2012/11/11

体験・・・の機序(2)

(以下の記事は、2011.03.06、に書かれたものです)

1945年4月14日に脱稿された西田幾多郎最後の完成論文、「場所的論理と宗教的世界観」二(章)の部分に、次のような一節がある。
  • 「宗教心というのは、多くの人の考えるように、有限と無限とか、相対と絶対とかいう如き過程的関係において生ずるのではなくして、我々の自己自身の存在が問われる時、自己自身が問題となる時、はじめて意識せられるのである。」(岩波文庫版『西田幾多郎哲学論集 3』所収 下線引用者)
この一節は、西田氏御自身が「前方」に座し、わたしたちからの応答を待たれて書かれたものではない。

「我が指は氷の如く固まれリ」「苦痛堪え難し」(上掲書「解説(上田閑照)」)、と告白せざるをえない病床の極みにおいて、むしろわたしたちの「背後」にその御身を移さんとされて書かれたものであろう、とわたしは感じてきた。

その「背後」にある場から、わたしたちの背に向って「沈黙」を、すなわち流転して止むことがなく、多種多様、多層多次元な方域に現象し続けているわたしたちの意識の寸断と逆流への覚知を、西田氏はさりげなく促そうとされたのではないか、とわたしは思っている。

そうすることでしか、あるいは、そうした状況に「包囲」されざるをえなくなった時間現象のさなかでしか「体験」しえないもの、それが歓喜であれ恐怖であれ、まさにそのような特異な時間「体験」のアクチュアリティにおいてしか、その姿を垣間見せることのないわたしたち存在の「排出孔」のようなものを、西田氏は確実に「体験」されておられる。それがこの箇所である。

「・・・となる時、はじめて意識せられる」、と叙述されたとき、すでに氏は「背後」から御身を退かれ、わたしたちの思惟の「前方」に座しておられる。したがって、巷間もてはやされている「絶対矛盾的自己同一」という西田氏の造語は、あくまも西田氏の「体験」の抜け殻であることを、よくよく留意しておく必要があろう(注)
  • (注)1995年に小田垣雅也氏は、『キリスト教の歴史』(講談社学術文庫)最終第十一章において、諸宗教との対話、という観点から西田幾多郎氏に言及されているが、残念ながら叙述展開にまでは至っていない。最近では八木誠一氏が、「本書の場所論は西田哲学と一致する」も「西田哲学と同じではない。」(『イエスの宗教』「プロローグ」岩波書店 2009)とされながらも、西田哲学へのじゅうぶんな論究がほとんどなされないまま、結果、故滝沢克巳氏『仏教と基督教』(1964)の神学的立場(インマヌエルの原事実とそれへの自覚)の継承に終わってしまっているのは惜しまれる。その「エピローグ」で開陳された「復活」論が、ヨハネの復活であると考えたヘロデ王からの八木氏の類推によって、使徒たちの「解釈」自体に帰結させてしまったのも当然であろう。全般に、形而上学的色彩が脱色しきれていない印象を受けた。

たとえば「猫」の語りを実際に聞いたと記すマルティン・ブーバー(1878-1965)の省察などにも、「体験」への深い洞察を見出すことができる。
  • 「大地が動き、関係が生れ、つぎの瞬間、ほとんど間を置かず別の関係が起る。<それ>の世界がわたしと猫を取り囲み、一瞬の間、<なんじ>の世界が深淵から輝いたけれど、今や再び<なんじ>の世界は、<それ>の世界へ消えていったのである。」(岩波文庫版『我と汝・対話』所収「我と汝」第三部 植田重雄訳)

「一瞬の間、<なんじ>の世界が深淵から輝いた」の<なんじ>とは、この場合「猫」のことである。

もちろん「猫」でなければならない理由など、どこにもない。ブーバーは、自らの「体験」をメタファーとしてではなく、「体験」の事後的な思惟の背面(臨界)に接触する「深淵」が、実は「深淵」本体の裳裾(もすそ)の射影にしかすぎないことをじゅうぶん承知の上で、あえてこのように表現しているのである。しかも「輝いた」ものの余韻を感じながら・・・である。

西田幾多郎氏が、いわば存在の「排出孔」の如き時間生成(現象)のアクチュアリティを「体験」したとすれば、マルティン・ブーバーは、その「排出孔」を通りぬけ、万物の背面に接する「深淵」からの帰還を「体験」した、と言うこともできるであろうか。


おそらくは不本意にも半恒常的に、人間存在が生い立つこのような「秘所」に追い込まれながら、それでもなお、否だからこそ、結果、その測り知れぬほど数多くの戦慄すべき「体験」を奇跡として洞察しえた民族の典型、それがヘブライ民族、厳密には捕囚期までのユダヤ人ではなかったろうか。

古代ギリシア哲学、いわゆるイオニア地方に芽吹いた自然哲学に先んじて、紀元前10世紀をなお遡るであろうこの民族の以後の存在を、圧倒的な根拠をもって射抜き捕縛した「熱情の神」の「体験」集成、それが本来の「旧約聖書」の姿であろう。あのニーチェが震撼したのも、この一点である(『道徳の系譜』二十二節)。

果てるまで洗礼を受けることなく、飢餓の状態で夭逝(ようせい)したユダヤ系フランス人女性思想家シモーヌ・ヴェイユ(1909-1943)は、次のような断片を残している。
  • 「たましいは、神がたましいに向かってたどってきた旅路を、逆方向にたどり直すのである。そして、このことが十字架である。」(『重力と恩寵』田辺保訳)
ヴェイユの断片を噛みしめ、さらに今少し「体験」のはるかなる遠ざかりを奪取してみたいと思う。


前回辿り着いた地点は、1)フッサールモデル(「意識」の基本機序)が、あくまでも「基本体制」であるにすぎないこと、2)「体験」というアクチュアルな出来事の質性(危機度)如何により、「基本体制」の変様態が派生すること、3)そしてそこに、「ノエシス(意識諸作用)」の滞留・逆流・帰還(世界解釈の根源的転換)が「現象」すること、等であった。

これらの地点はどれもが、畢竟、フッサールモデルの「描画」更新を迫るものとなっている。

精神病理学者であり臨床医でもあったルートヴィッヒ・ビンスヴァンガー(1881-1966)は、次のような言説を残している。
  • 突然性とは、連続性を引き裂き、寸断しあるいは分割し、これまでの生存をその軌道からそらせて、怖ろしいもの、あらわな恐怖のまえにすえるものの時間的性格だ」(上掲書所収論文「精神医学における現存在分析的研究方向」1946年 宮本忠雄訳 下線引用者)
そしてこのようなことも述べている。
  • 『われわれが熱情的に帰依し、または期待していたとき、突然この期待していたものにあざむかれて、世界がいちどに「別様」になり、完全に拠り所を失うことによって、この世界における支えがなくなったとき、われわれはのちに、再び獲得した堅固な足場から、当時を回想して「あのとき、稲妻に打たれて天から落下したようだった」という。』(「夢と実存」1930年 荻野恒一訳、『現象学的人間学』所収論文・みすず書房)

「体験・・・の機序(1)」で触れたふたつのケーススタディ、そしてわたしの「体験」にも、このような「突然性」が見出せる。

モーセの「体験」、エゼキエルの「体験」、イエスの「体験」、パウロの「体験」・・・その他夥しい数の人々の「体験」については、何をか言はんや、となろう。


フッサールモデルの破砕
不具合の標準モデル
by Anonymous
内・外的世界に起こる突発的な出来事、不測の事態、ありとあらゆる災い等に完全に包囲される時。すなわち、内的時空間世界が崩壊の全き危機(クリーゼ)を「体験」する時には、わたしたちのノエシス(意識作用)・ノエマ(意識対象=構成的意識)構造の統合的で安定した同期的循環において、右の描画のような「不具合」がすでに生じてしまっていると、暫定的にせよ、考えることはできる。

この「不具合」にはもちろん、強い不安・過度の心配・深刻さ・恐れ・脅え・怖気・不快感・不満感・圧迫感・閉塞感・空虚感・虚脱感・不本意・疑惑・怒り・妬み・憎悪・・・などの感情的な価値が伴う(描画からは、「身体」を含めすべて除去)。

しかし大切なことは、フッサールのノエシス・ノエマ構造を自らの叙述に過度に溶解させ、そのことによって「情状性(通常は自覚されない根源的気分)」のうちから「不安」だけを「純粋自我」と等値させたかのようなハイデガーの「存在」掌握を、再度フッサールの思索によって洗浄し直すことにある。右の更新「描画」は、その洗浄作業を通して獲得しえた「不具合の標準モデル」である。


さて、ノエシス・ノエマ構造に起る主要な「不具合」は、主には次の二つである。
  1. 外的世界(時空間)と内的世界(時空間)を往復循環するノエシスの「滞留・旋回
  2. 過去(あらゆる経験の堆積)参照に迂回しながら構成されるノエマを捉えるノエシスの「滞留・旋回
以上ふたつの「不具合」から、ノエシスは方域を喪失し始める。しかしエネルギーは保持されたままであるため、ほどなくノエマを構成すべく出口を激しく探索し、ついには暴走するようにもなる。これが、
  1. 方域を喪失してノエマの構成に失敗したノエシスの「逆流
である。

このノエシスの「逆流」は、「先験的自我(純粋自我)」そのものを突破、あるいは瓦解させ、わたしたちに、「死ぬぅぅぅ!」、という全身体的感覚を呼び起こしたり、ときには「気絶(失神)」することを強要したりもする。ノエシスの「逆流」は、わたしたちに「見てはならないものを見させる」もの、と思われる。上掲描画中では、暫定的に、「死・永遠・絶対他者・・・」、と表示しておいた。他の表現であっても、もちろん構わない。


このあたりで『聖書』、なかでも「旧約聖書」の記述に若干触れてみたい。

映画『十戒』で皆様方もよくご存知の、奴隷解放の先導者モーセは、羊の群れを追って「神の山ホレブ」までやって来た時、燃える柴の間から神の呼び声を聞いた、と記録されている。その直後のくだり。
  • 『神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。」(「出エジプト記」第3章6節 下線引用者)
もうひとつ、偉大な預言者(神の言葉を預かり伝える者)イザヤの言葉をご覧いただきたい。
  • 災いだ。わたしは滅ぼされる。/わたしは汚れた唇の者。/汚れた唇の民の中に住む者。/しかも、わたしの目は/王なる万軍の主を仰ぎ見た。」(「イザヤ書」第6章5節 下線引用者)

どうであろうか・・・

モーセもイザヤも、見てはならないものを見て「恐れ」「驚愕」しているのが分かる。モーセにもイザヤにも、確実にノエシスの「逆流」現象が見受けられる。両者とも、「そこ」からまさに弾き飛ばされているかのように描写されている。

弾き飛ばされず「そこ」に没し続け、その生を保ち続けた稀有な人たちもいる。

「エゼキエル書」で、預言者エゼキエルは壮大な幻を描いている。また「ゼカリヤ書」で、預言者ゼカリヤは「第一の幻」から「第八の幻」を描出している。さらには「新約聖書」の最後を飾る「ヨハネの黙示録」で、ヨハネ?は謎めいた幻を描写している。いずれも、「見てはならぬもの」を見つづけ、なおそれを表現することのできた預言者たちである。その他探せば、いくらでも指摘することができる。


問題は、ノエシスの「帰還」についてであるが、ロシアの文豪ドストエフスキーの作品に少し触れてみたい。

ドストエフスキーは『罪と罰』において、金貸しの老婆殺害実行犯、青年ラスコリーニコフの自我の危機(クリーゼ)を、執拗に追跡描写しているのは、皆様方ご承知のとおりである。

自ら確信して疑わないノエマ(一人を殺害して百人が助かればその殺害は正当であるというもの)が消失しかけるたびごとに、青年ラスコリーニコフは、貧しいアパートのベッドに横たわり眠りにつき、その確信の再構成をはかる。

しかしついにその確信的なノエマは崩壊し、ラスコリーニコフは老婆殺害を自白することになる。シベリアの刑務所に送致されたラスコリーニコフのノエシスは、ほとんど滞留したままに描かれているが、ドストエフスキーは最後の面会の場面で、一家を支えるため娼婦になり果てていたうら若き基督教信徒ソーニャを、ラスコリーニコフの傍らに黙して座らせている。

物語はここで終わっている。

文芸評論の世界でこのソーニャは、「人神」、と呼ばれてきた。ただわたしには、どうしてもそうは感じられないものがある。娼婦ソーニャは、「人神」、と言うより、ラスコリーニコフの内的世界(時空間)において、新たなるノエマが根源的な世界解釈の転換を経て立ちあがる(帰還する)その可能性の一端を、ドストエフスキーは描写しないことを通し示したかったのではなかろうか、という思いがする。

以下、ノエシスの「帰還」を少し敷衍してみたい。

結論から申し上げると、「逆流」し暴徒化したノエシスが突入して垣間見た「純粋自我」の生成の源(みなもと)から、その「絶対疎外(否定)」によって再度この世に弾き返されることを、わたしは「帰還」と呼んでいる。

上述したように、ノエシスの「逆流」によって「見てはならないもの」を垣間見て、「そこ(死・永遠・絶対他者・・・)」から弾き飛ばされるほどの「絶対的疎外」に遭遇し、その直後に「帰還」を余儀なくされるノエシスが辿るべき経路は、無際限なものでは必ずしもない。

ひとつめは、外的世界(時空間)とのアクチュアルな接触を可能な限り遮断すること(=自閉性)。ふたつめは、外的世界(時空間)を、たとえば憎悪の対象としてノエマ的に再構成すること(=攻撃性)。みっつめは、さまざまな精神的・身体的疾患に代償させること(=疾患性)。よっつめは、ノエシスを停止させ純粋自我を死守すること、つまり自死すること(=自殺念慮性)。そして最後は、純粋自我の所有権自体を放棄あるいは譲渡することを通じ、自ら構築した既定の世界像全体をリセットし再解釈・再構築すること(世界解釈の根源的転換性)。

概略、この程度の選択肢(範疇)が考えられるであろうか。

たとえばパウロの場合、その身を潜めていたアラビア?で、このうちの最後の経路を辿っていたのであろうと思われる。換言すると、アラビアでのパウロの生活は、イエス「体験」からの「帰還」経路を決断し、そして「父なる神」をも更新しながら、サンヘドリンに象徴されたユダヤ教からの根源的な脱皮をはかる、じつに苦悩に満ちた、しかし日々確信に裏打ちされてもいく、そのような日々であったのではないか、と推測する。それが是であったか非であったかは、まったく別次元の問題である。

木下順二氏は、『パウロ 回心の伝道者』(初版1986年)において、「パウロが十字架のイエスの言葉を聞いたことについて」の項を通じ、ご懸命に「聞いたこと」を文献考証されておられる。

おそらくは・・・氏がアプリオリに抱かれていた「イエス論」が、そうさせたのであろう。

氏の問題性は、ダマスコ途上を疾駆するパウロの、「イエス体験」、の未消化にある。率直に申し上げると、「体験」とは何ぞや、という深刻な「問い」をどこかで回避しなければならない信仰的状況に身を置かれていたからこそ、「聞いたこと」の考証に迂回せざるをえなかったのであろう、とわたしは思っている。氏の主張をそのままを信徒に語られる牧師もおられれば、そのことを真に受ける信徒もおられる。

ところで・・・

ノエシスの以上のような「帰還」には、程度にこそ差はあれ、また突発的であれ漸進的であれ、脱「体験」化作用が随伴する。

わたしの造語である脱「体験」化とは、アクチュアルな「体験」から立ち上がる(現象する)、そしてそこからしか立ちあがらない世界解釈の根源的な更新、を意味している。

このあたりの事情を、ハイデガーは次のように喝破している。
  • 『陳述は、おのれの存在論的な由来が了解しつつ解釈することから発するのだということを否認することはできない。配視的に了解しつつある解釈[ヘルメーネイア]の根源的な「として」をわれわれは実存論的・解釈学的な「として」と名づけて、陳述の命題的な「として」から区別する。』(『存在と時間』第一篇第五章第三十三節 原佑訳)
難解である。

あえて俗解すると、人間存在のアクチュアルな「体験」を経ない理屈、またはそのような「体験」から切断された言説は、ただの「屁理屈=言葉の遊び」にすぎない、ということである。伝統的な西欧形而上学、したがって「存在神論」への辛辣な諌(いさ)めともなっている点に、どうかご注意いただきたい。


パウロの回心「(イエス)体験」に直接・間接的に言及しているのは、ルカ「使徒言行録」9章・22章・26章、パウロ「ガラテヤの信徒への手紙」1章、パウロ「フィリピの信徒への手紙」3章、などである。

パウロ書簡は、自筆であれ代筆であれ、その都度の教会の窮状を鑑み記されたものでもある。その切迫した事情もあったからであろう、上記「ガラテヤの信徒への手紙」・「フィリピの信徒への手紙」で触れられているイエス「体験」の叙述をみると、その「体験」内実が、パウロ自身によってかなりの程度まで脱「体験」化(経験化)されてしまっているのが分かる。

紀元35年前後に生起したパウロのイエス「体験」は、それ以来、時と所と目的を変えながら、幾度となくルカに語られたことであろう。しかし大切なことは、その「体験」の語り部が、常にパウロ自身であった、ということである。

すでに述べたように、「経験(完了態)」とは異なり「体験(未完了態)」は、思惟(言葉)以前に生起するため、思惟化(脱「体験」化)を激しく拒む。それは、「体験」の時間様態が、「未(完)了性=アクチュアリティ」にこそ認められるからである。それを無理に思惟化(脱「体験」化)しようものなら、必ずそこにはある種の困難や苦痛、ときに脅迫的な沈黙すら、当人の全存在にまとわりつくようになる。

このような「体験」のアクチュアリティに、苦悩を忍びあえて遡及し、ふたたび思惟(言葉)の前面に浮上したとしても、そのアクチュアリティの大半は枯渇してしまう。そこで再度遡及してみはするが、再浮上してみると、最初の「語り」との間に、今度は如何ともしがたい齟齬(そご)が生じる。

特に、「使徒言行録」9章と22章との間に見られる「イエス体験」の明らかな齟齬は、その視座からこそ解釈されるべきであろう。ルカの誤記などとは、とんでもない議論である。

逆から申し上げると、それほどまでにパウロにとってのイエス「体験」は、まさに存在の「尾根」から滑落するほどの危機的出来事であった、と言うこともできるであろう。

わたしたちの抱く「歴史的事実」という概念の外延自体の修正を激しく迫る「存在論的事実」である、と言ってもよいかもしれない。
  • `I AM THAT WHICH I AM;' (Young's Literal Translation) 
(以上の記事は、2011.03.06、に書かれたものです)

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