往来させる「とき」のことでしょう。

したがって「それによって彼がわれわれに与える不快を無情にもかれの所為(せい)にする」とは、自らのパースペクティヴの更新に気づかない人間の関係認識の「硬直」性を嘲笑したものではないでしょうか。

(2008年06月20日 記)
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)))126節(((
Ein Volk ist der Umschweif der Natur, um zu sechs, sieben grossen Männnern zu kommen. - Ja; und um dann um sie herum zu kommen.
民族とは、六人か七人の偉人に達するために自然が取る迂回である。――いな、やがて彼らをも迂回して進むためのだ
++++++++++

本書『善悪の彼岸』第八章に「民族と祖国」という章がありますが、「民族」そのものへのニーチェの解釈は、じつは第九章「高貴とは何か」268節において実行されています。

「民族」の定義と言えば、今となってはすっかり古典となってしまいましたスターリンの命題をわたしなどは懐かしく思い出します。同時代を密林の中のパルチザン大将として生きた金日成なども「マーリラン ミンジョギダ(言葉とは民族である)」と述べていますが(著作集参照)、大戦のさなか二人の間には頻繁な交流があったことは周知の事実で、(主体思想も含め)金日成の独創によるものなどでは微塵もなかった事実を否定することは、「世界同時革命」という言葉がまかり通っていた70年代ならいざ知らず、今となってはもはや不可能です。

化けの皮はいつかこのように歴史のどこかで剥げ落ちますが、そのたった一枚の「皮」のため行く末がまったく狂ってしまった多くの人々の傷は、灰になっても消えないのだということを、いかなる組織の指導者であろうとも忘却してはならないと思います。その陳腐な時代をあまりにも真摯に生きてしまったわたしには、この歳になってもなおその傷の確かな疼きを感じることができるのですから。当時のオピニオンリーダーたちは、それを極左(路線)と呼び捨てました。しかしすべてが連合赤軍事件で終わった、というわけでは実はなかったのです。70年代から80年代にかけての構造主義・ポスト構造主義のひろがりを経て、ようやくわたしたちの世代は少しずつ鎮静し、そしてちりぢりに世俗のどこかに身をひそめたのです。

再びこの世に登場した時、ある者は公務員・安定企業・上場企業に、ある者はテレビのなかに、そしてある者はわたしのように野望の果て自我を崩壊させたままドヤ街に落下し這い上がれず、さらにある者は帰らぬ者とさえなっていたのです。団塊世代直後のわたしたちの世代はその意味で、他罰的な物言いになりまことに恐縮ではありますが、安全志向への執心や極左イデオロギーへの魅惑やナルシシズムやニヒリズムさらにはいかほどかの差別や偏見に、静かにじつに静かに八つ裂きにされた世代ではなかったか、とわたし個人としては回顧せざるをえません。

さて、

「民族」に関しましては、ニーチェも「言語(言葉)」に言及しています。ただその重量感のようなものが、スターリンや金日成などとは根本的に違うようです。ニーチェはまず、謎めいた命題から語り出します。
言葉は概念に対する音符である。(上掲書268節)
命題形式ではありますが、その形式を破壊するような意味内容になっています。

一度「中抜き」をしてみましょう。すると、「言葉は音符である」、となります。言葉が音符♪♪♪?

そうです。「音符」表記であるかぎりにおいては、「言葉」は「楽譜」と同じ扱いになります。「楽譜」自体は、実際に奏(かな)でられる音楽そのものではありません。

そこで、「概念に対する音符」たる「言葉」が実際の音楽に転換されるための機序について、次のように明かされます。
概念は、しばしば反復され連結して現れる諸感覚や感覚群に対する多少とも確定的な表現記号である。(同書同節)
あくまで、「多少とも」の「記号」です。そしてさらに続きます。
互いに理解し合うためには、同じ言葉を用いるだけではなお十分でない。同じ種類の内的体験に対しても同じ言葉を用いなければならない。結局、互いに共通の経験をもたなければならない。(同書同節)
「同じ言葉」というのは、まだ音符から脱しきれていない状態にあるものです。しかし「同じ種類の内的体験」と「共通の経験」は、あくまでも「諸感覚」や「感覚群」が長い歴史の中で「類型」(同書262節)化され「固定」(同書262節)されたものである、とニーチェは考えています。

これでごくわずかですが、箴言中の「自然が取る迂回」とさらにその「迂回」への解釈の扉がすこし開いたような気がしますが、いかがでしょう。「長い歴史」という意味が、「自然が取る迂回」という表現に置き換えられています。そこに気がつけばOKです。

このあとの解釈は。。。皆様方への課題としましょう。ヒントは、134節その他にあります。

(2008年06月20日 記)
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)))127節(((
Allen rechten Frauen geht Wissenschaft wider die Scham. Es ist ihnen dabei zu Muthe, als ob man damit ihnen unter die Haut, - schlimmer noch! unter Kleid und Putz gucken wolle.
すべての立派な女性にとって、学問は羞恥に逆らう。彼女らにはその際、自分たちの皮膚の下を、――更に厭なことには!着物と化粧の下を覗かれるような気がするのだ。
++++++++++

「すべての立派な女性にとって」の原文は<Allen rechten Frauen アレン レヒトゥン フラゥエン>です。「立派な」と翻訳されています部分は<rechten>ですが、秀でた、優れた、という意味ではどうもなさそうで、むしろ「(女性性の)自然性を減ずることなく、また損うこともなく保持しているすべての女性にとって」という意味合いでニーチェは使用しているようです。そこを「立派な」と翻訳されたのは、木場博士の深いご配慮があってのことでしょう。

144節の箴言の主題に、逆方向から反応したものです。

「覗かれる」前後の文脈を今風に言えば、(言葉が適切かどうか)「視姦(しかん)」されるに近い嫌忌やそれに伴う恐怖などを表したものでしょう。

次節でも紹介させて頂いております脳生理学者時実利彦先生は、「キンゼー報告」というアメリカ人の性生活の分析結果に触れ、次のように記されています。
男性は見ただけ、聞いただけ、想像しただけで性的興奮を覚えるが、女性はそんなことではビクともしない。皮膚や粘膜に触れてはじめて性的興奮を覚え、・・・後略。(『人間であること』岩波新書 初版1970年)
執筆された1970年当時の社会は、今や激しく改造されており、雑-過剰-情報-偽装-社会にも変貌していますため、当時の氏のご判断が現代の「女性性」の一部としてそのまま適用されうるかどうかについては、いささかの議論も当然あることでしょう。

しかしながら「男性性」へのご指摘は、少なくとも男であるわたしにとってはじゅぶん納得のいく評価ではあります。
いかにして或るものがその反対のものから発生することができようか。
と語りながらニーチェは、暗々裡に形式論理学の盲点(三大黄金律である同一律・矛盾律・排中律)や二元論的認識などに抗戦しながら、ついに哲学者たちを揶揄して次のような語句まで案出しています。
認識の顕微鏡主義者ら(本書『善悪の彼岸』第一章十節)
見事といえば見事。辛辣(しんらつ)といえば辛辣な表現ではあります。

「顕微鏡」の小さな窓から無心に「覗かれる」プレパラートに挿(はさ)まれた断片は、認識者の愛などを感じてはいないのですから。

ところで、「女性性」とは何でしょう。

「女性性」を発現させている「力」とは何でしょう。その「力」にそのつど評価させ、選択を許し、実行を促す、そのような女性の「意志」とはそもそも何なのでしょうか。

突然ですが、

『源氏物語』紅葉賀(もみじのが)の巻に次のような一節があります。

みなさんよくご存知の光源氏。その光源氏との間に不義の子を出産した直後の藤壺の心中を、紫式部は次のように描いています。原文のあとに拙訳を添えておきます。
命長くと思ほすは心憂けれど、弘徽殿などのうけはしげにのたまふと聞きしを、空しく聞きなしたまはましかば人笑われにやと思しつよりてなむ、やうやうすこしづつさはやいたまひける。
藤壺の宮様が、「生き長らえたい」、と思っていなさるのをつらく思いますが、いつぞや、「弘徽殿の女御様(桐壷帝の第一夫人)などが、藤壺の宮様について呪わしげにお話になっておられる」、と藤壺の宮様の耳にも届いておりましたが、そのことを覚えておられたのか、宮様は、「私の命が、このたびの出産のため尽き果てた、と伝え聞きなさるとするならば、私はきっと世間の笑いぐさにもなりましょう。」、と気を強くもたれてからは、しだいにすこしずつご様態も快方にむかいなさった。(アノニマス訳)
藤壺は、桐壺帝最愛の女性(更衣)なきあとの側室でした。義理の息子光源氏との不義から襲ってくる懊悩、それを同じ彼女の意志の力強さが凌駕した瞬間を、紫式部はじつにさりげなく捉え、しかも過不足なく一気に描き切っています。

男性にはなかなか理解できず、したがって見落としがちな「女性性」、いわば真理としての「女性性」のひとつがここにはある、とわたしなどは感じるのですが、いかがでしょう。

要は、女性を真理に見立てたニーチェ特有の、しかも数ある認識(形而上学)批判のなかのひとつと考えればよいのではないでしょうか。「厭なことには」以下の表現が、ニーチェの考えていた学問(的真理)とはおよそかけ離れていることを彼らしくヒステリックに強調した表現になっているのも、そのためです。

(2008年06月19日 記)
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)))128節(((
Je abstrakter die Wahrheit ist, die du lehren willst, um so mehr musst du noch die Sinne zu ihr verführen.
君の教えようとする真理が抽象的であるほど、それだけ一層君は感覚をその真理へと誘惑しなければならない。
++++++++++

どこぞやの喫茶室の片隅で、懇々と、先輩や上司にでも諭(さと)されているような、そんな気分になりそうです(笑)。

皆様方ならどうでしょう。コーヒーカップに手をつけないままうなだれますか?それとも、ガブガブ飲みながら反論しますか?それとも。。。?

いま仮に、「抽象的」な「真理」の教授を複雑な「命題」に関するものとしてではなく、個々の「概念」の説明に関するものとして単純化し考えてみることにしましょう。

「概念」は、ある事象を他の事象から区別し指し示すという意味では、単なる「言葉(名辞)」です。しかしながらここに抽象性や具体性の問題が関与しますと、単なる「言葉(名辞)」だけでは事がすまなくもなります。

ある「概念」の教授法で苦心惨憺されておられる方がいらっしゃるとして、その教授法を案出するためにはまず、「概念」のエネルギー保存法則?とでも言える「外延(がいえん)」と「内包(ないほう)」との関係に対する知解が求められます。

ご存知の方も多いかとは思いますが、簡単に申し上げますと、その「概念」が個々の事象のどのあたりまでに適用されうるものであるのか、というその適用範囲が「外延」です。そしてその適用可能域におさまった個々の事象と事象との間に見出される共通の規定性(属性)のようなもののほうを「内包」と呼びます。すべての「概念」は、この「外延」と「内包」をあたかも宿命のように抱き合わせて成立しています。

たとえば「人間」という「概念」。

その「外延(適用範囲)」は、この地球上の人すべてになります。ところが同じ概念「人間」を「内包」の観点から眺めますと、二足歩行する、言語をもつ、感情をもつ、金髪、黒髪などなど、「すべて」の部分に極度の制約がかかり、そのぶん人間間の差異(「種差」)が目立ってきます。あたりまえと言ってしまえばそれまでなのですが、不思議だなと感じてしまいますと、いつまでもその不思議さが消えないのが、このような「概念」の特性です。

したがって或る「概念」の「内包」の情報量が増大しますと当然「具体的な概念」に落下しますし、逆に情報量が減少しますと「外延」の適用範囲が広がって「抽象的な概念」に上昇することになります。

相対的に表現しますと、落下する「概念」に対して上昇する「概念」のほうを「類(概念)」と呼び、上昇した「概念」からみて落下した「概念」を「種(概念)」と呼びます。

のち伝統的な形式論理学は、「概念相互の関係」、「判断(命題構造)」、そして「推理」へとその歩をすすめることになるわけです。

ところで、

ニーチェは、「君」に対し「感覚をその真理へと誘惑しなければならない」と語っています。その点134節の箴言と重なってはいますが、同主題に接近する表現の角度がまたすこし違うようです。

話を戻します。

抽象的な概念あるいは抽象語言われる言葉を他者に教授する場合、意識するしないかにかかわらず、上述しましたように上昇した「概念(抽象語)」をとりあえずはなんとか下方へ引きおろそうとされる方が多いのではないでしょうか。そのために、なんらかの卑近な例を引き当てたり類推的あるいは比喩的あるいは象徴的に語ったりする方のほうが、比較的多いのではないでしょうか。それはそれで結構だと思います。

ただその場合、とっさに適切な言葉が浮かばなかったり、浮かんだとしても口外するのにはいささか憚(はばか)られるようなものであったりすることも往々にしてあります。また教授される側の日常的な生活「経験」の蓄積具合や、時流やトレンドの急激な変化などによって、思ったほどにはうまく効果を発揮しない場合も考えられます。

上掲の箴言においてニーチェが語っています、「感覚をその真理へと誘惑しなければならない」という表現は、どこかしら謎めいてはいますが(→134節)、「下方へ引きおろそう」とするのとはまた違った伝達法を意味しているようにも感じられます。

わたくしごとでまたまた恐縮ですが、「概念」の解説や説明に何度も難渋し、道中または机の前で、はたまた寝ながらも「表象」という問題に囚われていた時代がありました。その体験は、若かった頃(三十代後半)のわたしを革命的に変えてくれるものでした。

当時は、「○○演習」とか「○○研究」といった体言止めの(名詞を最終に置く)タイトルが講座名の主流でしたが、まさに清水の舞台から飛び降りるような覚悟で、とあるわたしの講座のテキスト名を「○○の○○○○○を科学する」といった動詞の原形止めにしてみました。途端に事務局からも理事長からも、「スタンドプレーは止めてほしい、そんな例は過去にない」等々、あからさまに伝えられ拒絶されましたが、若かったのでしょう。。。わたしは頑として引き下がらず、ついにその表題のまま印刷に。

結果、定員250名の大教室での講義が、立ち見受講者を含めおよそ300名の満員御礼締切り講座となりました。しかも追加のW講座で計600名。集中講座でしたので、一回80分五日間連続講座で受講費一万五千円×600名=900万円となります。わたしの取り分???いや、これ以上はよしましょう(苦笑)。

ところで、

体言止めの表題を動詞の原形止めで表示しただけのことに、十八歳から二十歳程度の当時の若者たちはなにを感じたのでしょうか。

蓋(けだ)しその表題が、後にも先にもなかったであろう彼ら固有の「今」という「瞬間」に潜んでいた感覚を呼び覚まし、双方の間に奇跡的な切迫にも似た贈与関係(約束)を成立させたからではなかったでしょうか。

脳生理学者時実利彦氏は、次のように述べられています。
私たち人間は、新皮質の頭頂・後頭連合野や側頭葉がすばらしく発達しているために、感覚野で感覚として受け止めたものを、側頭葉の記憶の仕組みを足場にして、知覚し、理解し、認識する(『人間であること』岩波新書 初版1970年)
そして「意欲的・創造的な精神活動」は、脳生理学的には「前頭連合野」が司っているとも指摘されています。「判断」も、ニーチェ的にはこの「前頭連合野」に繋がっているのかもしれません。

「表象」は、主に経験と知覚から描かれると同時に内部認識されるものです。それらの一歩先には「感覚」があります。論理性を極度に抑制した現象学的な論考以外なら、概念およびその展開自体は、じゅうぶん「表象」可能なものです。「表象」が可能になりますと、それはもう幾何学と同じになります。そこを精一杯の知恵と工夫で加工する。。。「感覚」、なかでも「視覚」は、障害がない限り教授される側のすべての人間に、移ろいやすい経験や時流を超えてなお共有されるものです。工夫され精選された「表象」は、必ず彼らの「感覚」を射止めます。

概念を言葉として「下方へ引きおろそう」とすることも一手として、さらに「概念」の表象化をそこに組み合わせますと(表象的な語りを身につけますと)、もうこれは百人力というほかありません(笑)。

ニーチェの箴言からは、真理はあなたの内奥にあるじゃないか、いったいどこを向いて真理を語っているのか、という声が聞こえてきそうな気がします。

(2008年06月19日 記)
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)))129節(((
Der Teufel hat die weitesten Perspektiven für Gott, deshalb hält er sich von ihm so fern; - der Teufel nämlich als der älteste Freund der Erkenntniss.
悪魔は神々に対して最も広い見通しをもっている。それ故に、悪魔は神からあんなに身を遠ざけているのだ。――すなわち、悪魔は認識の最も旧い友である。
++++++++++

「箴言と間奏」に収められた節群の中では、比較的難解な部類に入るでしょうか。

この箴言を一読して、ナアルホド、フムフム。。。と呟く方がおられたとしますと(いや、おられるかもしれませんが)、その方は只者(ただもの)ではないかもです。

もちろんわたしはただの「只者」ですので、不器用な物言いをご辛抱頂き、とりあえずは「神々」が最初の鍵である、と申し上げることから始めたいと思います。

「旧約聖書」のなかにも、偶像礼拝の対象としての部族神が描かれています。しかしこの箴言の「神々」をそれら部族神と見立ててしまいますと、ほどもなくわたしたちは意味論的な瓦解(がかい)を経験することになります。唯一絶対神ヤハゥエ(注)は、部族神を「悪」と見なすからです。「悪魔」が「悪」に対して。。。という意味の衝突です。
(注)唯一絶対神に関しては、在野のユダヤ系ドイツ人思想家エルンスト・ブロッホ(1885-1977)『キリスト教の中の無神論(上)』第四章の叙述展開が、議論のひとつの基準・レベルをよく示しているものと思われる。関心のある方々は、参照されたい。
ニーチェの著作(特には処女作『悲劇の誕生』)には、ホメロス(前九世紀の詩人らしき人物)やヘシオドス(前八世紀の詩人らしき人物)などの描いた神々の名が、ところどころに引用されています。もともと幅広い古典文献学者でしたので、当然といえば当然なのですが、その点から見ましても、部族神とみるよりは、ギリシア神話に登場する多くの「神々」を思い描いていたと考えるほうが自然であろうと思います。「悪魔」に近いものは、ギリシア神話としては、冥界(死者の国)の王(神)ハデスとその臣下くらいであることから考えますと、むしろ古代ギリシア・ローマで狡知に長け詭弁を弄していた民間伝承の「悪魔」であるかもしれません(注)
(注)ギリシア神話に関する包括的な入門書としては、F.ギラン『ギリシア神話』(中島健訳 青土社 訳本初版1982年 *モノクロの遺跡遺物写真が豊富)、D.ベリンガム『ギリシア神話』(安部素子訳 PARCO出版 訳本初版1993年 *解説は少なめだが、絵画を中心としたカラー写真が豊富)。その他、豊田和二監修『図解雑学 ギリシア神話』(ナツメ社 初版2002年)も、マニュアル本の体裁ながら、監修者の細やかな配慮は行き届いている。遺跡遺物に関しては、イラスト描きとモノクロの写真半々。
いずれにしましても、「悪魔は認識の最も旧い友である」という本箴言最大の「命題」の釈義も、そしてまた「広い見通し」や「身を遠ざけている」などに秘められた性格への接近も、この「神々(ギリシア神)」へのニーチェの了解を紐解くことによって、いかほどかは可能になってくるのではないでしょうか。

ニーチェは、次のように語っています。
高貴で自主的な人間の反映たるあの神々にあっては、人間のうちにある動物は自分を神のように感じたので、従って自分自身を食い裂くこともなかったし、自分自身に対して狂暴を仕かけることもなかったのだ!あのギリシァ人たちは極めて長い間、彼らの神々を実に「良心の疚しさ」を寄せつけざらんがために用い、彼らの精神の自由を楽しみ続けんがために用いた。つまり、彼らは神々をキリスト教における用い方とは正反対の意味において用いたのだ。(『道徳の系譜』第二論文二十三節)
このような趣旨に似た「神々」への叙述は、ニーチェの著作全般に突出するかのような形で登場します。

なかでも「衝動・激情・祝祭の歓喜・陶酔」などの象徴神、酒神ディオニュソスへの思い入れには、尋常ならざるものがあるようです。もちろん、凡そ「神々」には、ギリシア神にかぎらず、支配的かつ暴圧的で残忍な利己的仕草も同伴しており、したがって「恐怖」や「畏敬」や「畏怖」などの対象になっていたことにも、留意しておく必要はあるでしょう。

上掲箴言の「神々」を、そのような性格一切を保つものとして解しますと、ニーチェの生々しい思惟の次のような動めきが、そこに透けて見えてくるようにも感じます。
ある量の力とは、それと同量の衝動・意志・活動の謂いである――というよりはむしろ、まさにその衝動作用・意志作用・活動作用そのものにほかならない。それがそうでなく見えるのは、ただ、すべての作用を作用者によって、すなわち「主体」によって制約されたものと理解し、かつ誤解するあの言語の誘惑(および言語のうちで化石となった理性の根本的誤謬)に引きずられるからにすぎない。(『道徳の系譜』第一論文十三節)
そしてほどなく、『作用・活動・生成の背後には何らの「存在」もない。』(同上同節)と断定します。

「神々」に象徴させたこのような生の根本衝動たる「力」の様態(獣性や本能的衝動)一切が、わたしたち人間の内奥に、すでに先行的に蠢(うごめ)いているのが分からないのか、という詰問が見え隠れしています。


「われ」という認識論的な「主体」から出発した近代哲学の始まりを「先入見」であると批判し、形而上学的な「思惟もまた意志の成素」(『善悪の彼岸』第一章十九節)にすぎない、とするニーチェの主張の重要な根拠が、この「力」の先行性にあった、と見てもよいでしょう。

これで箴言のなかの、「広い見通し」や「身を遠ざけている」などに秘められた性格が、たとえ「弁証法」といえども、伝統的な形式論理学的思惟の「先入見」的な形式から逃れられなかったヘーゲルあたりまでの諸哲学の性格を、箴言として表現したものであったことが分かってきます。

それらの延長線上に立つかぎりは、いくら「真理」を探索し追い求めてみても「前景的」(同上第二節)なものしか生み出しえず、その線を延ばせばのばすほど、なるほど「広い見通し」は可能であろうが、「力」からはますますにしてその「身を遠ざけ」る結果になろう、ということなのでしょう。

「論理学」になくてはならない関係項のひとつに、みなさんよくご存知の「原因と結果」がありますが、それについてもニーチェは次のように語っています。
「原因」と「結果」はまさにただ純粋な概念としてのみ、換言すれば、それは記載や理解の目的のための便宜的な仮構として用うべきもので、説明のために用うべきものではない。「それ自体」のうちには「因果の結合」とか「必然性」とか「心理的不自由」などといったものは何一つ存在しない。(『善悪の彼岸』第一章二十一節 一部傍点あり)
いかがでしょう。

「悪魔は認識の最も旧い友である」といったニーチェの風味、少しは届きましたでしょうか。

(2008年06月18日 記)
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