2012/11/16

私家版・ニーチェ箴言散策集 (2)

ニーチェ箴言散策集
Friedrich Nietzsche
『ニーチェ箴言散策集』(2008.02起稿 2008.07脱稿 Mr. Anonymous)


65節から69節までをどうぞ。。。


原文・翻訳からの引用は、「報道、批評、研究目的での引用を保護する著作権法第32条」に基づくものです。ドイツ語原文は、"RECLAMS UNIVERSAL-BIBLIOTHEK Nr.7114"、日本語訳は、木場深定氏の訳に、それぞれ依ります。

)))065節(((
Der Reiz der Erkenntniss Wäre gering, wenn nicht auf dem Wege zu ihr so viel Scham zu überwinden wäre.
認識への途上において克服すべき羞恥がさほど多くないとしたら、認識の魅力は僅かであろう。 
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ひとつの文脈のなかに、「認識」と「「羞恥」という言葉が収まっている、そのこと自体への違和を、わたしたち読み手は、先に感じ取っておく必要があるでしょう。


「羞恥」の語義は、もちろん、「恥ずかしく思うこと」、ですが、他者の視線に晒されることを嫌忌(けんき)する、というところにも、特徴があります。その意味では、「隠蔽」や「偽装」や「仮装(仮象)」などの仕草と、とても親密な関係にある言葉です。

そのような「羞恥」が、「認識」自体にではなく、「認識への途上」において、まさに随伴する、と見立てたところに、ニーチェの思索特有の傾向が見受けられます。

ニーチェは、こんなふうに語ります。
或る哲学者の大概の意識的な思惟は、その本能によって秘かに導かれ、一定の軌道を進むように強いられている。あらゆる論理とその運動の外見上の自主性の背後にも、評価が、もっと明瞭に言えば、或る一定の生の保持のための生理的な要求が存している。(『善悪の彼岸』第一章)
「意志的な思惟」を「認識(行為)」と捉えても、大差はないでしょう。

また、「あらゆる論理とその運動の外見上の自主性」とは、その「意志的な思惟」により構築された作品、つまりは、理論や(概念の自己)運動などの「完成態」を表したもの、とみることができます。


問題は。。。

その「意識的な思惟」や「完成態」に、影の如くに随伴する「本能」、あるいは「生理的な要求」を見い出している点にあります。

この点に関し、ニーチェは次のように敷衍(ふえん)しています。
行為における非意図的なもののうちにこそ行為の決定的な価値が存するのではないか、また行為における一切の意図的なもの、意図という点から見られ、知られ、「意識され」うる一切のものは、いまだ行為の表面や皮膚に属するのではないか、――それはすべての皮膚と同じく、何かを窺わせるが、しかしなおもっと多くを隠しているのではないか、という疑念が生じてくる。(同書第二章 一部傍点あり)
「行為」を「認識」に読み替えてみますと、いくぶんかは理解しやすくなります。

確かにニーチェは、「何か一つの小さな独立の時計仕掛けのようなもの」である、と厳しく「認識」を揶揄してはいますが、しかし、そのものを抹消・抹殺しようとしているのではありません。それは、次の一節からも分かります。
論理的な虚構を承認することなしには、無条件的なもの・自己自らに等しいものという純然たる仮構の世界に照らして現実を測ることなしには、また数によって世界を絶えず偽造することなしには、人間は生きることができないであろう、――つまり誤った判断を放棄することは、、生を断念することであり、生を否認することになるだろう、と。(同書第一章)
そしてニーチェの本意が、瞬間、その顔をのぞかせます。
問題になるのは、それがどれほど生を促進し、生を保持し、種族を保存し、のみならず恐らくは種族を訓育しさえするか、ということである。(同書同章)
「認識」の領域は、主観内部に限定されたものではなく、「認識」主観の背後にある、もしくはそれら一切に先行する人間の「情念」、つまりはあらゆる価値を持った感覚群や思惟をも含む人間の「根本衝動」から、絶えず、痛烈な再解釈を受け続けているものなのではないか、というニーチェ特有の視座が浮上しかけています。
真実なもの、誠実なもの、無私なものにどれほどの価値が帰せられようと、仮象、欺瞞や我欲や欲望への意志に一切の生にとってのより高く、かつより原則的な価値が帰属させられなければならないだろうことは、ありうべきことであろう。(同書同章)
というニーチェの推断も、同じ視座から湧出したものでしょう。


上掲箴言の「克服すべき羞恥がさほど多くないとしたら、認識の魅力は僅かであろう」、という逆説的な推断も、要は、上述しました人間の「根本衝動」のより高い序列化を隠蔽的に具現した「認識」をこそ、ニーチェが標榜し、また眺望もしていることを、仄めかそうとしたものではないでしょうか。

人間存在の根源に根を持たない「認識」であればあるほど、「何か一つの小さな独立の時計仕掛けのようなもの」にますます近づき、有益ではあっても、「魅力」がある、とはとても言えない、ということなのでしょう。

(2008年07月19日 記)

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)))065節 a(((
Man ist am unehrlichsten gegen seinen Gott: er darf nicht sündigen!
罪を犯してはならない!と言うとき、人々はその神に対して最も不信実である。(一部傍点あり)
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「不信実」自体は、「不正直、不誠実」といったほどの意味です。


周知のように、『聖書』における最初の「罪」は、エデンの園の出来事として描かれています(参考:散策集152節)。

しかしそれ以降にも、律法を犯した罪や、日常の些細な罪までをも含め、じつに多くの罪の姿やその顛末が、『聖書』には記録されています。

その最たるものが、イエスの磔刑になります。


いわゆる「原罪」を一手に引き受けたイエスの贖(あがな)いによって、人類と神との和合が成立した、とは言われますが、反面で、キリスト教文化圏に生れ落ちた人間を、執拗に苛(さいな)む孤独というものにも、それは繋がっています。

仏教や密教や儒教や神道などの習合の、えもいわれぬ宗教文化の内に生きるわたしたちにとの間には、相当の懸隔があるのは事実です。


たとえば、浄土真宗の開祖、親鸞聖人の言行録に『歎異抄』がありますが、「彌陀の本願には、老少善悪のひとをえらばれず、たゞ信心を要とすとしるべし」、という姿勢のもとに、次のように語られたことが記録されています。
善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をやと。この條、一旦そのいはれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。(岩波文庫 1935年版)
我執を捨て去った他力本願という目的因から見れば、キリスト教も同じです。


しかしながら、キリスト教の場合、その目的因を成就させるに際し、じつに多くの「試み」が介在しており、それをまずは超克しなければなりません。

「親鸞にをきては、たゞ念佛して彌陀にたすけまひらすべしと、よきひとのおほせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり」、とはいかないところに、キリスト教文化圏に生きる人たちの苦悩と深い孤独があります。

すべての躓きが「神」の「試み」であり、「神」に背を向けていることに発する、そのことを受容するためには、たいへんなエネルギーを要します。だからこそ、文豪ドストエフスキーは誕生したのでしょう。

上掲のニーチェの箴言は、その戸惑いと矛盾の一端を描写したもの、と思われます。


不信心なわたしが言うのもおかしな話ですが、それにしても、『聖書』に触れる機会が、この国においては、少なすぎるでのはないか。。。そんな気がします。「中立」を守らなければならないと仰るのなら、せめてアリストテレスの「中庸」の厳しさだけでも、未来ある人たちに、学んで頂きたいなあ、と思ったりもします。

それもだめなら、わたしのように奔放に生き、躓くだけ躓け、としか言いようがなくなります。

(2008年07月18日 記)

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)))066節(((
Die Neigung, sich herabzusetzen, sich bestehlen, belügen und ausbeuten zu lassen, könnte die Scham eines Gottes unter Menschen sein.
自分を蔑ませ、自分を偸ませ、欺かせ、奪わせようとする傾向は、人間のもとにおける神の羞恥であるかもしれない。
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人をなだめたり、すかしたりする時、「もっと素直になれ、もっと謙虚になれ」、といったことばがよく使われます。ときには、「そんな誇りなど捨ててしまえ」、という最後通告が発せられたりすることもあるでしょう。

しかし、言われた当人にしてみれば、「なれるものなら・・・、できるものなら・・・」、とどこかですでに感じている場合が多いようです。

「自分ダケガ苦悩シテイルンジャナイ、ホカニモキット」。。。と理性では納得していても、苦悩はいとも簡単に、その理性のウソを見破ってしまいます。

「あなたに何が分かる?わたしの苦悩の一体何が分かると言うの?そんな簡単なものじゃないのよ・・・」、と思わず応じたり、応じられたりすることだってあります。


簡単に分かられたくない、知られたくない、という気持。それは、みずからの苦悩の深さへの愛着と拘泥(こいうでい)であり、したがって悟られたくない「羞恥」にもつながり易くなります。

なだめればなだめるほど、また、すかせばすかすほど、「羞恥」は強化され、ますます苦悩が隠蔽されてしまうことになります。

そのうち。。。

にっこりと笑みを浮かべて、彼・彼女たちは、ひょっこりとあらわれます。その時にはもう、苦悩の欠片すら感じることができません。こちら側の完全敗北です。


人間はこうして、幾度もの齟齬(そご)と別れを、体験してきているのでしょう。

ニーチェは、次のように語っています。
深いものはすべて仮面を愛する。何よりも最も深い事物は、象徴や譬喩に対して憎悪さえもつ。反対ということこそ、神の羞恥が着てしずしずと歩くにぴったりした仮装ではあるまいか。(『善悪の彼岸』第二章 一部傍点あり)
予め整備された信仰への一本道など、どこにもありません。

おそらく信徒たちのほとんどは、それぞれにしか見えない茨(いばら)の迂回路を通って、ようやくにして信仰に辿り着かれているのでしょう。

「自分を蔑(さげす)ませ、自分を偸(ぬす)ませ、欺(あざむ)かせ、奪わせようとする傾向」において、「原罪(参考:散策集152節)」に気づかせ、そして贖罪(しょくざい)を通して、神の愛に身を託すよう導くのが神の御技(みわざ)、と聞いております。

そこにニーチェは、残酷にも大仰な神の「羞恥」を見たのでしょう。

人間相互においては、とても具現できることではありません。

(2008年07月18日 記)

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)))067節(((
Die Liebe zu Einem ist eine Barbarei: denn sie wird auf Unkosten aller Übrigen ausgeübt. Auch die Liebe zu Gott.
ただ一人の者への愛は一種の野蛮である。それはすべての爾余の者を犠牲にして行なわれるからである。神への愛もまた然りである。
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「爾余(じよ)」は、「その他」の意。

明治期~昭和前半期頃までの文学、あるいは文芸評論などにおいては、「爾余一切の」、という句形で用いられる場合が、比較的多いように思われます。


箴言自体は、125節で主題となっていますパースペクティヴ(視座の拘束性)を、「愛」というモチーフをフィルターに、少し違う角度から点描したもの、と考えていいでしょう。

125節では、「視座変更」への非情な無自覚さ、というものに力点が置かれていますが、こちらのほうはむしろ、如何(いかん)ともしがたい「視座」の宿命的な峻酷さだけを、切り取るように書き留められています。


「イヤ、一人デモ二人デモ同時ニ愛セルヨ」、という殿方もいらっしゃるでしょうが、おそらくそれは、エロスとしての「愛」が、いくぶんか勝(まさ)ったものではないでしょうか。


エロスとしての「愛」をキリスト教がどのように捉えているか、を考えるにあたっては、55年または56年頃の成立と考証されますパウロの「コリント人への手紙 第一」第七章が、基準になります。

そこでパウロは、「性」を、「情の燃える」ものであるとともに「自制力を欠」かせるものでもあり、その意味では「サタンの誘惑」でもある、と指摘しています。しかしながら、神(主)への奉仕を怠ることにはなるものの、「不品行(淫行・姦淫、今で言う不倫や買春をも含む)を避けるため」、および「自制することがきな」い場合にかぎり、「結婚しなさい」、とも語っています(参考:散策集141節)。


上掲箴言の「ただ一人の者への愛」には、そのようなエロスとしての「愛」の要素が希薄です。むしろ、「神への愛(アガペー)」と重ね合わせる形式を意図的に踏むことで、箴言の主題をより純化しようとしたのではないか、と思われます。

その「視座」の峻酷な拘束性を、アプリオリなものとして素通りせず、「一種の野蛮である」、と見立てたところに、ニーチェの思索の特異なダイナミズム(動性)、というものを感じますし、同時に、更なる高みを捉えんとする強い意志を、一瞬間、垣間見せられたような気にもなります。


『三人称小説の語り手は、通常「全知の語り手」(omniscient narrator)と呼ばれる』、とは、廣野由美子氏の指摘ですが(『批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義』中央公論社刊 中公新書 初版2005年)、もしかして、ニーチェではなく、ニーチェの中に潜む360度の視界をもった「超人」が、「一種の野蛮である」、と語っているのかもしれません。

オオ、ナント不気味ナコトヲ!

(2008年07月18日 記)

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)))068節(((
》Das habe ich gethan《 sagt mein Gedächtniss. Das kann ich nicht gethan haben - sagt mein Stolz und bleibt unerbittlich. Endlich - giebt das Gedächtniss nach.
「それは私がしたことだ」と私の記憶は言う。「それを私がしたはずがない」――と私の矜持は言い、しかも頑として譲らない。結局――記憶が譲歩する。
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「矜持(きょうじ きんじ)に関しては、73a節の箴言でも主題になっています。

そちらのほうがホンモノ。こちらのほうは、ちょっとあやしい。。。今まさに、「虚栄」や「虚偽」に転落しようとして、グラグラ揺れ始めているのですから。


大きく筆書きして、官・公・民すべての権限者のデスクのうしろ側にでも、ドーンと、張り付けてほしい箴言です。出来れば、垂れ幕にして豪華な建造物の外壁にでも。鉢巻という方法もあります。


ニーチェ的に申しあげますと、「情念(根本衝動)」の位階秩序、いわば、倫理(道徳)内部の抗争、というものが主題になっています。

「自分の能力を信じて誇る」ことこそが、本来の「矜持」なのですが、残虐な刑罰による「記憶」の強化が許されない人権社会のお陰?で、「能力」が郷愁の彼方に去り、「誇り」が前景に出すぎてしまった、その位階の転倒と、「矜持」の意味論的な乖離が、みごとに描出されています。

こうなりますと、紋切り型の「謝罪」が始まるのは、時間の問題です。今日もまたぞろ懲りない面々が登場するやも。。。


ニーチェは、こんな指摘をしています。
特に彼の道徳は、彼が誰であるか、ということに対する決定した、かつ決定する証言を与える。――換言すれば、彼の本性の最も内奥の諸衝動がどのような序列に置かれているか、ということについての決定的な証拠を提示する。(『善悪の彼岸』第一章 一部傍点あり)
外的な環境や境遇や諸条件や、ましてその人の実績や業績などにではなく、「人間本性の最も内奥の諸衝動の序列」に照準を合わせたニーチェの観察眼には、驚嘆すべきものがあります。


「記憶にございません」、という弁解もあります。
「さあ、どうだったか・・・」、というおとぼけもあります。

これらは、米国に身を売らんとした元凶、小泉ー竹中路線が企図した「規制緩和」を逆手にとった輩(やから)たちの断末魔たる言葉群です。連日の如く垂れ流される情報。その過剰な情報に、一方的に晒されるアウトローたち。


そのアウトローを強いられた人間たちの「情念の位階秩序」が、暴発・暴力性を先頭に組替えられ始めたとして、だれがそれを批判することなどできましょう。

問題は、この穏健な島国NIPPON国が、「革命」という死闘や、民族解放のための苦渋に満ちた戦いを、あるいは宗教戦争を、歴史的な事実として体験していないことにあります。対岸の火、と眺める情操だけに呪縛され養われてきています。

情念の、したがって人間の根本衝動の誘導に失敗した60年安保すらいまだ総括できないで、政権交替に幻想を抱かせ続けるのは、改革党、あるいは前衛党の残酷ではないでしょうか。

わたしは、なにがしかの改革党や前衛党の党員でもなければ、シンパでもありません。

しかしそれでも、レーニン主義の初心に戻れ、と申し上げたいと思います。

レーニンや毛沢東やチェ・ゲバラや金日成、あるいは第三世界の指導者たちの偉大さは、困窮極まりなき人民大衆の情念の根本衝動を、「革命」の一点に誘導した点にあります。

これだけのアウトローを抱えていて、「暴動」や「革命」が起こらない国も、珍しいのではないでしょうか。

治安が高度に維持されているから。。。?いえいえ、そうではありません。

愚痴はこぼすものの、圧倒的多数の民衆が、衣食住に困らず、過剰な情報にもくすぐられているからです。高度に発達した資本主義、ネオリベラリズムの、それが最後の憐れで愚かなる精一杯の演出であり、術策です。東の果ての海に守られた国だからこそ、たまたま秩序が維持されているように見えているにすぎません。その裏で虎視眈々と、より安価な労働市場の開拓を無際限にも狙わんともしているわけです。


ニーチェの言う「隔世遺伝」(上掲書第九章)が、この国にも現われ始めています。

(2008年07月17日 記)

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)))069節(((
Man hat schlecht dem leben zugeschaut, wenn man nicht auch die Hand gesehn hat, die auf eine schonende Weise - tödtet.
労るような仕方で――殺す手を見たこともないような者は、人生を素朴に眺めて来た者だ。
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当「箴言散策集」125個のなかでは、主題がすこし見えにくく、唐突な感じのする箴言の部類に入ります。

訳者間に若干の差異があり、評価の強弱もみられはしますが、「者」を揶揄するという方向に関しては、異同はないようです(注)
(注)たとえば、「いたわるような振りをして――殺す手を見たことのない者は、ぞんざいに人生を見てきた者だ。」(信太正三訳『ニーチェ全集11 善悪の彼岸 道徳の系譜』 ちくま学芸文庫)や、「いたわりつつ殺す手を見たことのない者は、人生をきびしく見た人ではない。」(竹山道雄訳『善悪の彼岸』 新潮文庫 初版1954年)などがある。適訳かどうかの議論はさておき、日本語表現としては、竹山道雄氏のものが、「翻訳らしき翻訳」のように、わたしには思われる。
原文自体はご覧のとおりです。

ただそのうち、<…, wenn…auch…>を、従属節内における慣用語法と見立てて、「たとえ殺す手というものを経験したことのない者でも」、と訳出し、さらに<dem Leben>を、「人生を」ではなく「生を」に取り替えることが許されると仮定しますと、「者」に対する評価価値は大きく変わります。

いかなる仕草を選択しようとも、先行する「生」の形式から人は逃れることができない、という巨大な独断も、また趣があっていいんじゃないでしょうか(笑)。

ネット上で、比較的よく引用されている箴言ではあるようです。なぜかは、各位それぞれの事情や思いがあってのことでしょう。何を確信されて引用されたのか、どうも分かりにくいものばかりで。。。

本節は、この程度で。

なお、白水社版『ニーチェ全集』の翻訳は未見です。なにせ無精なもので。。。

(2008年07月16日 記)

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