2011/12/21

病は痛苦しない!

身体や精神に発現する病(やまい)という事象は、それらの病が発現していなかった(あるいは寛解・回復・治癒した)状況における個体生命の機序とけっして不等価ではないことを条件として選択された、存在の堂々たるヴァリアント(変様態)ではないか、とわたしは感じている。

と書き出してしまうと。。。

「なら、なぜこんなに辛いのか?こんなにもなぜ苦しまなければならないのか?」、と詰問されてしまうかもしれない。

通算病歴三十年のわたしも、そう問うてきた。なぜ自分だけが、なぜ自分だけに、なぜ自分だけを。。。

結論から申し上げると、そもそも答えのある「問い」ではなかったのである。

それどころか、頸動脈にカミソリの刃をあてがうほどに危険な「問い」でもあったのだ。わたしの場合に限らせていただくと、三度の自殺未遂がその証拠になろうか。三十代後半に二度、そして四十代後半に一度。


病自身がまとっているかに強く感じてしまう苦悩という気分の「生い立ち」、そのようなものを、さなかにいる時もそうでない時も、この十数年、ひたすらわたしは後追いしてきた。

追いついたためしは一度もない。そもそも追いつけるしろものでもない。

さはあれその間、気づかされたこともある。標題は、そのうちのひとつである。


展開のはじまりは、「問い」自体の成立を疑うことにあった。

「なぜ。。。?」という問いが、概念規定(推理証明)の乾燥した推進力としてつとに用いられたのは、ソクラテス(B.C.469?-399)の時代以降である。

しかしながら、当時の人類全体がソクラテスであった、というわけではない。それ以前、旧約聖書の時代はもちろん圧倒的多数の人々は、それぞれの個の苦境において、すでに「なぜ。。。?」と発話しているのだ。

それらの「なぜ。。。?」は、どれもこれもじつに血なまぐさい。

驚き、仰天、動顛、戸惑い、苛立ち、不安、不本意、卑屈、憤怒、呪詛、えも言われぬ気分一切の不気味な動揺・変調、そして潮騒のように寄せてはうち返す辛さ、苦しさ、痛さ、悲しさ。。。

ソクラテス的「なぜ。。。?」には見出せない、「無答の疑問詞」、とでも言えようか。

いったいこの「無答の疑問詞」はどこから生まれ、そしてどこに向かい、しかもはね返ってくるのであろうか。

この「新たな問い」が、意識作用(ノエシス)の神秘的でダイナミックな同期現象の一端を、病の渦中において垣間見せてくれる。


意識(作用)の働きは、一様ではない。

わたしたちの内的時空間一切を目がけ、確かに自在には活動する。がしかし、存在内部(あるいは外部)に生起する出来事を追い越すことは通常ない。あらゆる出来事に必ず立ち遅れる、と言ったほうがよいかもしれない。したがって、意識(作用)がある出来事を意識対象(ノエマ)として同期的に構成する以前に、すべての出来事は自体的に成就してしまっている、と予測していたほうが得るものは多い。

この意識の自在性と制約性から、病の一般的な自覚様態を内省してみると、およそ三つの作用が同期的に発動していたことが分かってくる。
  • 症状に向かう作用
  • 症状を保持していなかった頃の自己、および保持していない他者に向かう作用
  • それらとともにフェードインする懸隔(へだたり)に向かう作用
これら三点を目がける意識(作用)相互間に、時間の先後(因果)関係はない。

あると感じるのは、論理(形而上学)の直線的で継起的な性向に、ただただ捕縛されているがためである。


さて無答の疑問詞「なぜ。。。?」は、このような意識(作用)の絶望的な立ち遅れのもと、同期的にフェードインされてくる「懸隔(へだたり)」の程度にも応じて、二重にそこからはね返されてきたものである、と暫定的には言うことができよう。

上述したソクラテス的疑問詞からこの機序を解法しようとすれば、「懸隔(へだたり)」はさらに広がり、その強度も増す。症状に原因をあてがえばあてがうほど、未症状の頃あるいは他者の状態への渇望が突出し、結果、症状自体を誤って呪詛することにもつながる。逆に推理しても、同じである。

。。。となれば、「懸隔(へだたり)」の広さや強度が少しなりとも「減ずるが如き方途」というものを、生きようとする限り、懸命に開拓する以外ないではないか、ということにもなってくる。


「無答の疑問詞」は、「病」という症状からはね返ってくるものではない。それは、症状を症状として強化し対他化する意識(作用)特有の強烈な偽装である。意識の前景に、あたかも「病」自体が苦しさの根源であるかのような意識対象(ノエマ)を強力にも構築し、統覚自我(わたし)を撹乱し続けるのである。

この意識(作用)の残酷なまでの偽装性に気づかない限り、「無答の疑問詞」はいとも簡単に「ソクラテス的疑問詞」に飲み干されてしまうことになる。

「病」本体の完成にはもちろん、刻一刻に変化(へんげ)する症状にも常に立ち遅れる対他化(異化)意識は、同時に、方域を異にする幾筋もの半透明な分身を内的時空間に放出している、と思われる。そうでなければ、どれもこれもみずからたりえないはずである。

このいわば再帰的性格というものを通じてそのつど開示する常ならぬ「懸隔(へだたり)」模様が、統覚自我(わたし)に感情価値の一切を過度に読み込ませている、とわたしは感じている。

つまりは、自分の仕掛けた罠に、半ばの自分がはまってしまっている状態である。

苦しくとも一念発起する必要が、ここにある。

いくら苦しくとも、所詮は意識の三文芝居。その芝居小屋のなかの忍耐に報いなど微塵もないことに気づくこと、これが苦しみの渦中からの逆襲第一歩となる。


逆襲第二歩。

新たな意識を仮構してみる。少しの意志と意欲が残されていれば、だれにでもできる。困難であれば、新たな意識の代理表象でもよい。円盤でも鳥でも、なんでもよいのだ。自分の内的時空間を自在に動くことができさえすれば、それでじゅうぶん。

さて意識には、方域と対象が伴う。言わずもがな、三文芝居が繰り広げられている芝居小屋の背後である。そこに飛行してみるのだ。何が見える?

うずくまっている自分、身もだえする自分、壮健であった頃の自分。。。

ありとあらゆる自分が、主役にもなり脇役にもなって、もつれてはほぐれほぐれてはもつれる様子を、見ることができるはずである。


逆襲第三歩。

何度も繰り返すが、悲劇であれ喜劇であっても、あらあゆる出来事の完成は、意識が立ち遅れてしまうことを条件として成立している。

意識に先行する出来事の完成(生成)機序から言えば、そもそも出来事自体に悲劇・喜劇の種別があったわけではないのだ。


逆襲第四歩。

この意識(作用)をもすり抜け先行する出来事自体の時空間性格に、思いを精一杯馳せてみる。

当然のことながら、幾度も失敗するであろう。

しかし(その洞察に)成功する人も、多くはないであろうが、おられるのである。文献からいくつか引用してみたい。

  • 「私たちは、ただ自分の掘った穴を掘り出した土で埋めるだけのことです。・・・中略・・・現在はすでに既往の結論であって、それを理解するには私はいつも遅すぎるのです。」(W・ジェイムズ『宗教的経験の諸相』第十六・十七講原本脚注 桝田啓三郎訳)
「自分の掘った」とは、すでに意識(作用)の追跡を通り越した、したがって洞察の対象にはなりえても、推理の対象にはなりえない時空間性格に触れたもの、と理解すべきであろう。

夭折したユダヤ人女性思想家シモーニュ・ヴェイユ(1909-1943)は、次のように明言している。
  • 「時間は、永遠を映すものである。だが、また、永遠の代用品でもある。」(『重力と恩寵』田辺保訳)
「代用品」という表現の背面において、推理と洞察の異質性を、ヴェイユが敏感に察知していたことがよく分かる。

さらに信仰者に語らせると、こうなる。
  • 「神はその最初の永遠なる目なざしの内で一切を見てしまっているのであり、神には新たに何かをなすということはない。すべてがあらかじめなされてしまっているからである。」(『エックハルト説教集』所収「離脱について」田島照久訳)
聖書ではより擬人化されて、次のようになる。
  • 「主よ、あなたはわたしを究め わたしを知っておられる。座るのも立つのも知り 遠くからわたしの計らいを悟っておられる。・・・中略・・・その驚くべき知識はわたしを超え あまりにも高くて到達できない。」(「詩編」139 新共同訳)
「到達できない」と語りながらも、洞察はしている。


このような不可思議な時空間性への洞察あるいは覚知は、意識(作用)が織りなすさまざまな三文芝居の背後への着地に成功してこそ、醸成されてくるものである。

醸成の度合いに応じて統覚自我(わたし)も、徐々にではあるが、その背後に関心を向けてくる。

苦悩苦痛がたとえまったく緩和しなくても、三文芝居の悲劇性のからくりは、以上のような洞察の成長とともに暴かれてくる。

わたしの場合、たいへん苦しんだ時もあり、現在も苦しいには違いないのだが、回復に向かわない病のさまざまな表情を、なぜかしら半ば楽しむようにもなってきている。三文芝居に向かって、ヤジだってとばせるようになってきた。「きのうの演出はなんだい?きょうはもっと悲劇らしく演じてよね、頼むよ主役さん、脇役さん、ヨッ、日本一!」


病は痛苦しない!

わたしの確信である。

「福音書」の若きイエスが、すでにしてそう語っていたのだ。どの箇所かは、ご自分で気づかれるのがよかろうと思う。

0 件のコメント: