ハイデガーは福音書に神の子ならぬ現存在イエスを看破しました。使徒信条や教会牧師の礼拝説教から彼を解き放ってこそ、あらゆる痛苦懊悩に勝利した彼の人間洞察、信仰の存在論的機序が蘇ります。★キリスト者の脱 / 再構築風 - キリスト教的覚え書き。(2011-2014)
2013/11/27
特定秘密保護法案第五章のポテンシャル
わたしは生き方がまことに下手な人間、と言うか、そもそもが流れに掉ささずには生きられない性分もあって、この期に及んでもなお世論の拍動から逸脱した不整脈な標題を掲げざるをえない。最近はそんな自分に嫌気がさし始めているのだが、すでに遅し。最後の関門もこのままぶっ飛ばす以外ない。皆様方にあってはどうかアノニマス文体に巻き込まれぬよう読み流して頂ければなあ、と願っている。
2013/11/22
信田さよ子氏の「先手」
2013/11/19
レヴィナス的補記
2013/11/18
偽装関連ニュースを聴きながら
とても遅くに、最も遅れて[le plus tard]やって来るものは、ある起源に再び接近して、むしろ[plutôt]、起源より以前に起源に、始まりよりもさらに早く[plus tôt]起源に回帰することもありうるのだ。(ジャック・デリダ『精神について』のIX 港道隆訳)
三度読まずともわかる人は、無信仰であっても心清き信仰者である。
三度読んでもわからない信仰者は、ただ演じているだけかもしれない。
そしてわたしは思うのだ。
この引用とわたしのいかがわしい説法の意図そもそもがわからないと感じるその人たちこそ、おそらくはこの世で一等幸(さいわ)いな人間であり、尊崇の念を抱いてしかるべき最強のダスマン(世人)ではなかろうか、と。
しかしサルヴァトーレ・ナトーリ(1946-)に、わたしのような躊躇(ためら)いはなかった。
おのれの欲望のほかに法はない。本能の無制限な解放のなかで多神論と快楽主義が一致するようになり、エゴイズムと横暴がそれらに合流するのである。(『「世俗化」――無力な神の世紀』岡部宗吉訳 『RATIO 03』収録)「予期していたはずの事態」を「予期せぬ事態」と彼らは言うが、その残酷はペトロなどの比ではない。人殺しまであと一歩ではないか。
ああ、人間よ。。。二足歩行の罠にまんまと引っかかった生き物よ!
2013/11/15
ニーチェ箴言散策集・私家版 (13)
2013/11/13
踊り狂いたい。。。
2013/11/08
償えないこともある
2013/11/06
ザラデルの攻撃性
2013/11/04
『必要なる天使』点描
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