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::礼拝説教ヲソノママ「ネット」デ配信スレバ、大キナ効果ガアルカモ。。。
なんぞという夢のようなことを考えては、性懲りもなく次から次へと無駄に動画をアップする牧師が急増しているようだ。まったくネットの仕組みが何も分かっていない。ハッキリ言って、今のやり方では逆効果なのだ。
久方ぶりに膨大な数の中から、あれこれ何本か、億劫な気持ちを我慢し、のぞいてみることにした。
冒頭30秒程度、中間30秒程度、落ち処の終盤30秒程度。都合一本二分以内とおよそ決めてから、ざあーっとながしてみた。視聴者を意識したかなりきわどいエンタテイメントなものも中にはあったが、撮影される、ということが何を求められていることなのか全くわかっていない真面目くさった直立不動系の、見るからに怪しげなまたは腹黒そうな表情をした牧師の説教が、そのまま編集もされずに垂れ流しされているのがほとんどであった。
見終わってわたしの口から自然と出てきた言葉、それが今回のタイトルである。
「物品」ではなく「情報」のネット配信というものがビジネスとして成立する必須条件を熟知せずして、個人の趣味じゃあるまいし、ネット配信もくそもないのだ。その配信される情報の希少価値性(オリジナリティ)と現実的な効果(変化・変革を招来する力)、ならびにその根拠性を語り切る圧倒的な表現力を宿した、いわばその道の「天才」(いかがわしいカリスマではない!)が配信されなければ意味がない。
ネット時代がキリスト教に求めているのは、そういった稀有な天才たちの語りをまさにグローバルに共有しうるトータルシステムの構築である。宣教師・伝道師・牧師である必要などどこにもない。一般信徒でももちろんよい。権力が一点に集中しないよう絶えず循環させるシステム(アルゴニズム)さえ組み込んでおけばよいわけだ。
あとはポータルサイトに仕立ていかに広告収入を獲得するかであるが、これは別途強力なプロジェクトを立ち上げなければ無理である。うまくいけば、「献金制度」の完全廃止も数年にして可能にもなるほどの収益を上げることもできる。要は、やり方ひとつだ。
そうなるや、不動産である全国の教会も役割御免となる。売却してその資金を法的に凍結しておけばよい。そうでないと、悪いカラスが必ずさらっていきますぞ。莫大な売却資金。将来の地球と人類の危機のために凍結するのがよかろう。おのずと、教団・教派という概念自体もなくなる。歴史的遺物になるだけだ。
大雑把な話しだが、このような智恵・議論が、二十一世紀日本プロテスタンティズムの先導者・指導者にはないし、またやってこなかったのである。「使徒信条」があるがため出来ないのである。現状はその結果だ。やる気がある振りは天下一品だが、振り返ってみるとその手はいつも不思議に美しい。日雇い労働者の手と比べてみられるがよい。
ネットにわんさかと参加する三分の一は自己(又は教会)宣伝、三分の一は半ば遊び、そしてあとの三分の一は貼り付けられた広告から零れ落ちる小遣い稼ぎ。悪いとは言わないが、しかしその程度である。誠意ある人は、残った僅かな剰余のなかに。だからわたしは相手が知ろうが知るまいが、黙って応援するのである。
これ以上の種明しは、内々の話になる故ご勘弁を。
とにかく頭を働かせることが大切かと。。。その点、上祐氏その他新興勢力のネット戦略のほうに分がありますねぇ、残念。相手から学ぶことも大切ですね。
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