2011/11/02

牧師不要論者のわたしが

なにゆえ元ヤクザ、若き進藤龍也牧師を高く評価しているのかと申し上げると。。。

「塩」を持った男だからである。

「塩」とは、ご承知のとおり、マルコ「福音書」9章48節以下に登場する言葉である。

「新共同訳」では話にならないので、YLT(逐語訳)からわたしなりの意訳を示しておきたい。
  • where their worm is not dying, and the fire is not being quenched; for every one with fire shall be salted, and every sacrifice with salt shall be salted.

    ゲヘナ(where:地獄)では、今も蛆がわき業火は燃えあがっている。それは、この世のすべての人もその犠牲も、業火のような試練で塩漬けにされているかぎりは腐敗することがない、ということでもあるのだ。
ぶっきらぼうな物言いではあるが、まことに深いイエス(らしき人)のメッセージである。


原稿をほとんど見ない進藤牧師の説教には、内容がない。しかし彼には、「塩漬けにされた進藤龍也」というものを、存分に語り証しするパワーが宿っている。

小さな献金パイの争奪戦に、戦々恐々とするここかしこのいじましき職業牧師とは異なる。

You Tube Japanで「進藤龍也」と打ち込めば、多くの動画にアクセスできる。

一度おためしあれ。


人気が高まれば、当然のこと、敵もそれだけ増える。

進藤龍也氏の十年後の成長を見てみたいものだが、わたしはおそらくこの世にいないであろう。


ガンバレ龍也!

日本刀を持ったヤクザに殺されかけた体験を持つアノニマスより。