2014/04/12

小保方反論とパウロ型不完全性「背理法」との完全一致は仕組まれたのか?

[聖書] ブログ村キーワード
STAP,iPS
STAP細胞とIPS細胞との違い
By S.Noue
::「STAP細胞に関する論文の作成」(注)を急ぎ足で「不正」と判定した理化学研究所(理研)調査委員会への反論。今回の会見は、その明確な意図を微塵も裏切らず実行された。

(注)2014年4月9日に小保方氏が会見に先立ち、報道陣に配布したコメント中の表現。なお直後の「急ぎ足」というわたしの表現は、同コメント第三段中「調査結果では、事実関係をよく理解していただかないまま不正と判定されてしまいました。」に配慮したもので他意はない。

会見が終わりまだほんの数日しか経っていない。

だが案の定、玄人はもちろん玄人を脅かす素人まで、硬筆軟筆の限りを尽くした玉石混交たる情報はすでにいくつかの渦に分かたれ、わたしたちもそのいずれかに巻き込まれたまま、さらなる事の成り行きをはやくもそこはかとなく待ち呆けている。

。。。と思うが早いか、

今日(11日)付の某新聞(ネット版)に、次のような「見出し」が飛び込んできた。
STAP細胞:小保方氏にメールなど170通 9割が激励
ムム。。。やっぱりなぁ。。。わたしの予感は的中した。

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┃ここからはわたしの妄想である。
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会見での小保方晴子氏の「反論」全体を視聴しながら(TVを置かない主義なので必要に応じて動画でチェック)、一方でわたしは、彼女の弁証の特徴あるいは論証推理のフォーマット(ひな形)などにも関心を寄せていた。

彼女の会見は、事前に配布されたコメントを敷衍する仕方で行われた。

まずは「謝罪」からである。

そのあまりの謙虚さと涙目ならぬ高音の涙声、それに過呼吸ぎみの息づかいなどから、これは全面敗北宣言かな?っと一瞬感じたのは事実である。

ただし小保方氏の「謝罪」は次の基本形式に限定されていた。
{論文執筆法・提示法に関する不勉強(不注意・未熟さ)→多数の不備}⇒謝罪
これは、彼女の「謝罪」がこの因果の制約の範囲内でのみ効力を持つ、ということを意味している。

さて、

「謝罪」部分が終了し、ほどなくそれが理研調査委員会「不正」判定への反論に移行するや、「背理法」の核ともいうべき論敵側の主張(命題)と明らかに矛盾する動かしがたいと思しき「事実」に彼女は躊躇(ためら)うことなく言及した。

概略つぎのような思惟の組み立てになる。一部に氏の本意から逸脱しない限りにおいての表現上の加工を施した。ご理解賜りたい。
】】】理研側【【【
根拠命題={論文の体裁上の間違い≒(結論を含む)論文自体の間違い}⇒結論=不正判定 
】】】小保方側【【【
理研側の主張(上述)を一端全面的に認め、それを「仮説」として取り込んだ「問い」を立てる。 
↓ 
理研側の「不正」判定が正しいとするならば、以下の「事実(群)の存在」をどう説明すればよいのか?
・実験は確実に行われている
・データも存在している
・STAP現象は何度(200回)も確認された真実
↓ 
これらの「事実群」も不正だと言うなら、わたし(たち)はただの犯罪者(集団)になってしまう。しかしそんなことは、およそありえないことである。 
↓ 
したがって結論に問題があるのは、理研調査委員会側の「不正」判定のほうであって、論文体裁に多くの不備はあったとしても、その結論が揺らぐことはない以上、理研の「不正」判定は誤りである、と考えるのが道理である。
↓ 
再調査依頼と研究継続への強い意志表示
身を切らせて相手の骨を切る。まさに断崖に立たされた者の窮鼠(きゅうそ)猫を噛むような殺法(さっぽう)である。

「背理法」とは、論敵の主要命題を「偽」として転覆させるためのややトリッキーな推理形式である。最大のポイントは、論敵の主要命題から矛盾を引き出す「媒介項=主要命題に反する事実・事例」の信憑性の程度如何にすべてがかかっている点にある。高ければ高いほど支持者は増え、低ければそれだけ支持者は確実に減る。

「背理法」という推理形式の特徴的な成り立ちを把捉(はそく)しておくと、ハイライトされるべき議論のコアがいったい何であったのかどこであったのかを検索または復元するうえで、なにかと便利ではある。ただし三段論法などに比べると、証明力が微弱であることは否めない。

小保方氏の「反論」に関するメディアを含む一般の反応がまちまちであるのは、この媒介項がコメントする側の価値観・世界観に応じて遊動するためである。そもそも「背理法」とは、論敵を100%論駁するために見出された推理形式ではない。

おそらく小保方氏は、その不完全さを百も承知で背理法による反論に頼らざるをえなかったのであろう。誰のデザインか?そこまでは分からない。ご本人自身の内発によるものである可能性が一番高いが、ほとんど原稿を見ずに反論されているところを拝見すると、短期間で周到な反論のための訓練を誰かの指導下で秘密裏に行っていた、という可能性も否定することはできない。

。。。とここまでわたしが書けば、ブログ「十字架の現象学」ファンなら(イナイイナイバゥゥゥ)気がつかれたかもしれない。

そうである。

「背理法」についてわたしは、以下のタイトルの記事二本をすでに投稿していたのだ。詳細はそちらの記事に譲りたい。時間のない方には、パウロ型「背理法」の不完全性を、書簡分析に基づき得た演算式(論理式)で明示した(2)のほうを先に、また時間に余裕のある方は(おられないとは思いますが)、ギリシア由来の形而上学に依拠せざるをえなかったパウロの出自と孤独を、パウロ理解の重要な要素としてあえて強調した(1)からご一読頂きたい。
パウロ聖使徒の背理法・回心者の間接証明(1)
パウロ聖使徒の背理法・回心者の間接証明(2)
真筆書簡と鑑定された「コリントの信徒への手紙 一」(紀元55年以後か?)第15章で展開された「イエスの復活」をめぐるパウロのあの激しい弁証と今回の反論会見における小保方氏の弁証とは、瓜二つである。媒介項の遊動性の度合いまで似ている。これは偶然か?

彼女の周辺に親しいキリスト者の関与者がいないかどうか、わたしが記者であったなら調査に乗り出したであろう。

上記記事の(2)の最終部分で、わたしは次のように表現している。
大きな「賭け」であった。 
会衆の三分の一は去り、三分の一は態度保留、そして三分の一は辛うじて賛同。。。ここに信仰者パウロの「孤独」があった。 
ルターが絶賛し強く推奨した「ローマの信徒への手紙」全体を貫くガラスのような論理の透明さは、このパウロの「孤独」が演出したものである。その点を見落とすと、「ローマの信徒への手紙」は凶器にもなる。そして事実、そうなったのである。十五万人が犠牲となった「農民戦争(1524-1525)」の背後にも、ルターはいたのである。
冒頭述べたわたしの予感とは、今回の反論会見が最低限この「三分の一」の賛同を奪取するために開かれたのであろうというものである。小保方氏がそこまで追い詰められていたのは、間違いなかろう。若くして窓際族になっても、STAP細胞の事後証明に挺身したい、ということなのである。

理化学研究所は、ご承知のとおり独立行政法人である。「独立」とは言っても「行政法人」であるかぎり、国家権力との結びつきの強さは民間企業などの比ではない。

契約を更新したと報道されてはいるが、同じ場所でリーダーをこれ以上継続することは難しいと思われる。ただし追放は考えられない。職業に貴賤はないとは言うが、まさかレジ打ちをさせるわけにもいくまい。最終的には、いわゆる左遷程度で穏便に処置されるであろうと予測する。独立行政法人とは、わたしのような凡人の住む世界とは「常識」ひとつからしてが違うのだ。なお副所長の言動・人脈の動き等には、今後しばらく注視しておく必要はある。

復活のイエスが神の子として「使徒信条」という額縁の中に大切にしまわれたように、STAP細胞も「時」が熟すまではお箱入り、ということになろうか。

もちろんその箱からは出てこない、ということも考えられる。

以上妄想より。
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