2012/11/11

体験・・・の機序(1)

(以下の記事は、2011.03.05、に書かれたものです)

皆様方よくご存知の、「青年(少年たち)よ、大志を抱け!」、という文句は、米国人ウィリアム・クラーク博士(1826-1886)が札幌を立ち去る時に残されたもの、と言われている。

その博士の影響を受け立ち上げられた「札幌バンド」、いわゆる基督教信徒グループのなかに、内村鑑三(1861-1930)氏がいた。旧五千円札紙幣でおなじみの新渡戸稲造(1862-1933)氏も、そのうちの一人である。

内村氏は、『キリスト教問答』(講談社学術文庫)のなかで、「貴下(あなた)は来世のあることをお信じになりますか。」(( )アノニマス)、という問い立てを仮作し、自ら次のように答えている。

  • 「・・・私は、私のたよる聖書の訓示(しめし)と、私の短いながら今日までの生涯の実験と、また私のつねに尊敬してやまざる世界の偉人の証言とによって、来世の存在を信じて疑わないのであります。」(( )アノニマス)

ここで氏が言及されている「私の・・・生涯の実験」とは、今の「体験」に相当するものと思われる。「経験」ではなく、あくまでも「体験」であったと語られている点に、氏の氏たる所以がある。そのことを看過した論考は読むに値せず、と言っても過言ではなかろう。


さて「体験」とは、どのような出来事を指しているのであろうか。「経験」と、どのように趣を異にしているのであろうか・・・

依って立つ、あるいは生い立つ「内的時間」の機序において、決定的な段差がある(またはあった)ような気が、わたしにはしてならない。

意識下に保存された出来事や事象などを「想起」する場合を例とし、その思いに導かれるがままに、少しく追跡を試みたい。


結論から申し上げると、それらを「想起」して、なんらの苦痛(あるいは歓喜)をも覚えなければ、よしんばコンテンツ自体が喜ばしきものであったり、また痛ましくもあったとしても、それは「経験」である。

したがって言葉による追認、あるいは実際の表現行為に、さほどの難儀や困難は伴わないはずである。なぜなら、「経験」としてその顛末が、意識においても情感・情念においても(もちろん身体全体においても)、当人にとってはすでに完結(完了)してしまっている出来事・事象にすぎないからである。「経験」の累積具合が、知恵や技能を担保するものとして重視されるのも、そうした事情があってのことであろう。

それとは異なり、「想起」しようとした途端、至福・歓喜・恍惚・きまずさ・羞恥・苦痛・苦悩・脅え・恐怖・不快・いらだち・嫌悪・憎悪・嫉妬・否認・拒絶などの多彩な情緒や、輝くような笑み・虚空を漂うまなざし・涙・表情の変化・身体症状(発汗、声の大小・震え、体の痙攣等)などの兆しや生理的現象が随伴する場合、それは「体験」である。したがって言わずもがな、その「体験」を言葉で追認し他者に表現するのには、相当な困難が立ちはだかる。否、言葉にすらならないことも多々ある。

「体験」という言葉の行く手に現れんと機を窺う出来事や事象が、歳月の流れとは関係なく、当人にとってはいまだ完了しておらず、「想起」すればするほど、表現しようとすればするほど、「今しも」という内的時間の領野において、顛末をみないまま宙吊りにされていることを意識せざるをえなくなるからである。いわゆるフラッシュ・バックと呼ばれる精神症状なども、このような「体験」の不意打ちにちがいなかろう、と思われる。


以上のような「体験」の未(完)了的な内的時間性格を、「体験のアクチュアリティ」(注)と呼称しておく。
  • (注)日本において「アクチュアリティ」という術語を思索の支点とされた最初の人は、現象学的方途を駆使される秀でた臨床医であり、また精神病理学者でもある木村敏氏である。御高齢域におられるが、いまなおその思惟は前進中である。

ところで、はたしてこのようにアクチュアルな「体験」は、「どこに」・「どのようにして」生起するものなのであろうか。

皆様方に、二つのケーススタディを示したい。

  1. 「人間の孤独実験」(時実利彦『人間であること』岩波新書参照)

    脳生理学者時実(ときざね、1909-1973)氏は、本書11「群がること」の項において、非常に興味深い「実験」事例を図解入りで報告されている。その中心部を引用させていただく。

    • 「被験者を裸にして、身体と同じ比重で体温と同じ温度の液体のなかにいれ、顔には呼吸や食事のためのマスクをかけ、暗黒の無響室のなかで、身体を動かさないように命じておく。このようなきびしい孤独条件では、数時間もすると、精神的、肉体的にパニックの状態になる」

      「わが国でも、これよりもゆるい孤独環境で、二人の大学生を対象にした実験が行なわれている。七二時間の隔離で、被験者の一人は、かなりひどい精神異常をおこしている。無気力、思考力の低下、未成熟的な欲求への移行、精神の不安定、幻聴などがおこり、手記が非常に乱れてきている。」

    なんとも衝撃的な「実験」である。

    被験者たちのその後の追跡報告は、されていない。しかしほぼ間違いなく、被験者たちの内的世界のどこかに、この「実験」は、「経験」としてではなく、完結せぬ「体験」として深く刻印されてしまったことであろう。

    大切なことは、健常者でも、したがって「人類」でさえあれば誰にでも、このような「体験」は「起りうる」、という点に尽きよう。

    条件さえそろえば、わたしたちが無意識に「確信」しているこの人間存在は、実はいとも簡単に壊れるものでもある、という慄然(りつぜん)たる事実に注目されたい。その事実の尾根伝いに、わたしたちは辛うじて生を保っていることを、これらの「実験」からまずは了解すべきであろう、とわたしは思っている。

  2. キリスト教放送局日本FEBC』出演、女性信徒の学童期「体験」
    *インタビューアー吉崎恵子(日本FEBC代表兼当番組綜合司会)

    吉崎氏のインタビューを受けられた女性を、ここではAさんとする。

    時折笑いをまじえながらインタビューに応答されていたAさんは、途中一転して声の調子をおとされた。そして小学校3年生(8歳)の頃に「体験」した出来事を、訥々と話しはじめられた。当時のAさんは、ご両親も含め、宗教的な環境にはまったくおられなかったとのことである。その「体験」の骨子だけを記しておく。

    Aさんが、ご自宅でご両親とともに、いつもと同じような時を大過なくすごしていたとある日、揺れが少し大きかったのであろう、地震が起きた。

    8歳のAさんにとっては、初めての出来事だったようである。そのときAさんは、何事が起っているのかを捉えきれず、部屋の近くにおられたご両親の表情を、なによりも真っ先にうかがったそうだ。

    8歳の学童であったAさんにとってのお父さんお母さんは、Aさんの世界像のなかでは「絶対」的信頼に値する存在であった。

    ところが、そのご両親の顔を見上げた瞬間にAさんは、愕然とする。お父さんお母さんともに、地震にうろたえ脅えた表情・身振りを、Aさんに示していた。

    その瞬間、疑うことなど微塵もなかったAさんの「絶対」的な世界像が崩壊した、と語られておられる。おびえや恐怖とともに、ご両親を超える何か得体の知れぬものの存在の気配を、その時に強く激しく感じられたそうだ。

    それからのち幼いAさんは、なにか事が起こるたびに、教室の片隅であれどこであれ、その小さな指と指をくみ合わせ、けなげにも、見えざる存在に祈らざるをえなくなってしまった・・・

    概略以上のような「体験」を語られた。とても辛そうに聞こえた。


    この放送を聞いていたわたしは、Aさんの語りに大きな衝撃を受けた。

    わずか8歳にしてAさんは、2500年以上もの伝統をもつ西欧形而上学が解き明かそうとし、しかしついに果たすことができなかった人間存在の真実を、まさにその小さな体ひとつでみごとに証し尽くされたのである。Aさんの存在は、アダムとエバの楽園追放に連なっていたのである。

    わたしはそれ以上番組を聞き続けることが、できなかった。

    二十六年ほどまえ・・・包丁で自らを刺しなお狂乱する血みどろのわたしを、目の当たりにして絶叫しつづけた七歳の娘の顔が浮かんできたからでもある。父親から見捨てられた彼女の、その後の二十六年の幸いを部屋の片隅で祈るほか、すべてを喪失した基督信徒のわたしには、なすすべがなかった。

どうお感じになられたであろうか。

「経験」とはまったく異なる時間性格をもつ「体験」のアクチュアリティについて、今少し追跡を続けたい。


ユダヤ人を両親としたエドムント・フッサール(1859-1938)の不朽の名著『デカルト的省察』(注)を適宜参照しながら、以上のような「体験」がはたしてどのようにして起こるものなのか、というその「機序(体制))」について、わたしたちの「体験」に関与する意識の「滞留的」・「逆流的」・「帰還的」(以上仮称)性格を主題としながら、以下素描してみることにする。
  • (注)初版は1931年。仏訳でパリにて出版。以下引用は、(旧)中公バックス『世界の名著 62』船橋弘訳による。岩波文庫でも、復刻版が最近出版されている(術語の翻訳に若干の異同がある)。

ご承知のように、わたしたち人間「意識」の生ける姿そのものは、描画のように固定的で静止的な、したがって可視的なものではまったくない。そのような「意識」について考え始めた「意識」がしてすでに、なにがしかの自我分裂を経たのちの「意識」である。しかもその自我分裂全体を捉えている「意識」もある。

喩えて申し上げると、わたしたち内外の世界に発信しながらにして受信している二方向の意識の織り成す影絵を、必死になって追跡し描こうとする一本の絵筆、そしてその営み全体を眺めている私・・・とでも表現することもできるであろうか。

わたしたちの「意識」とはなんとも不思議なものである。しかしその「絵筆」」を用いなければ、わたしたちの生は、一個人においても世界歴史においても、現在のようには展開してこなかったこともまた事実である。


フッサールの『デカルト的省察』本体の体系は、「序論・第一省察~第五省察・結論」、となっている。そのうち、流動して止まぬ「意識」に対する基礎的な考察は、第二・第三・第四省察に集中している。

ちなみに本書の序論・第一章では、「自我」発見にいたるデカルトの徹底した学的姿勢に対する溢れるほどの敬意を示しながらも、スコラ的推論的呪縛をほどきえなかったデカルト的「自我」を脱構築すべき意義が説かれている。また第五省察では、今なお議論が続いている「他我認識」や「相互主観性(間主観性)」の問題が、主として扱われている。


フッサールの入門書などで、なぜかしらよく引用されるのは次の箇所である。
  • 「意識体験は指向体験ともいわれるが、そのさいの指向性ということばは、意識とは何ものかについての意識であり、意識作用としてみずからの意識対象をそれ自身のうちに有しているという、意識のこの一般的な根本特性を意味するものにほかならない。」(上掲書、第二省察第十四節)
この箇所の引用は、ビギナーにとっては不親切極まりないものである。

「現象学」の誕生を告げることになるフッサールの革命性は、当時誰もが疑わなかったデカルトの終着点「われ思う(エゴ・コギト)」を、脱構築したところにある。上記引用は、それ以後の思惟のプロセスに登場する林道にすぎない。

わたしたちはむしろ、「現象学」誕生の瞬間を次の箇所にこそ見出すべきであろう。
  • 「世界そのものを単純に存在するものと受けとるようないかなる存在信憑をもつこともさし控え、その世界そのものについての意識としてのこの生そのものにもっぱらわたしのまなざしを向けるとき、わたしは、わたしの意識作用の純粋な流れをもった純粋自我としてのわたしを獲得するのである。」(上掲書、第一省察第八節)
フッサールは、この強烈な体験的確信に導かれるがままに、「厳密な学としての哲学」の壮大な構築を決断し、数学者から哲学者に身を転じたのである。難解ではあるが、しかし実にアクチュアルで、だからこそ誠実にも充ちており、感動的ですらある。『デカルト的省察』を通読され、そしてこの箇所に戻られると、なお一層そのことを強く感じられることであろう。

この「意識作用の純粋な流れ(純粋自我)」に対するアクチュアルな確信を始発点として、世界の中に投げ込まれたわたしたち人間の「自我」が立ちあがってくる様相を、そのつど「意識」の機序に翻訳しながら、フッサールは精密な記述を忍耐強く展開している。


そこで、「体験」のアクチュアリティを奪還するため、フッサールの「意識」考察をあえて描画にし、皆様方のご理解への一助とさせていただきたい。なお、「先験的自我(純粋自我)」の気づきから始まった以後すべての「意識」様態の叙述は、あくまでもフッサール自身の「先験的自我」による追認にすぎない。そのことは、フッサール自身も承知していたことである。その「追認」をわたしの「先験的自我」が再追認し、描画に仕立てている。したがって以下の描画は、無際限に流動する連続的な「意識」自体のアクチュアリティ自体を捉えたものではけっしてなく、その静止様態の仮定的断片にすぎない点、何卒ご理解いただきたく思う。

まず、描画中の「先験的自我」の「先験的(アプリオリ)」という術語に対する一般的な誤解を指摘しておきたい。

フッサールの先験的自我
先験的自我(フッサール)
by Anonymous
フッサールの語る「先験的」とは、経験以前の領野、たとえば「神秘的」あるいは「観念的」なものとは、趣をまったく異にする。右の描画にある「ノエマ(自我の内在的時空間形式とともに多様なノエシスによってそのつど無際限に構成され続ける意識対象――内外の世界像」)」は、さまざまな「ノエシス(対象を指向する意識作用)」の過去参照的・統合的・連合的(以上合わせて指向的)機能が先行していなければ、成立しない、という意味である。「ノエマ」という内部経験を基準にすると、「ノエシス」の統括者たる「純粋自我」がそれに先行するのは必然である、という意味で「先験的」だ、ということである。わたしたちが自我の内外に確信している、いわゆる客観的(時空間的)世界なるものを、フッサールが否定しているのではまったくない。

(自我に対する)フッサールのこの自己反省的な発見は、平均的な日常を多忙に暮らすわたしたちに顧みられることなどほとんどない連続する自我同一性の「根拠」の発見であった、と言い換えることもできる。


次に、この描画に垣間見られる多様なノエシスの働きによってそのつど統合されるノエマの堆積あるいは忘却にいたるまでの全過程、そしてその内的な時間形式とが、はたしてどれほどの世界加重(出来事)に耐えうるものであるのか、という問いを発したい。

逆から申し上げると、わたしたちの「自我同一性」が解体するとき、あるいは崩壊のクリーゼ(危機)に瀕するときなどに、フッサールが追認した「意識」の流れやその基底となる内的時空間は、いったいどのように変容するのか、という問題になる。

残念ながらフッサールの目的は、「厳密な学としての哲学」を眺望することにあったため、この点についての氏の考察はない。しかしこの問題を展開する「大地」は、氏によってじゅうぶん、わたしたちには与えられている。


ドイツに誕生したマルティン・ハイデガー(1889-1976)は、30歳前後頃からこのフッサールに付き従っているが、その未完の大著『存在と時間』(全体の刊行は1927年)のなかに、上述した問題を考える上できわめて興味深い記述を残している。
  • 『われわれが、他者が「たんにぶらぶらしている」のを見てとるときですら、その他者は事物的に存在している人間事物として捕捉されているのではなく、この「ぶらぶらしている」ことは一つの実存論的な存在様態なのである。すなわち、すべてのことのもとに配慮的に気遣われずに無配視的に滞留していること、したがって何ごとのもとにも滞留していないことなのである。』(旧・中公バックス版、第一篇第四章第二十六節 原佑訳)
ハイデガー特有の生硬、かつ言語規範を侵犯するような表現(もちろん氏の意図ではあるが)からのいきなりの引用を、しばらくご辛抱していただきたい。

ハイデガーなど名前も知らぬわ、と憮然とされておられる方々を覚えながら、フッサールの「意識」考察を重ね合わせて、なにがここで述べられているのかを簡単に述べてみたい。

たとえば、これといって何もすることがなく、ただ無為に時間が過ぎていくのに身をまかせているようでいて、しかしどこかそんな自分に不本意さ・居所のなさを感じている、そんな孤独な人物を思い描いて見てはどうであろうか。

ハイデガーは、この叙述の前半において、そのような状態にある人たちも、生き生きと飛び跳ね喜びにみちている人たちも、外観こそ異なれ、人間存在の機序自体から逃れられないでいる点では同じなのだ、とまずは述べる。

ではいったい、両者の何が違うのか?という問いに対する答えが、後半部にあたる。

「・・・すなわち、すべてのことのもとに配慮的に気遣われずに無配視的に滞留していること、したがって何ごとのもとにも滞留していないことなのである。」の前半部で、他者・他物一切の関心から疎外されていることを、また後半部で、そのことへの反応として、その人たちも、他者・他物に対する関心を失わざるをえなくなる、ということを指摘している。

上記引用は本来、ハイデガーの考える人間存在の基本機構(世界内存在 in-der-welt-sein)を、あえてその変様態を示すことによって際立たせるために叙述されたものである。しかしこの変様態の叙述こそが、上述した問題解明の逆光にもなっている。

フッサールに立ち戻って翻訳し直すと、この人たちは、他者・他物からの関心の疎外に遭遇するアクチュアルな「出来事」に翻弄され、本来の正常で安定的な他者・他物に関するノエマ(意識対象)を、ノエシス(意識作用)の働きを通した内部「体験」として構成することに、非常な困難を感じている、と言うことができる。(*上述した「人間の孤独実験」はその典型)

もう一箇所、ハイデガーの『存在と時間』から引用してみたい。

皆様方も一度、わたしの説明をご覧にならずに、しばしのあいだ答えを求め、思索されてみることをおすすめする。5分ほどでいかがであろうか?上掲の描画を参照していただくのもよい。
  • 「或るものを忘却したときには、以前認識されたものとのあらゆる存在関係が一見消え去ってしまうように思われるが、そうした忘却さえ、根源的な内存在の一つの変様として概念的に把握されなければならないのであって、すべての錯覚やあらゆる誤謬も同様なのである。」(上掲書、第一篇第二章第十三節)

「忘却」のみならず「錯覚」や「誤謬」ですら、「内存在の一つの変様」態にすぎない、という主張である。

「忘却」・「錯覚」・「誤謬」などは、「内存在」が担保維持されているからこそ起こりうる内部「体験」の一変種にすぎない、ということである。フッサール的に述べると、たとえ「忘却」・「錯覚」・「誤謬」の状態にあっても、その基底には、ノエシスとノエマが依然として起動し続けている、ということになる。

「内存在(世界内存在)」について触れることは控えるが、ハイデガーのこれらの指摘は、たいへん重要なことがらを示唆してくれている。

それは、なにげない日常において確信して疑うことのないわたしたち個々の自我同一性が、ひとたびなにがしかのクリーゼ(危機)に遭遇するや、驚くべき危うさ、驚くべきはかなさ、驚くべきもろさを、外的時空間にではなく、まさに内的時空間「体験」において多様な姿で示す、ということである。

三大精神疾患と言われてきた統合失調症(かつて分裂病と呼ばれていた)や癲癇病や躁・鬱(うつ)病などに見られる諸症状も、その内的時空間「体験」の深刻な精神表現・身体表現・言語表現である、と言うことができる(注)
  • (注)これらの病因を、脳の神経伝達異常の観点だけから捉えるのは、現代医学の致命的誤認である。伝達異常は結果であって、根拠ではない。抗精神薬への過剰な依存、自殺念慮への囚われと抗精神薬との関連、あるいは自殺完遂との関連等々の研究が待たれる。

    なお一昨年(2009年12月12日)に、財団法人石神研究所代表石神文子氏のコーディネートのもと、某区役所において、精神障害者7名の「体験」を主とするシンポジウムが開かれている。わたしも参加させていただいた。一人15分ほどの「体験」発表であるが、7名全員が統合失調症であった。石神氏は開口一番、「お偉い研究者や学者先生のお話しを聞いていただくより、御本人たちの体験を聞いてください。」と言われたのが、とても印象的であった。お一人おひとりの「体験」にわたしの心は激しく揺さぶられ、涙せずに聞き通すことはついにできなかった。彼らの勇気と決断、ならびに寡黙な石神氏の深い存在洞察とその献身に、敬意を表したい。

最後に、わたしの「体験」をひとつ述べ、次回に繋げたい。


わたしは、最愛の姉(37歳)を血液癌の一種悪性リンパ腫で亡くした。1984年の出来事である。わたしは33歳であった。

死後処置のあと、病院に安置されるのを見届け、我が子に先立たれ茫然自失となっていた母親(当時69歳)を気遣い、その日は実家に泊まることにした。夜はすでに更けていた。

なかなか寝つかれず、真夜中にそっと姉の部屋に入ってみた。わたしは部屋の小窓をすこし開け、姉が使用していたベッドの傍らに正座した。女であることをどこかに捨てて、朝早くから夜遅くまで内職に明け暮れ、しかしいつも明るい表情で一家を支えてくれていた姉の生涯を、あわれにもはかなく想い起していた。

ふと、どこかで走馬灯のあかりが消えたように感じた。わたしはベッドを見つめなおした。そのときである。

安置室にいるはずの姉が、ベッドに寝ているではないか。

一瞬間おどろいたが、恐さは感じなかった。なにか当然であるかのような気すらした。わたしは寝ている姉をじっと見続けた。するとどうであろう・・・

おもむろに姉が、ベッドからその上半身を起こしたのである。パジャマ姿であった。

わたしはなお見続けた。姉はしばらくその姿勢を保ち、その後、ベッドの上で起きあがろうとした。そして起きあがったかと思うと、わたしが開けていた小窓の隙間めがけ水平に浮遊しながら、部屋から抜け出たのである。

絶命したのは数時間前であったが、わたしはそのとき、「今、死んだのだ・・・」、と確信した。

翌朝母親に、以上のことを報告したが、傷心したままで聞く耳を持ちあわせていなかった。


わたしは今、当時の「体験」を脱「体験」化し、次のように解釈している。

33歳の当時のわたしの「純粋自我」から立ちあがるノエシスは、わたしの自我同一性を確かに保っていた、と思う。誰もいないベッドに放射されていたわたしのノエシスは、「過去参照」を経て循環的に回帰しながら、わたしの内部世界に「誰も寝ていないベッド」を、ノエマとして構成し続けていたはずである。

ノエシスの多様な作用と循環を通じ対象として構成され続けていたはずのノエマ「誰も寝ていないベッド」が、数時間前に絶命し安置室にいるはずの姉の「寝ているベッド」になるには、「誰も寝ていないベッド」というノエシスによるわたしの判断が、一度は撤回されなければならない。しかしわたしには、わたしの意志として撤回した記憶がまったくないのである。

とするとある時点から、「誰も寝ていないベッド」というノエシス的判断がそのままの持続を保ちきれず、わたしの内的時空間において「滞留」を開始した、としか考えられなくなってくる。意識の「滞留」とは、まったく行く場所・方域を失って、内的時空間からの出口を探し求め激しく「旋回」しているノエシスの変様態を意味する。ノエシス(意識作用)が「滞留」・「旋回」を始めると、それまで構成され続けていた既定のノエマ「誰も寝ていないベッド」は、ほどなく消失する。

しかしながらわたしの知覚は正常に、ベッドにむけられたままなのである。

ノエシスの「滞留」・「旋回」は、わたしの内的時空間に起っている。それは、わたしの知覚が接触している外的時空間との間に断裂、亀裂(内・外時空間の許容を超えた分極)を生じさせるものでもある。その状態のままで人間は、長時間を耐えることができないのは、「孤独実験」で見たとおりである。

そこで、その断裂、亀裂を阻止する防衛機序として、「滞留」・「旋回」するノエシスが、「姉の寝ているベッド」を再構成させることを通じて、再起動した、と考えることができる。

このような「体験」は、「世界解釈の根源的な転換」をも迫ってくる。


(以上の記事は、2011.03.05、に書かれたものです)

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