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2014/03/11

レクエイム。。。万のはらからに感謝

或ることに関して多弁をろうしたからとて、それによって了解内容がさらに深まるという保証は、いささかもない。(ハイデガー『存在と時間』第三十四節 原佑訳)
わたしは見た。

不穏にも、ひとつの時がふたつの断崖となって向き合っているのを。

2014/01/03

信仰者の浮遊感

自分の写真
著者An
キリスト教、思想、哲学、現象学、神学、聖書、病気、パーキンソン病、メンタルヘルス、パニック障害、自殺等をキーワードにしたキリスト者であるわたしが言うのもなんだが。。。(あぁ、長ったらしいこと!努力努力、フ~っ)

生の臨界点をこれみよがしに貪り尽くし、そして過ぎると、同じ生の対極にある臨界点に遺棄されて、しかもあろうことか今度は怯えながら生のみあらんことを殊勝に願う、そんな愚かでばかばかしいとしか言いようのない振幅を縦にも横にも飽きずに反復させてきたもの、それが宗教という名の見えそで見えぬ怪物ではなかったのだろうか。

「旧約聖書」が血なまぐさいのは、おそらくその飽くことなき反復のためであろう。

2013/12/22

俳句?川柳?

#3776 センチュリー ペン先
(C)enokov
      灰にこそ 灼熱の炭 偲ばるれ

■自己評価■

「灰」と「炭」の違いは「山or火?」があるかないかだけですよね。なのにこんなに時空の懸隔があります。そこがなんともおもしろーーーいっ、とまずはどあつかましく自画自賛。「係り」助詞にフォルテッシモの「こそ(牙音)」をあえて選び、助動詞已然形「るれ」に呼応させた点、これみよがしな意図性を感じますよね。爺くささまるだしです。その結果、助動詞「る」が文法上の意味「自発」性を保持しえなくなり、ただならぬ意味論的反撥に晒されてしまいました。それをだらしなく放置している。なんとデリカシーのない自虐的な作品でしょう!不合格やなぁ。。。

自家撞着(どうちゃく)は人間に不可欠・不可避な存在論的「根拠(条件)」である、というテーゼが、はたして俳句や川柳などの金型に馴染むのだろうか、といったまあどうでもいいことをぼんやりと考えながら、ごろんとベッドに体をあずけて流し込んではみたのですが。。。その後ペンを持ったままどうやらうつらうつらの桃源郷。

仮眠から覚醒するやポロリと一句が。
愛なかば 残し残され さようなら
こんなん出ましたあああ。成熟したおとなってこんな感じなのでしょうかねえ?わたしは恋愛も波瀾万丈でしたので。。。せめてこうしてあげることだけでもできればよかったかなぁとただ悔いるばかりです。ということで今回はめずらしくこれでおひらきですぅ。ドンチキチン!

あと十日。読者の皆様方、体の健康・こころの健康に留意し、少々苦しくったってそれ以上に明るく楽しく過ごしましょう。まだ年内更新しますですヨ。