2014/03/25

誰がために信仰はある――苦陰に隠れ過越しを待たむ

[苦しみ] ブログ村キーワード
自分の写真::苦しみのさなかで苦しみについて考えていると、自分のなかのどこかにまったく「無傷な自分」がいるのではないか、といった猜疑にすっかり心奪われてしまうことがわたしにはある。

起き上がれそうにない時はもちろん、救急車を呼ぼうかと発作的に意志せざるをえない不穏な気分に襲われた時でさえ、その「無傷な自分」がとんでもないジェラシーの対象に変容しながら、やはりどこからかしら奇怪な回路を這うようにして現象してくる。統覚自我。。。とひとことで片づけられそうにはない不気味な動きと不敵なぬくもり。

いわゆる「心脳問題」がアポリア(難問)のひとつであり続けていることの背後には、こうしたほとんど伝達不可能とでも言うほかない体験が深く関与しているからではないか、と感じざるをえない。(「心脳問題」の詳細については→→→心の最前線

苦を実体として、すなわちエイドス(形相)とヒュレー(質)の合体したものとして確証するのは知覚ではない、というわたしのなかば第六感に近い思念は、主に以上のような苦の体験の持続を通して生じてくるものである。

蓋(けだ)し、苦を苦しみとして知覚するためには、知覚が起動する以前に、その苦がわたしたち個々の存在内部で対象となるべく実体化されていなければならない。

なるほど、たとえば妄想や幻想あるいは幻覚のような、およそ実体とはほど遠いと思われる苦に激しく苛(さいな)まれ翻弄されることも、わたしたち人間にはたしかにある。しかしそれらとて、存在内部のどこかしらでうごめく苦の実体に基づく複雑な変様態として分枝したのちに、知覚の網がかけられた苦(実体の変様態)であることは、すでにハイデガーによって指摘されているのだ(『存在と時間』第一部第一篇第十三節。当ブログ内連載「ニーチェ箴言散策集・私家版 (6)」などでも引用、敷衍(ふえん)。)。

問題は、苦が実体と化するその場面にわたしたちの知覚や意識は立ち会ってはいない、ということにある。

知覚をまとった意識の領野から表現し直すと、その場面に届かない、いや戻れない、ということになる。届かない・戻れないことに首肯することで、知覚となり意識となりえているのである。

だからこそ苦しむ者の苦しみは、その伝達不可能性に絶えず圧迫されながら、いや増しに増すのだ。まさに苦に疲れ果てるまで、しかも波状的に幾重にも。自分の苦でありながら、一寸先の軌道すらまともに描けない。予測ができない。これら無様無慙のすべてが、神ならぬ「時」のなせる冷酷であることを、わたしはいささか強調しておきたいと思う。何でも「罪」と言えば済むものではない。

苦しみや痛みに寄り添うことの必要を事あるごとに世人(よひと)は説くが、それは猛火のただなかに飛び込めと号令を発する人間の軽薄と寸分違わない。あの3.11のその後を改めて伺わずとも、他者理解がアポリア中のアポリアであることは、幾度もわたしは指摘してきたつもりだ(「語る・聞く、の出入り口」などを参照されたい。)。安穏に慣れ親しんでしまったプロテスタンンティズムの教会指導者・先導者のこの三年間のちんぷんかんぷんにはほとほと呆れかえる。

苦とは、たとえば次のようなことばの格別な仕掛けを通してしかあぶりだせない不自由極まりなき個的な体験なのである。
発熱がいく日もつづいた夜
私はキリストを念じてねむった 
・・・中略・・・ 
翌朝眼がさめたとき
別段熱は下っていなかった
しかし不思議に私の心は平らかだった 
(八木重吉『貧しき信徒』に収録された「無題」という詩。1行目および中略部の9行分を省略した)
奇跡が起こらなかったことも、奇跡が起こったことも、おそらくはどちらも真実であったろうと思う。

作者もそのことを納得したうえで筆をおろしたことは、想像に難くない。

それにしても、奇跡というにはあまりにもささやかすぎはしまいか!

「念じてねむった」はずなのに。。。である。

今のわたしには、こう読めるのだ。

作者の心が「平らかだった」のは、神のおこした(あるいは作者が神の子と信じていたであろうイエスの)奇跡などではなかった。つまり巷間言われる「平安」ではなかったのである。

それは、「念じたが何も起こらなかった」というとてつもなく深い絶望の、じつはさらに深部で音もなく営まれている「苦の自己経験(苦が苦を体験しみずからを実体化すること)」の圧倒的な力に踏みつぶされてしまった作者の虚脱感・(絶対的)無力感・白旗感なのである。それら一切をなりふり構わず引き寄せずには過ぎ越せない時の告知が、いまだ存在することの気配への予期せぬ驚愕なのである。

そのすべての結果が、「(心は)平らかだった」という表現に結晶したのではなかろうか。

1917年十九歳でキリスト者となり二十九歳肺結核で夭逝(ようせい)した作者は、しかしついに「苦の陰」から逃げ出そうとはしなかった。

それは同時に苦との闘争の最終放棄、苦に対し無力であったことの自己承諾を完了した者にしか見えない、聞こえない、感じない束の間ではなかったろうか。

その束の間は、「間際」のクロノスと自分だけの「時」としてのカイロスとの合一を予告せんとするこのうえもなき厳(おごそ)かな煌めきで充満していただろう。その奥所からそこはかとなく洩れ来る琴の音のなかを、仄かにも優しく近づいてくる覚悟のために、作者は「まっすぐに準備されるべき道」(マルコ1.3のイザヤ変形)を,六尺の藁(わら)の病床に横臥しながらにして整えていたのであろう。

苦陰に隠れ一歩も出でず。ダヴィデごと、われをもひとしく過ぎ越さなむ。
信仰はわれひとりの仕草なり。人のための情けにはあらじ。 An

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