
以来五十三年、待つには待ってみたが、その続きを知ることはついぞなかった。しかしなぜそんなにも長く、馬鹿正直にわたしは物語の再開を待っていたのだろう。
九歳までの記憶はどれもこれも、溺れるほどの幸せと歓喜のなかにあった。
上町(うえまち)台地一等の高台、大阪は天王寺区伶人町にある名門星光学院の初代校長、サレジオ会出身マルジャリア神父との出会いもそのひとつである。
ハイデガーは福音書に神の子ならぬ現存在イエスを看破しました。使徒信条や教会牧師の礼拝説教から彼を解き放ってこそ、あらゆる痛苦懊悩に勝利した彼の人間洞察、信仰の存在論的機序が蘇ります。★キリスト者の脱 / 再構築風 - キリスト教的覚え書き。(2011-2014)
或ることに関して多弁をろうしたからとて、それによって了解内容がさらに深まるという保証は、いささかもない。(ハイデガー『存在と時間』第三十四節 原佑訳)わたしは見た。