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2014/04/15

'Once-born'と基督教/キリスト教教育の限界

[教会学校] ブログ村キーワード
「教える側」のことではなく、「教えられる側」のことを書くつもりであった。

。。のだが、「教える側」に関する異変が報道されていたため、冒頭その記事に一言触れてから本題に入りたい。

CT(Christian Today)4月7日(11時08分)付で配信された次の記事がそれである。「見出し」だけで、内容の深刻さが伝わってくる。
キリスト教学校教育同盟が調査、教員に心因的支障事例「ある」 小は35%、中高は58%
とんでもない数値の高さ!である。

2014/04/12

小保方反論とパウロ型不完全性「背理法」との完全一致は仕組まれたのか?

[聖書] ブログ村キーワード
STAP,iPS
STAP細胞とIPS細胞との違い
By S.Noue
::「STAP細胞に関する論文の作成」(注)を急ぎ足で「不正」と判定した理化学研究所(理研)調査委員会への反論。今回の会見は、その明確な意図を微塵も裏切らず実行された。

(注)2014年4月9日に小保方氏が会見に先立ち、報道陣に配布したコメント中の表現。なお直後の「急ぎ足」というわたしの表現は、同コメント第三段中「調査結果では、事実関係をよく理解していただかないまま不正と判定されてしまいました。」に配慮したもので他意はない。

会見が終わりまだほんの数日しか経っていない。

だが案の定、玄人はもちろん玄人を脅かす素人まで、硬筆軟筆の限りを尽くした玉石混交たる情報はすでにいくつかの渦に分かたれ、わたしたちもそのいずれかに巻き込まれたまま、さらなる事の成り行きをはやくもそこはかとなく待ち呆けている。

。。。と思うが早いか、

2014/03/11

レクエイム。。。万のはらからに感謝

或ることに関して多弁をろうしたからとて、それによって了解内容がさらに深まるという保証は、いささかもない。(ハイデガー『存在と時間』第三十四節 原佑訳)
わたしは見た。

不穏にも、ひとつの時がふたつの断崖となって向き合っているのを。

2013/12/20

枝葉など放っておけ!


An onymous 「お・も・て・な・し」の島国NIPPON国に生まれ落ちたわたしが、この国を愛さないでいられるわけがない。

しかしである。

そのように愛すれば愛するほど、信じれば信じるほどに、わたしの自我を覚醒させ、思春期にも片時も離れることなく、しかも人格の大元のほとんどを形成してくれたのであろう「日本語」が、あろうことかその後どんどんとわたしから乖離し、ついには呪わしきものとなってわたしを苛んでいた時期があったことも、また事実である。

2013/12/02

道徳教育とは言うが


An onymous 文部科学省による「道徳教育の充実に関する懇談会」の委員名簿を見ていると、絶望的な気分になってくる。

そこに孤児がいない寡婦がいない病人がいない罪人がいない、そしてそもそも道徳を蹂躙する者がいない。つまり「懇談会」とは、塵ひとつ落ちていない無菌の会のことだったのだ。そんなところの床だけを見て人を見ず、お互い何度も何度も同じところを掃除する振りをして何がそんなに楽しいのか、と愚痴りたくもなる。

さてこのところ少しレヴィナス続きであるが、今回の主題にも参照してみたい。

聴講者のノートなどをもとに復元された講義録「証しと倫理」のなかでレヴィナスは、「倫理」の極域で生起する出来事をおもいっきり冷却しこう述べている(1976/04/23 ソルボンヌ大学 『神・死・時間』に収録)。

2013/11/27

特定秘密保護法案第五章のポテンシャル


An onymous わたしは生き方がまことに下手な人間、と言うか、そもそもが流れに掉ささずには生きられない性分もあって、この期に及んでもなお世論の拍動から逸脱した不整脈な標題を掲げざるをえない。最近はそんな自分に嫌気がさし始めているのだが、すでに遅し。最後の関門もこのままぶっ飛ばす以外ない。皆様方にあってはどうかアノニマス文体に巻き込まれぬよう読み流して頂ければなあ、と願っている。

2013/11/18

偽装関連ニュースを聴きながら


An onymousとても遅くに、最も遅れて[le plus tard]やって来るものは、ある起源に再び接近して、むしろ[plutôt]、起源より以前に起源に、始まりよりもさらに早く[plus tôt]起源に回帰することもありうるのだ。(ジャック・デリダ『精神について』のIX 港道隆訳)


三度読まずともわかる人は、無信仰であっても心清き信仰者である。
三度読んでもわからない信仰者は、ただ演じているだけかもしれない。

そしてわたしは思うのだ。

この引用とわたしのいかがわしい説法の意図そもそもがわからないと感じるその人たちこそ、おそらくはこの世で一等幸(さいわ)いな人間であり、尊崇の念を抱いてしかるべき最強のダスマン(世人)ではなかろうか、と。

しかしサルヴァトーレ・ナトーリ(1946-)に、わたしのような躊躇(ためら)いはなかった。
おのれの欲望のほかに法はない。本能の無制限な解放のなかで多神論と快楽主義が一致するようになり、エゴイズムと横暴がそれらに合流するのである。(『「世俗化」――無力な神の世紀』岡部宗吉訳 『RATIO 03』収録)
「予期していたはずの事態」を「予期せぬ事態」と彼らは言うが、その残酷はペトロなどの比ではない。人殺しまであと一歩ではないか。

ああ、人間よ。。。二足歩行の罠にまんまと引っかかった生き物よ!

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2012/05/15

農夫を生きる知識人

こんな人もいるんだぁ、とお感じいただければ。。。

シェアさせていただいた短い動画もご覧ください。要所要所、わたくしアノニマスが通訳いたします(笑)。

2012/02/28

曽野綾子の下品

「週刊新潮」3月1日号(8)掲載、
  • 「生活保護受給者」は霞が関で草むしり
なんならわたくしがむしりましょうか、あなたの下品を。。。

以上、おしまい。

「効果なし」、記録更新中!!!