2013/02/11

ニーチェ箴言散策集・私家版 (8)

ニーチェ箴言散策集
Friedrich Nietzsche
『ニーチェ箴言散策集』(2008.02起稿 2008.07脱稿 Mr. Anonymous)


95節から99節をどうぞ。。。既投稿分閲覧右サイドバーリンクから。


原文・翻訳からの引用は、「報道、批評、研究目的での引用を保護する著作権法第32条」に基づくものです。ドイツ語原文は、"RECLAMS UNIVERSAL-BIBLIOTHEK Nr.7114"、日本語訳は、木場深定氏の訳に、それぞれ依ります。

)))095節(((
Sich seiner Unmoralität schämen: das ist eine Stufe auf der Treppe, an deren Ende man sich auch seiner Moralität schämt.
自分の不道徳を恥じること、――これは、終極において自分の道徳性をも恥じるようになる階段の一段である。
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「わたくしの不徳のいたすところでございまして・・・」、などという詐欺紛いの弁明など、ニーチェにはまったくもって通用しません。

黙示録のような不気味さをもった箴言です。

そもそもニーチェは、
道徳もまた情念の一記号法にすぎない(『善悪の彼岸』第五章187節)
という強い思い、つまりは、「情念」の外殻や衣装のようなものにすぎない、という信念を、あらゆる事象に対する道徳的解釈の前提にしています。

その点を見逃しますと、この箴言を解凍するのにたいへんな労苦が強いられます。


虫の居所が悪かったのか。。。倫理学者でもあり哲学者でもあったショーペンハウァー(1788-1860)に対しニーチェは、次のように激しく揶揄(やゆ)してもいます。
≪何人をも害うなかれ≫主義の道徳に対して、然りを言ってフリュートを吹くとは、どういうことか。これでも本当に――厭世主義者なのだろうか。(同書同章186節))
上掲箴言の背面に、「恐怖が道徳の母」(同書同章201節)であったにもかかわらず、「ドウシテオ前ハソレヲ恥入ルノカ?」、という逆説的な「問い」が付着しているのは、これで明らかです。

「冒険心・暴勇・復讐心・老獪・掠奪欲・支配欲といった或る強く危険な衝動」(同上)や「高邁な独立精神性、孤立への意志、偉大な理性」(同上)さえも暴圧する「道徳」は、いくら「公共心・好意・顧慮・節度・謙譲・寛容・同情」(同書同章199節)などの美辞麗句で正装されていようとも、「同じ原因」(同書同章200節)から誕生したものにすぎないのだ、とニーチェは思っていたのかもしれません。

「同じ原因」とはもちろん、生・死の「衝動(欲動)」、すなわち母なる「力」を指しています(→100節、103節などの箴言散策をご覧ください)。

余談ではありますが、

上掲箴言のパロディは、成立するでしょうか?

一度試しに挑戦!
「自分の不純を恥じること、――これは、終極において自分の純粋性をも恥じるようになる階段の一段である。」
ウ~ン、いまいちですかねぇ。。。(苦笑)

(2008年07月05日 記)

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)))096節(((
Man soll vom Leben scheiden wie Odysseus von Nausikaa schied, - mehr segnend als verliebt.
生に別れを告げるには、オデュセウスがナウシカアから別れたときのようであるべきだ、――恋々とするよりは、むしろ祝福しつつ。
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オリュンポス十二神のうちの最高神は、ゼウス。

その兄、ポセイドン(海の神)の怒りに触れ、パイアケス人の国の浜辺に打ち上げられたのが、トロイア戦争(前12C~前13C)の英雄オデュセウスです。

そのオデュセウスを救ったのが、王女ナウシカア、ということにギリシア神話ではなっています。オデュセウスの帰国に際しては、国をあげての宴が催された、と伝えられています。

「祝福」とは、その歓送事情を指しています。なお、「恋々(れんれん)」とは、思いきれない未練がましさ、のことです。


「生に別れを告げる」、という箇所を最も広く解すれば、「他者との生き別れ」、「他者との死に別れ」、そして「自己との死に別れ」、などになるでしょうか。

上掲の箴言は、いずれにも該当する可能性をもっています。それが自分自身であれ、他者であれ、「英雄」を見送るにふさわしい仕草であることからして、ニーチェらしいな、ともわたしは感じます。

ただわたしの関心は、むしろ第二番目、第三番目の「別れ」のほうにあります。それは、「祝福」しながら見送る確信も、あるいは「空(くう)」の境地で迎える自信も、わたしにはまったくないからです。

「恋々」どころか、正直なところわたしはきっと、傍目(はため)を顧みず恥ずかしげもなく嗚咽したり、自らの「間際」にはおそらく激痛や恐れのため、この爪で虚空を掻きむしったりもするにちがいないであろう、と思っています。

しかしなぜ「生き別れ」と、わたしが体験してきた、又はわたしがわたしに予想しているような「死に別れ」とのあいだに、こうも違いがあるのでしょうか。


当然のことながら、わたしたち人間はいつか死にます。そしてそれが「いつか」は、誰にも明かされていません。この厳然たる「平等」は、わたしたち全員の既知であります。「イヤソンナコトハ知ラナイ」、という人は、まずいないでしょう。

。。。としますと、禅問答のようですが、仮にわたしに似たような予想をたてている人たちが、誕生以来今日まで、ずっと嗚咽し虚空を掻きむしり続けてきたとしましても、あながち不思議なことではない、ということにもなるはずです。

ところが周囲をいくら見渡しましても、そんな風な仕草をしている人は、「その場」を除けば、どこにもおられません。もちろんわたし自身も、始終嗚咽したり虚空を掻きむしったりして生きてきたわけではありません。時にはそれに近い体験もありましたが、しかしそれとても、持続的なものであったというわけではありません。

どうもわたしたちは、誰にも明かされない「その場」の期日までのあいだずーっと、「間際」の様態をまったく知らないままで暮らしているのではなく、わずかな他我経験を通じ、じゅうぶんすぎるほど知りながら、しかし自らにも確実に訪れるであろう「その場」の苦痛や恐怖を、ただ少し遠ざけることでしか、その「生」を前進させることができない、どこかしら「不誠実」にも似たものを、心のどこかに抱えて誕生しているのではないでしょうか。だからこそ、ある意味では平然と、この世で生きられているのではないでしょうか。

そう考えますと、昨今の「自殺」は、「今は(万事休す)」、という思いの滞(とどこお)りであるより、人間だけに許されたこの存在論的な「不誠実」すら背負いきれない驚愕すべき「誠実」、つまりは日常のわたしたちに仮面を強いる「間際」の苦痛や恐怖の臨界をも突破してしまうほどの「純粋」を通して、現れているのではないか。。。とふと感じたりもします。

仮にもそうであったとしますと、認めがたきものは多々ありますものの、彼らにあってみれば、「恋々」たる「別れ」を反故にするための、精一杯の「祝福」的な秘儀であった、という可能性もあります。

ただ単に連鎖している、というだけでは、どうもなさそうな気がしてなりません。

(2008年07月04日 記)

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)))097節(((
Wie? Ein grosser Mann? Ich sehe immer nur den Schauspieler seines eignen Ideals.
どうだって?偉人だと?私が見るのは常にただ自分自身の理想を演じる俳優ばかりだ。
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突然ですが。。。

わたしが保持しています毛沢東の『実践論・矛盾論』は、岩波文庫の1974年度版ですが(初版は1957年)、もともと大部な書籍ではありませんでしたので、今やすっかり変色してしまい、目を細めてどうにか読めるかな、という程度になってしまいました。

「実践論」「矛盾論」ともに、最初から著書として一般に公開されたものではなく、国内外での戦いのさなかであった1937年、延安の抗日軍事政治大学で行った講演が若干補正され、1951年以後、『毛沢東選集』に収められるに至った、というものです。(毛沢東選集出版委員会巻頭言参照)。

ただ、今、何十年ぶりかに読み返してみますと、「やはりこれは偉人(偉大な人)だな・・・」、とあらためて感じざるをえません。

時代的な制約は随所に感じられはしますが、思想家・思索者として眺めましても、自信と確信に満ち溢れ、不撓不屈の精神にも漲った若き毛沢東のその叙述の勢いには、わたしはひさかたぶりの感動を覚えました。

辛亥革命(1911年)以後、連続的に体験せざるをえなかった複雑な内戦状態を経て、その果てについに見い出した「反帝反封建民主主義革命」が、どれほどの窮乏と過酷の中で誕生したものであったか、ということ(「矛盾論」第三章参照)に思いを馳せますと、当時の人々にとっては、平常な心で聴きとおせる講演ではなかったであろう、という想像に無理なく導かれます。

『実践論・矛盾論』自体の主眼は、当時の党内で暗躍していた、主には、観念論的なマルクス主義者たちの教条主義、それへの論破にありました。

まさにニーチェが、「常にただ自分自身の理想を演じる俳優」、と喩えたのに似た一群の輩(やから)に対してのものでした。


時代・状況・事象こそ異なれ、ニーチェは、次のように激しく語ります。
全近代哲学が次第に零落して落ち着いた先である現今の哲学は「認識論」に低下し、事実上はもはや臆病な判断中止論と欲望禁制教より以上のものではない。この敷居を全く越えることなく、立ち入る権利を痛ましくも自らに拒絶するような哲学――これこそは死に瀕した哲学であり、臨終であり、断末魔の苦悶であり、憐憫を催させる或るものである。(『善悪の彼岸』第六章205節)
じつに痛烈な語句が並べられています。

ではいったいニーチェは、どのような人間像を「偉大な哲学者」と考えていたのでしょうか。

「哲学者が生じるには、幾世代にも亘る準備作業が必要である」、と語りながら、次のような表象を示します。
何よりもまず大きな責任を進んで引き受ける用意、支配者の眼で見下ろす眼差しの高さ、大衆とその義務や徳からの隔離感、神であると悪魔であるとに拘わりなく、誤解され誹謗されるものに対する親切な保護と弁護、――大きな正義に対する悦びと実行、命令する技術、意志の広さ、稀にしか驚嘆せず、稀にしか鑽仰せず、稀にしか愛しない緩やかな眼などがそれだ・・・(同書第六章213節)
さてこの島国の、いや世界のどこにおられるのでしょうねぇ。

(2008年07月04日 記)

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)))098節(((
Wenn man sein Gewissen dressirt, so küsst es uns zugleich, indem es beisst.
自分の良心を調教するとき、それはわれわれを咬みながら、同時に接吻する。
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140節にも通じるでしょうか。

ニーチェの著書に登場します、道徳・責任・「良心」・正義などの言葉は、どちらかと言えばむしろ「符号・暗号」に近いもので、辞書的な意義から箴言に切り込もうとしますと、いかほどかの無理に遭遇する場合が多々あります。

上掲箴言に登場します「良心」も、「符号・暗号」にすぎません。

したがって、モチーフであるかのように示される「符号・暗号」に秘められたニーチェの思索の核や、あるいは歴史観のようなものに一度迂回し、そうしてから再度、箴言の文脈に戻してみる、という作業が、往々にして求められます。凡(およ)そ箴言たるもの、然り、なのですが。。。


そこで問題になるのが、「良心」、というニーチェ的符合・暗号になります。

次節でも援用させて頂いております『広辞苑』の記述を(失礼ながら)約めてみますと、「善悪を知らしめ、善を命じ悪をしりぞける個人の道徳意識」、程度になります。これはこれで、さまざまな必要のためには、大切な定義でしょう。

ただ、ニーチェの言う「良心」を、この定義から解釈しようとしますと、上掲の箴言全体が説法・説教化し、そのぶん、ニーチェ自身の本意から遠ざかる可能性があります。

そもそもニーチェは、「良心」の淵源をどこに見ていたのか、という問題に迂回してみましょう。

ニーチェはまず、人間は「健忘の力」をもっている、と語ります。

しかしそれは、決して受動的なものではなく、「積極的な阻止能力」である、と評価します。したがって、その反対の能力である「記憶」のほうも、おのずと、「一旦刻み込まれた印象」から「再び脱却したくないという能動的な意欲」になる、と考えます。(以上『道徳の系譜』「第二論文」第一節参照)

しかしながら、「力」から派生する意欲・意志には、「健忘」や「記憶」だけでなく、偶然的なものから必然的なものにいたるまでのあらゆる意志が、渾然たる様態をなすため、そこから「約束者として」「自己を保証しうるようになる」能力を、長い歴史の中において獲得する必要が出てきたのだ、とニーチェは展開します。そしてその能力の総体が「責任」である、と言います。

この「責任」は、「誇らしい知識」であり、また「稀有な自由の意識」でもあり、すでに、「支配的な本能」にまでなったものである、と説明します。

以上のような「淵源」と「根拠」への言及に添い従うようにして、ついに、「責任」は「良心」である、という、いわばニーチェ的なテーゼとでも称すべき内容が現れ出でます。


いかがでしょう。『広辞苑』に掲載された「良心」と比べ、その色彩がかなり違っているのが分かりますでしょうか。

箴言冒頭の、「自分の良心を調教するとき」、とは、そのような「淵源」と「根拠」をもつ「良心」を培(つちか)うためには、という意味合いです。

そのためには、「われわれを咬(か)みながら、同時に接吻(せっぷん)する」、というのですが。。。

こちらのほうも、上述しました「積極的な阻止能力」としての「健忘の力」のために、畢竟(ひっきょう)、「記憶」の「能動的な意欲」が刺激されたその結果として、「われわれを咬みながら、同時に接吻する」必要が生じる、ということなのでしょう。

「アメとムチ」という表現は、その世俗版にすぎません。

「健忘の力」が強く大きく作用するからこそ、逆に、激しく「記憶」させる、つまりは、残忍かつ残虐で、暴圧的な体験を強いられるようにもなります。

ニーチェは、「人間が自己に記憶をなさしめる必要を感じたとき、血や拷問や犠牲なしに済んだ試しはかつてない」としながら、ドイツの古い刑罰の例を列挙しています。以下は、辛抱されてお読みください。
石刑/車裂きの刑/食い杙(くい)で貫く刑/馬に引き裂かせたり踏みにじらせたりする刑(「四つ裂き」)/油や酒の中で煮る刑(14C15C)/皮剥ぎの刑/胸から肉を切り取る刑/蜜を塗って烈日の下で蝿に曝す刑・・・
もちろん、「理性」に辿り着くまでの代価がいかに高かったか、について一言することも、ニーチェは忘れていません。


安保闘争、公害、連合赤軍、第一次石油ショック、ニクソン・ショック、変動相場制導入、世界同時不況、プラザ合意、バブル、バブル崩壊、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、携帯・インターネット普及拡大、9.11事件、構造改革、グローバリズム、新自由主義、誰でもよかった殺人、後期高齢者問題、原油価格・・・このモザイクのような近代NIPPON国の成立のどれひとつをとっても、無名の多くの犠牲者なしには語れません。

奢るなかれ!国民国家の忠僕たちよ!

ガンバレNIPPON国民!もっと強く!そして。。。なによりももっと賢く!

(2008年07月02日 記)

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)))099節(((
Der Enttäuschte spricht. - 》Ich horchte auf Widerhall, und ich hörte nur Lob -《
幻滅を感じた者は語る。――「私は反響に耳を傾けたのに、聞こえたのは賞賛ばかりだった――。(一部傍点あり)
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「賞賛のうちには・・・差し出がましさがある」、とした170節にも通じます。関連する箴言としましては、111節、118節、122節、143節などを、ひとつの範疇(はんちゅう)として眺めてみるのもいいかもしれません。

視座の拘束(パースペクティヴ→125節で詳説))性からすれば、「賞賛」よりも「反響」のほうが自由奔放で、はるかに多次元的です。

「反響」には、満天に輝く星のような価値の圧倒的な多様さがあり、とても刺激的です。ミュージシャンなどが、コンサート会場において期待するのは、こちらのほうでしょう。

それに対して「賞賛」の価値は、一方向に偏(かたよ)る傾向性が強くあり、その意味では、どこかしら作為的であり、他律的でもあって、ときには催眠的であったりもします。それ「ばかり」では、ニーチェが言うように、「幻滅を感じ」るどころか、嫌忌したくなることもあるでしょう。最近、どこぞの市民フォーラムでも、そんなことがあったような、なかったような。。。

また、過度な「賞賛」は、対手に「沈黙」を強要します。「誉め殺し」、というのも、同じ類(たぐい)のものでしょう。


ニーチェは、当時の出版界や斯界において、必ずしも、絶賛され歓迎されていた、というわけではありません。

そのことは、原稿を自費で印刷したり、私家版として内々に贈呈したり、また、そのつどの出版を委託の形で実現していた事実、などがよく示しています。(『道徳の系譜』木場深定博士の解説参照)

ニーチェには、ある価値は長い歴史を通じ類型化され固定化される、という文献学者らしい信念があります。

賞賛さ「れ」て喜ぶのは痴(をこ)。

賞賛さ「れ」ようがさ「れ」まいが、「賞賛」に値するものが自分にある、という、自己産出的な判断のできる人間こそが、「高貴な人々、強力な人々、高位の人々、高邁(こうまい)な人々」(上掲「第一論文」第二節)である、という地点に、ニーチェは立脚しています。

誤解のないように申し添えますと、それは、価値の破壊と創造だけでなく、両者への是認をも前提として語られています。同節で、「貴族的価値判断の没落」にニーチェが言及しているのも、その峻酷な歴史感覚を物語るものです。

なぜなら、「力」自体は無価値。。。と言いますより、「真理」と「非真理」とが織りなす「ただなか」にしか現れないからです。

この「ただなか」への認識の通路というものなどは、そもそも存在しなかったのだ、とニーチェは言いたかったのではないしょうか。

「認識」の対象にならないものを捉える。。。これが「洞察」の奇跡です。この奇跡を、ニーチェは幾度となく、しかも断続的に体験していたのであろう、とわたしは感じます。

「認識」と「洞察」の違いについてさらに理解を深めたいとお感じの方々には、次の論文をお薦めしたいと思います。
「ヘラクレイトスの人間理解」(ビンスワンガー『現象学的人間学』所収論文 みすず書房・初版1967年)
小論文ですが、精神科医でもあり現象学者でもあったビンスワンガー(1881-1966)の卓越したヘラクレイトス解釈をたどることで、「洞察」という様態を疑似体験することができます。

(2008年07月02日 記)

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