
起き上がれそうにない時はもちろん、救急車を呼ぼうかと発作的に意志せざるをえない不穏な気分に襲われた時でさえ、その「無傷な自分」がとんでもないジェラシーの対象に変容しながら、やはりどこからかしら奇怪な回路を這うようにして現象してくる。統覚自我。。。とひとことで片づけられそうにはない不気味な動きと不敵なぬくもり。
ハイデガーは福音書に神の子ならぬ現存在イエスを看破しました。使徒信条や教会牧師の礼拝説教から彼を解き放ってこそ、あらゆる痛苦懊悩に勝利した彼の人間洞察、信仰の存在論的機序が蘇ります。★キリスト者の脱 / 再構築風 - キリスト教的覚え書き。(2011-2014)
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Friedrich Nietzsche |
或ることに関して多弁をろうしたからとて、それによって了解内容がさらに深まるという保証は、いささかもない。(ハイデガー『存在と時間』第三十四節 原佑訳)わたしは見た。