2013/11/06

ザラデルの攻撃性


An onymous
マルレーヌ・ザラデル『ハイデガーとヘブライの遺産 思考されざる債務』(合田正人訳1995年 叢書・ウニベルシタス475)

原本初版は1990年。時の経過をやや背負った学術書であるが、歴史の根拠への猛烈な内省を西欧が求められていた時代であったことを踏まえれば、当時としてはセンセーショナルな出版ではあったろうと推測する。冷戦構造と「壁」の崩壊を契機にグローバル化が加速し、民族・国家間紛争を足場にしたアメリカ新自由主義の攻勢もさらに強化されだしたのもこの頃からであろう。


最後のページを彼女は、次のように閉じている。合田先生の御翻訳から二箇所引用させていただく。
ハイデガーはこの次元(ヘブライ的構成要素)を密輸入したということであろう。(括弧内An)
ヘルダーリンの場合には、ギリシアの夢とは別にユダヤ - キリスト教的な記憶が存続しており、アポロンのかたわらには<父>のたえず回帰する形姿があるのだ。これに対してハイデガーは、少なくとも私の知る限りでは、ギリシャを夢見るにとどまらず、ギリシャ的なものにとっての<他者>とみなされうるものの徹底した抹消を代償として、このギリシャの夢を実現した唯一の人物なのである。
「密輸入」といい「徹底した抹消」といい「唯一の人物」といい、学術書に定住してきた表現からするとあまり馴染みのあるものとは言えない。失礼ながら、まるで論告求刑を聞かされているかのような感じすら覚えてしまう。それほどに断罪的である。

本書における彼女の表現文体の過剰は、この箇所だけではない。彼女の思いが次々と開いていくそのつどの踊り場ほとんどに見出せる。

本書における彼女の仮説自体は、実はとても魅力的でしかも簡明なのである。

なのにどうしてそうハイデガーに対し攻撃的であるのか。

おそらくは彼女の学問上の手続きそのものが、形而上学の域から脱皮しきれていないことから生じた苛立ちに起因するものではないか、と感じる。

そのうち二点ほどを手短に指摘しておきたい。

一点目は、おもに本書第一部で行われているハイデガーのテクストと旧約聖書(ユダヤ的解釈資料文献を含む)との照合(対照)作業から得られた類似性を、影響関係というものにあっさりと翻訳してしまっていることにある。類似性に必然的な影響関係(因果関係)を見出そうとする傾向は、一種の先入見である。そのオールターナティヴは、ひとえにテクスト解釈の生きた循環にどこまで耐えられるかによるからである。

二点目は、第二部で展開されているパウロ書簡のハイデガーへの直接的な影響云々である。就中、「カイロス」をめぐってパウロが再編したメシア的時間機序とハイデガーの時間構成の、これまた類似性と影響関係への断言的な仮説である。

詳細な理由は割愛させて頂き結論だけを申し上げると、パウロが再編したメシア的時間機序は、当時の宣教活動において強いられたユダヤ教徒あるいは異邦人(インテリを含む)などとの壮絶極まりなき論争の過程で練り上げざるをえなかった満身創痍の形而上学的産物、いわゆる論争説得のための戦術のひとつであって、ヘブライ的要素とはいささか事情を異にするものである。パウロ自身が『七十人訳ギリシア語聖書』を使用していた事実を、彼女は勘違いしている。それは、パウロが在ローマ属国ユダヤ人二世であった事実をこそ強調するものである。

またハイデガーの時間構成への彼女の理解は、パウロとの類似性に執着しすぎたものである。「既在しつつある現成化する到来」(『存在と時間』第六十五節 渡辺二郎訳)と叙述したハイデガーは、あくまでもそう叙述・記述しただけなのである。つまり、時間の統一的現象、したがってこれらすべての要素が、「存在」から離反しつつしかしその確実な変様態として同期的に現象するしかないものであることを読者に体感させるためその規範的結合を破壊した「語り」であって、上述した説得論争のための形而上学的思惟の産物ではないのである。ハイデガーは、伝えることが到底不可能な時間現象それ自体を、読者の間際までおびき寄せようとしているだけなのである。あるいはあぶりだそうとしているのである。伝達可能だなどとは、少しも思っていないのである。体験とは、そういうものなのである。ハイデガーのテクストに接近する千里の道の、これが第一歩になろうか。

こんなふうにうつらうつら考えていると、本書に散りばめられた数多くの問いは、ザラデルの推理を活発に動かしはしたが、ハイデガーの体験それ自体を露わにするにはついに至らなかったように思われてくる。その一方で、学術書にはなりきれなかったが、しかし優れた文芸書つまりサスペンスとしては完成の域にじゅうぶん達しているのかも。。。と感じたりもするのである。
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