2012/05/15

農夫を生きる知識人

こんな人もいるんだぁ、とお感じいただければ。。。

シェアさせていただいた短い動画もご覧ください。要所要所、わたくしアノニマスが通訳いたします(笑)。

윤구병(ユングピョン・尹九炳 1943-)氏

YES 24.COMの略歴によると、1967年ソウル大学哲学科大学院卒業後、雑誌の編集長などを歴任。1981年から1996年まで、大学(哲学科)の教授職についておられたという。

学者としてはまさにこれからというその年に大学を去られ、全羅北道は邊山(ピョンサン)で、自給自足型の「邊山教育共同体」なるものを設立。一農夫としてそこで、現在も生活しておられる。

その真意は。。。ということで動画をどうぞ。(とある場所でおこなわれた小規模の講座のようであるが、それ以上の事情は分からない)


気遣いのこもった挨拶の直後、氏はこう語り出されている。

「この会場に列席しておられるサランギュ先生ともうおひと方に、別の場所でこうお話させていただいたことがあります。<結局すべての学問はウソから始まります。特に私のウソは完璧なウソですので、「尹九炳(ユングピョン)と分かち合うウソの仕掛け」、という講座題目にでもしていただければいいなと心から思っているのですが。。。>」

それからおもむろに、「開口即錯」という句を、禅仏教から引用された。

「口を開いただけでもウソになる、という意味ですが、なぜ私の話す言葉のひとつひとつがウソ以外にはなりえないのか、ということについてこれから少しお話をいたします。」

思案したのち氏は、聴講者に問いかけられた。
「何がほんとうで何がウソなのか、という問いに対してはさまざまな答えがありえます。。。賢そうに見える方に訊ねてみましょうか、そこのお母さん。。。ほんとう、とは何ですか?ウソ、とは何ですか?」
「心からにじみ出る言葉がほんとうで、そうでない言葉がウソです。」
「私は心からにじみ出るようにして、ウソを話しているのですがねえ、アッハッハッハッ」

もう一人にも問いかけられた。その女性はこう答えた。
「同じ言葉でも、ほんとうになることもあれば、ウソになることもあるように思います。」
氏は、即座にこう反応されている。
「(あなたは)哲学者を前にして哲学を講ずるのですか?」(会場笑い)

飛び入りも一人いたが、相手にならない。
「事実?それがどうかしたんですか?」(会場クスクス笑い)

そうして氏は、聴講者全員に改めてこう語り始められた。
「みなさんは全員、ご自分で言葉を話すことができず、幼いころから難しく難しく物事を考える勉強ばかりをしてこられ、またそういった教育ばかりを受けてこられたため、簡単に考え簡単に答えるということを知らないでおられます。この村のお爺さんやお婆さんに同じ質問をしますと、微塵もためらわず即座にですねぇ、こんなふうに答えます。<あるのをあると言い、ないのをないと言うのが、ほんとうジャデ、あるのをないと言ったり、ないのをあると言ったりするのは、ウソダガヤ>間違ってますか?」(会場不可解な笑い)

動画に収録されているのは、このあたりまで。


ところで。。。

東アジアの思惟を征服した欧米の「理屈」は、「ある」の対義語がないことから展開したものであった。要は、「ある」「あら-ない」の問答である。

しかし日本・韓国を含むアルタイ諸語の世界分節の本来は、「あり」「なし」である。漢字表記すると「存在」「無」。さらにそれらを動詞化してみると、「存在する」「無する」となる。欧米の世界分節とは、根源的に構造が異なっていたはずなのだが。。。

いずれにしても、尹九炳(ユングピョン)氏のような知識人を日本に見出すのはますます困難になるであろう、動画を視聴しながらうつらうつらそんなことを考えていた。

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