或ることに関して多弁をろうしたからとて、それによって了解内容がさらに深まるという保証は、いささかもない。(ハイデガー『存在と時間』第三十四節 原佑訳)わたしは見た。
不穏にも、ひとつの時がふたつの断崖となって向き合っているのを。
わたしは霧むせぶ渓谷に降り立ち、
そして天を見上げた。
断崖から断崖へ乱れ飛ぶ無数の充血した流星。
復路のない星群は、巨大な黒雲と化し、
あろうことか人間の雨、雨、雨。。。
OH MY GOD......NOT INDEED!!!
渓谷に突進した雨粒は滝壺をなした。
その滝壺はあふれて泉となった。
その泉は轟音とともに海と化し、
海は満ち満ちて潮位を上げた。
ああ、そして、そしてついに、
雨粒となった万のはらからは渓谷を充たし、
ひき裂かれた時と時とを、結わえつけたのである。
そうしてわたしは見たのだ。
それら鼓動はやがて止まり、
かすがいの如き凍土となっていくのを。
それらは、
褐色の傷痕、
時への刻印、
心魂を突き刺す刺青針。
この凍土を土足で歩くな!
渡るなら、
飾り物すべてを捨てよ!
歩むなら、
沈黙をまもれよかし!
ただともに泣かむ、
ただともにむせび泣こうぞ、
せめて、せめて、
残されたわたしとあなたの
今日一日のどこかで。
(2011年3月16日のわたしの日記より。一部を削除・修正したのち転載。)
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