とても遅くに、最も遅れて[le plus tard]やって来るものは、ある起源に再び接近して、むしろ[plutôt]、起源より以前に起源に、始まりよりもさらに早く[plus tôt]起源に回帰することもありうるのだ。(ジャック・デリダ『精神について』のIX 港道隆訳)
三度読まずともわかる人は、無信仰であっても心清き信仰者である。
三度読んでもわからない信仰者は、ただ演じているだけかもしれない。
そしてわたしは思うのだ。
この引用とわたしのいかがわしい説法の意図そもそもがわからないと感じるその人たちこそ、おそらくはこの世で一等幸(さいわ)いな人間であり、尊崇の念を抱いてしかるべき最強のダスマン(世人)ではなかろうか、と。
しかしサルヴァトーレ・ナトーリ(1946-)に、わたしのような躊躇(ためら)いはなかった。
おのれの欲望のほかに法はない。本能の無制限な解放のなかで多神論と快楽主義が一致するようになり、エゴイズムと横暴がそれらに合流するのである。(『「世俗化」――無力な神の世紀』岡部宗吉訳 『RATIO 03』収録)「予期していたはずの事態」を「予期せぬ事態」と彼らは言うが、その残酷はペトロなどの比ではない。人殺しまであと一歩ではないか。
ああ、人間よ。。。二足歩行の罠にまんまと引っかかった生き物よ!