Friedrich Nietzsche |
120節から124節までをどうぞ。。。バックナンバーサイドバーから。
原文・翻訳からの引用は、「報道、批評、研究目的での引用を保護する著作権法第32条」に基づくものです。ドイツ語原文は、"RECLAMS UNIVERSAL-BIBLIOTHEK Nr.7114"、日本語訳は、木場深定氏の訳に、それぞれ依ります。
)))120節(((
Die Sinnlichkeit übereilt oft das Wachsthum der Liebe, so dass die Wurzel schwach bleibt und leicht auszureissen ist.
性急な官能はしばしば愛の成長を追い越し、そのために根が弱いままになっていて、容易に引き抜かれる。++++++++++
ニーチェは、直喩より隠喩を多用します。
もちろん、隠喩であることを見落としたとしましても、大抵の場合それはそれでなんとなく意味が通じるようにはなっています。
当箴言もそのまま俗解してしまえば、「出来ちゃった結婚」のよくある顛末?のようなことを想像することができます。またそう理解されても、かまわないわけです。
ただ俗解にはそれ以後の進展がなく、やがては霧散霧消してしまうものがほとんどで、ある日突然に想起されるといったことは稀です。
さて、
当箴言最大の隠喩は、「愛」です。
「愛≒X」が、その基本的な公式となります。ポイントは、「≒」です。「=」ではありません。したがって「愛」という語の意義素論的な座標点の分布から、「コレカナ?」と思しきものを選択しなければならないわけです。ドンピシャリ当たる場合もありますし、みごとに外れる場合もあります。そこがおもしろい。。。ということになります。
わたしの場合は「X」に関し、本能、衝動、欲求、情念、、、あれこれと飛び歩きしながら、なんとか「男と女(あるいはその他)」「(人間)関係」「種の保存」「種族民族」「共同体」あたりに行き着いています。
あともうひとつ、「性急な官能は・・・追い越し」、こちらはどうでしょう。
「性急な官能」自体はずばり「性的衝動」のことですが、「愛(の成長)」が「種族民族・共同体(の安寧維持)」の隠喩となると、「追い越し」という尾ひれも勘定して、既成秩序を改造あるいは転覆する急激で先鋭的な「力」あるいはその主体のようなものをイメージすることが(暫定的にではありますが)できます。
しかしながら幸か不幸か当箴言では、その「力」が「容易に引き抜かれる」性格のものであるとも書かれています。
「出来ちゃった結婚」ではなく、いつしか「出る杭は打たれる」に近い解釈に近づいてしまいましたが、どうもニーチェは、「容易に引き抜かれ」ない「力」の到来を予知しながら、あたかもその逆の立場にいるかのように自らを偽装していたふしがあります。
箴言におけるトリッキーな偽装工作、これもニーチェの特徴です。
ニーチェの本心は、じつはこんなふうに明かされます。
自然的な、あまりにも自然的な、《似たものへの前進》を、類似なもの、通常のもの、月並みのもの、蓄群的なものへの――卑俗なものへの!――人間の進展を遮るためには、巨怪な対抗力を喚び起こさなければならない。(268節)「巨怪な対抗力」の固有名は、「ツ」からはじまります。皆様方よくご存知のはずです。
なお「を」が二回登場していますが、どちらも「喚び起こす」にかかる連用修飾機能をもった格助詞です。老婆心ながら。
(2008年06月23日 記)
)))121節(((
Es ist eine Feinheit, dass Gott griechish lernte, als er Schriftsteller werden wollte - und dass er es nicht besser lernte.
神が著作家になろうとしたとき、ギリシア語を学び、――しかも普通より以上によく学ばなければならなかったことは、何とも妙味のあることだ。++++++++++
じつにニーチェらしく、嫌みたっぷりの(?)表現となっていますネ。
さて旧約聖書の『七十人訳ギリシア語聖書』への翻訳は、紀元前三世紀にすでに始まっていました。
「普通より以上に」とは、それがコイネー(標準・共通・規範)ギリシア語であったことを指しますが、そのためにヘブライの神が自らの(と民に信じられてきた)言葉を学び直さなければならなかったこと自体、そもそも滑稽千万なことで、しかもその出来具合のまだらな痕跡までがくっきりと残っているではないか、といったところでしょうか。
ニーチェでないと語れない箴言、という訳ではなさそうなのですが舞台は西欧。。。やはりニーチェでないと、ここまでは言い切れないかもしれません。
そこで少々脱線をば。
エデンの園からの追放劇を除けば、神の最初の「審判」はみんさんよくご存知の「ノアの大洪水」です。義を貫いたため神に救われたノアは、子孫を増やし、結果、諸国の民が「一つの話しことば」をもち地上に再度現れることになります。が。。。そのうちに彼らはこんなことを言いだすようになります。
さあ、われわれは町を建て、頂きが天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。(いのちのことば社『聖書』より)しかし天に届かんとする人間の傲慢を知らしめるため(旧約聖書の)神は、全地の「一つの話しことば」を混乱させ、人々を地の全面に散らします。これが有名な「バベル(バビロン)の塔」のお話しです。
サピア=ウォーフの仮説を想起するまでもなく、確かに「ことば」は民族であり文化であります。
同国人はもちろん異国人同士の相互理解の大切な契機です。しかしその軽率あるいは未熟な使用が、蔑視や偏見や差別を助長・再生産したり、ついには凶器それ自体に変容したりすることをも、わたしたちは知っています。
関東大震災時の自警団による朝鮮人虐殺。当時の自警団の構成メンバーであった日本人は、朝鮮人であることの最も確かな「徴(しるし)」を彼らの「ことば(日本語の発音)」に見出していました。言語学的に申し上げれば、パロールにおける言語干渉があだとなったたいへん不幸な出来事でもあったわけです。
四方を海に守られた(これは一種のゲットーです)日本においてすらそうなのです。況(いわん)や欧米・第三世界諸国諸民族の歴史においてをや。。。です。
ユダヤ人とユダヤ教徒の数はほぼ同数です。しかもこの地球上には、一千と数百万人しか残っていません。なぜでしょう?
ユダヤ人の惨殺・虐殺は、ホロコースト(アウシュビッツ)だけではないからです。キリスト教の実に長い歴史と「ともにあった」からです。
ここ十年以内の比較的まとまった論稿としては、森まり子『「不寛容」の淵源と形成――ヨーロッパ・キリスト教世界とユダヤ教徒』(『ラチオ』03号収録 2007年)などがあります。第一次資料自体に、とてもうまく事実・真実を語らせておられます。
次節がすこし長いですので、本節はこの程度で。
(2008年06月23日 記)
)))122節(((
Sich über ein Lob freuen ist bei Manchem nur eine Höflichkeit des Herzens - und gerade das Gegenstück einer Eitelkeit des Geistes.
賞讃されて喜ぶことは、大抵の者の場合、単に気持ちの上の礼儀にすぎない。――そして、それはまさに精神の虚栄と対照をなすものである。++++++++++
S={「賞讃されて喜ぶこと」は「礼儀にすぎない」}、そのことが、非P={「精神の虚栄と対照をなす」}、といったいわゆる命題形式を重視する「読み」は、ニーチェの箴言理解を逆に混乱させます。
せっかくの機会ですし、またその点は大切な問題でもありますので、近年流行の「論理的な理解(ロジカルシンキング)」と、あまり聞きなれないであろうと思われます「解釈学的な了解」との違いについて、以下皆様とともにすこし考えてみたいと思います。
冒頭に示しました公式のようなものが、「論理的な理解」の仕方です。アリストテレスに原型をみます形式論理学においては、「矛盾律」、と命名されている思惟の形式です。なにぶん箴言が自然言語であるため見えにくくはなっていますが、要は「Sは非Pである」という命題の一種で、「同一律(SはPである)」が「真」であることを裏付ける役割を担っています。
このような「論理(思惟の形式)」を、大雑把には「形而(けいじ)上学的思惟」、または「認識論的な思惟」と呼びます。対象を静止的に捉えた表現形式ですので、幾何的な表象とも非常に親密な関係にあります。たとえば図式として要約しやすい文章は、そのほとんどが形而上学的な文章であると言うことができます。なるほど建造物のように構造的かつ有機的、論証的かつ説得的ではありますが、対象の生動性それ自体の描写には致命的な弱点を持っています。
簡単な例で考えてみましょう。
「山田さんは、ひ弱ではない」
これだけでは山田さんの性格がいかなるものであるのか、まったく分かりませんよネ。
この推理の停止を解除するためには、第三番目の形式「排中律」に迂回し、その後「同一律」に回帰してみるという、とても面倒な作業を経なければなりません。
「排中律」とは、字義のとおり、真ん中に位置する雑情報・雑判断を排除して、「同一律」の真理を保証しようとする形式です。「山田さんは、ひ弱でないか、気丈であるかのどちらかである(それらの中間ではない)」、というのがそれです。
これで「同一律(SはPである)」に回帰することができます。
「山田さんは、気丈である」となります。
矛盾律→排中律→同一律の順で、もう一度推理を辿ってみてください。あまりいい事例ではありませんが、雰囲気は伝わるかなと思います。
- 山田さんは、ひ弱ではない(矛盾律)
- 山田さんは、ひ弱ではないか、気丈であるかのどちらかである(排中律)
- 山田さんは、気丈である(同一律)
なんか変な感じになってしまいました(苦笑)。でも1と3が2を介した裏・表の命題になっているのは、お分かり頂けるかなと思います。「三角形の内角の和は、ニ直角である」という同一律も、気の遠くなるような推理の果ての結果です。
さてここで、ニーチェの上掲の箴言を、さらに約(つづ)めてみます。
「賞讃への礼儀的な喜びは(S)、精神の虚栄ではない(非P)。」
どうでしょう。
このままでは、一歩も前進できませんよネ。(非P)を裏返しましても、上述しましたように(S)の表現に回帰してしまうだけです。「排中律」が起動しません。これが自然言語の脅威でもあり、箴言の箴言たる所以(ゆえん)でもあるのです。
そこで、
うひとつの方途、「解釈学的な了解」を導入してみることにしましょう。
「解釈<Auslegung アォスレーグング>」という言葉自体、わたしたちにとって馴染みが薄いというほどの言葉ではなく、むしろ日常のあらゆる場において気兼ねすることなく使用しているはずです。それだけに、意志の疎通がかえって滞ったりする場合も多いようです。なんとなくそれぞれが勝手な意味で使っている。。。と言えばよいでしょうか。「英文解釈」といえば、「訳」のことですし、「君とは根本的に解釈が違うからなあ」と言われれば、「考え方、人生観、世界観」などにもなりますし。。。
125節で触れます「パースペクティヴ」のように、この「解釈」という術語に関しましても、一度はその学的な淵源を、少しだけ覗いておいたほうがよいような気がします。なかでも、シュライエルマッハーのテクスト(書物、作品)解釈に注目したヴィルヘルム・ディルタイ(1833-1911)の功績は見逃せません。
わたしがこの「箴言散策」でよく引用しますハイデガーの『存在と時間』、その第二篇第五章第七十七節でも、ディルタイとヨルク伯(パウル・ヨルク・フォン・ヴァルテンブルク伯)との往復書簡が、ヨルク伯に力点をかけながらも比較的多く紹介されていますが、「解釈」や「了解」に対する簡潔で的確な叙述としては、むしろ、博学な日本有数の現象学学者新田義弘氏の論考のほうを少しだけ紹介させて頂きたいと思います。
氏は、「現代哲学の展開――ドイツ」(ちくま学芸文庫『現象学と解釈学』第一章に再録 論文初出は1976年)において、ディルタイの「解釈(学)」に触れ、まずは次のように評価されています。
表現はそれなりに表現される体験内容の単なる反復というよりも、生の深層部まで照らし出す働きを有し、了解もまた了解者にとって表現以上のものをもたらすという意味で創造的である。体験-表現-了解の円環過程は、反復運動ではなく、生の汲み尽くしがたさを表わす創造的力動的作用と見られるべきである。引用に登場します「体験」とは、氏によれば、わたしたちが日常あまり意識せずに働かせていますあらゆる「意識や認識」によっては捉えることのできない統一的な意味として、すでになにがしかの「生動性」から分枝された「直接的な自己確実性」(上掲論文)のようなものである、とされています。
そしてこの「表現をとおして表現以上のものを追体験してゆく」技術が、ディルタイの術語「解釈」であると記されています。
さらに氏は、「解釈学の論理の展開」(上掲書第六章に再録 初出1988年)において、ディルタイに刺激を与えたシュライエルマッハーに言及し、次のように叙述されています。
意味全体を予想する理解作用(divinatorisches Verstehen)と、個々の認識を充実し、比較し、関連づけ、細部にわたって解釈してゆく理解作用(komparatives Verstehen)とが、共同し相互補完的に働くという仕方で起きるが、前者すなわち予想的な理解は、後者すなわち比較する解釈作用にとって条件となり先導的顧慮の役割を果たすとともに、後者によって初めて確認されたり訂正されたり、拡大されたり深められたりするのである。こちらがいわゆる、「解釈学的循環」、と言われているものの意義素(意味の中核)です。同論文の註(23)に、ニーチェに関するシュミートの定義にも触れられていますが、注目に値します。興味のある方はそちらの方もどうぞ。
論考の紹介が長くなりました。
厳しく申し上げますと、箴言に隠れている「生動性」を「了解」しつつ「表現」を解体し、意味のあり処あるいは角度方向等をそれらのダイナミズムを保持しながら再構成しては自己更新し続ける、ということになるでしょうか。そうしないと、形而上学の静止性を突破することができないわけです。
「(他者からの)賞讃」を「礼儀」的にしか「喜ぶ」ことができない部類に属する人を、ニーチェは批判しているのではありません。むしろその逆です。『善悪の彼岸』第九章261節冒頭早々と、ニーチェはこう述べます。
高貴な人間にとって恐らく理解することが最も困難な事柄に属するものは虚栄である。そしてニーチェは、「虚栄」よりも「謙譲」や「謙遜」こそが、「高貴な人間」には慣れ親しんだものであり、より自然なものなのだ、と敷衍します。
良いにつけ悪いにつけ、周囲の人間たちに披露困憊するほどの気を配り生きなければならない、そんな呪縛的な「今」を生きるわたしたちにとっては、少々奇異に聞こえる内容かもしれません。誰だって「他人から」ほめられたいでしょうし、もちろん、けなされたくもないでしょう。
ただニーチェの言う「高貴な人間」は、「他者から・・・される」、という存在者としてはとても希薄に描かれています。自己決定的で、ときに支配的でもあります。残忍ではありますが、肯定的でもあります。施(ほどこ)しも、他人を見下してのものではなく、自己自らから溢れんばかりの「力」の象徴、と考えているようでもあります。
それは、箴言後半部の「精神の虚栄」にも現れています。
「精神」は、他節の「箴言散策」でも触れていますが、「力」の象徴的表現です。それ自体に価値はありません。価値を序列化しますのは、「(力への)意志」です。だから天使を産みもすれば悪魔を誕生させることもできます。天使と悪魔(これらはわたしの勝手な例ですが)を反対物(矛盾対立するもの)とは、ニーチェは見ません。「兄弟」として等しく眺めます。
このニーチェの思索の癖のようなものを捉えますと、「精神の虚栄」の「虚栄」が、「自分への世評を期待」(同上)したり、「わるい不当な評判」(同上)に屈したりするのと同じ「奴隷」根性の象徴にすぎない、ということが分かってきます。
他者の視線をものともしない「高貴な人間」vs「奴隷的蓄群」との徳性の「対照」が、埋めがたき「裂け目」(『道徳の系譜』第一論文六節)、あるいは「距離の感じ」(同論文二節)を引き連れて、「力」の「生動性」から表現をまとい浮上してきた箴言だと思われます。
(2008年06月22日 記)
)))123節(((
Auch das Concubinat ist corrumpirt worden: - durch die Ehe.
畜妾さえも腐敗させられた。――婚姻によってだ。++++++++++
「蓄妾(ちくしょう)」とは、字義のとおり、正妻とは別に何人かの女性をかかえ「養う」ことです。「婚姻(こんいん)」のほうは、一夫一婦制に基づく法制度に言及したものでしょう。
是非はともかく、「蓄妾さえも」、という言葉をニーチェに使わせた直接の契機は、民主主義社会の到来です。
人間の「自然性」が、それによってどんどんと内化していく「意志」の仕業(しわざ)に、ニーチェ自身とても苛立っていることがよく分かる箴言となっています。「蓄妾」や「婚姻」という言葉は、むしろ民主主義への「あてつけ」としてたまたま援用した、と見たほうがいいようです。
しかし一方でニーチェは、「蓄妾」を可能にしていた前時代が、そのおなじ「力への意志」によって成立していたことを百も承知のうえで、この箴言を作ったとも考えられます。ニーチェに対する評価が分かれますのは、このあたりへの解釈の仕方如何(いかん)によるものが多いようです。わたしはもちろん、「百も承知だ」、の立場で読んでいます。
ところで、
日本の平安時代も、一夫多妻ではありましたが、外来産の律令制が整備されるにつれ、「むことり」や「よめむかへ」などの制度らしきものができ、儀礼的な実際も文献的には確認されているようですが(注)、皇族・貴族とも、近親婚を含め、やはり「多妻」の場合が圧倒的に多かったようです。
(注)池田亀鑑『平安時代の生活と文学』第十章(角川文庫 初版1964年 初出は1952年)
ご存知の方も多いと思いますが、『落窪物語』巻之二に登場します「中将(現在の中間管理職あたりの地位)」の話。。。
当時ナンバー3の地位にあったスーパーエリート右大臣の姫君との縁談受諾を執拗に説得する乳母に対し、顔を高潮させ懸命になって、継母に貶(おとし)められていた落窪への変わらぬ愛を中将は貫こうとしますが。。。むしろこのような愛の形は、いかほどかの嫉妬と裏腹になった願望を加味して描かれたものではないか、とわたしは感じます。
さて、
またまた品のない話だなぁ、と叱責されるかもしれませんが、いわゆる「不純異性間行為(不倫・愛人という美名?のもとでの不特定多数者との性的交渉、買春、売春的援助交際などなどを含む)」に猛烈に抗議する方々の依って立つところには、必ず、エイズやその他「性的な感染とその蔓延」の問題があります。
仮に本気でそのことだけを恐れ、抗議や反対を展開されているのであれば、むしろ、厳格な医療の自治体的な管理のもとで公娼制度を復活させ充実させたほうが、「性的な感染とその蔓延」を阻止するのにより絶大なる効果を発揮するのではないでしょうか。そればかりか、他の物では昇華しえない男性の「性衝動」の本性を、今よりもさらに正しく理解させることができるのではないだろうかと、不謹慎な発言ながらわたしは思っています。
これは、わたし自身のために発言しているのではなく、未成年者はもちろん、青年、中高年からご老人まで、「性衝動」の衰えぬ個体を生きられ、その「衝動の解放」に難儀されている方々を多く見聞してきたから今そう述べているにすぎません。
「性衝動」が、法や制度で制御できる、と勘違いした社会や国家は、大きな痛手を被ることになります。現に今のNIPPON国が、まさにそのような状態に突入しているではありませんか?携帯電話を含め、大企業の個人向け製品のほとんどが、その「性衝動」を逆手にとって売上をのばしていることにも、そろそろ気づくべきです。もちろん男女それぞれの「性衝動」に基づく、という意味です。
グローバル経済も、ニーチェの言う「力への意志」の産物です。
ある物からは、その反対物は生成しません。その逆もまた真。それは、同じ「力」からある物を産出したのとは異なる別の「意志」によって、同母兄弟として産出された物であるからです。ニーチェを哲学者として見た場合の偉大を、この一点に通約することができます。ドイツ観念論のトリとなった(実質的にはカントだとは思いますが)ヘーゲルの弁証法は、ニーチェには通用しなかったのです。
数字のゲームにすぎない金融商品一切の抑止、GNP(国民総生産)・GDP(国内総生産)のうち、特に情報サービス部門の抑制。PISAからの脱会。永世中立宣言。武器一切の破棄。自衛隊の災害救助隊への改編。天皇制を保持しながら暫定的な国家宗教の確立。全国模試予備校の廃止。問題集参考書の品質管理第三者機関の設立。地域塾の活性。一般書・教養書の品質管理第三者機関の設立。公娼制度の復活。世代別世代間交流のための各地域公民館の千倍化設立。国鉄復活と交通費の免除制度導入。医療の国営化と無料化促進。都市銀行の国営化、地方銀行の廃止、老人ホームの千倍化増設と無料化。芸術・スポーツ鑑賞観覧の国家管理と無料化促進、まだありますが、疲れました。なんかこれでは、全体主義っぽいですよネ。。。また考え直します。スミマセン(苦笑)。
(2008年06月21日 記)
)))124節(((
Wer auf dem Scheiterhaufen noch frohlockt, triumphirt nicht über den Schmerz, sondern darüber, keinen Schmerz zu fühlen, wo er ihn erwartete. Ein Gleichniss.
火刑の薪の上でなお雀躍りして喜ぶのは、苦痛に対する凱歌ではなく、むしろ予期していた苦痛を感じないことに対する凱歌である。一つの譬喩。++++++++++
読み手側の「獣性」が目覚めてしまいそうな箴言ですが、「一つの譬喩(ひゆ)」、と一言付されていますので、ここはわたしの「拘置」体験を少々(読みたくない方は素通りしてください)。なお元訳には、「雀躍り」に「こおど(り)」というルビが付されています。
管轄の留置場での拘留期間中、逮捕者は、幾度も取り調べを受けます。それは、犯罪の検証と合わせ、検察庁に提出する理にかなった「調書」を作成するためです。被害者あるいは被害事項に関わる人の「起訴状」と合わせ、刑罰を確定(量刑)する裁判を、検察庁に促す事前準備でもあります。もちろんこの段階で、容疑者には、私選であれ国選であれ、弁護人申請することが、権利として認められています。四畳ほどの取調室に刑事は二人。アメとムチの桟敷に陣取って、一人は対面から、もう一人は側面から、こちらを凝視します。腰紐は、机の脚に結わえられます。
狂暴な者は牢に一人で、また比較的穏やかな者は、刺青があろうがなかろうが区別なく、複数人で同居生活をします。三度の食事は質素なものですが、鳥かごの小窓から、小鳥に餌を与えるようにして定刻にあてがわれますので、餓死することは、まずありません。三度三度、出前をとる富者もいます。こちらは幼稚園児が食するような「簡弁(かんべん)」、あちらは「カツ丼大盛り」その他豪華版まで。。。
さて朝になりますと、洗面が可能。毎日ではありませんが、風呂もカラスの行水程度に数分間。ただし、留置場内ですので、すべては牢外の行為と判断され、看守たちの厳しい指示が飛び交います。
そのほか留置場では、「体操の時間」、というものもあります。十分間程度でしょうか。コンクリートの床。窓のない四方の壁。牢から呼び出されるままに、五、六人ずつ、六畳ほどのその狭い空間に移動します。当然の事ながら、看守が何人か同伴します。私語一切厳禁。
ところが、誰一人体操などしようとしません。そのうち煙がもくもく。。。そう、タバコです。
看取も黙認する不思議な光景。
事前に個々人が持っていたタバコ、あるいは後に外部から差し入れられたタバコが、木箱の中に、誰の所持物かが分かるように設(しつら)えられています。タバコ銭にも困り果て留置されている者もかなりいます。その場合は、看取にお伺いを立てるか、思いきって刺青のお兄さんからもらうか、になります。すでに家族や親族や同僚や友人の縁すべてを失っていたわたしは、そのお兄さんから有難く頂戴しました。
ところで一度は、この牢から検察庁に出頭しなければなりません。
検察庁から戻ってきて数日がたちますと、「○○、起訴確定したゾ」、と感情もなく伝えられます。これで、拘置所に「護送」されることになり、刑罰が決定していない「未決囚」として拘置されながら、そのつどの裁判を待ち受けることになります。逃亡や再犯の可能性がないことを前提に、「仮釈放」、という手段もありますが、これも結局は「金」次第のようです。仮釈放の条件を満たしながら、釈放されない人など、たくさんいます。「地獄の沙汰も金次第」、とはよく言ったものです。
ここでの生活空間は、「舎房(しゃぼう、さぼう)」と呼ばれ、懲役者のいる部屋と、ほぼおなじ造りとなっています。初犯房、累犯房に区分けされています。
叩いても響かないほど異常に頑丈な壁のこちら側には、全員が座して使う長机、洗面場、二面の壁以外ほとんどガラス張りのトイレ、最低限度の日用品を入れる小さな木箱、片隅に全員分が見事に整頓され積み上げられたせんべい布団の山。
おそよそれだけの空間に、窃盗容疑者・詐欺容疑者・傷害容疑者・強盗容疑者・猥褻容疑者・悪質な交通違反容疑者・強姦容疑者・殺人未遂容疑者・殺人容疑者・賭博開帳容疑者・禁止薬物の使用容疑者・その販売容疑者、そして政治犯関連容疑者など、「未決囚」たちが一同に会して暮らします。拘置期間の長い者が、新参者に生活の規則を威厳ありげに伝えてきます。窓ガラスにはすべて鉄格子。扉は鋼鉄。外から開かれるのは、朝の番号点呼と裁判所への出頭の時。富者の場合の仮釈放者の時にも。
しかし判決が下るまでは、あくまでも「罪人」ではなく「未決囚」待遇ですので、懲役(日当1円~数百円)は課せられません。例の「体操の時間」もありますが、ここでは、タバコは厳禁です。生活は、起床から就寝まで、整然と定められています。しかし、「懲役」がないため、時間に余裕ができ、日を追うごとに、この開かずの間では、それぞれの「人間獣」が目を覚まし始めます。
懸命に腕立て伏せをし続ける者。空手の練習をし続ける者、などはまだましなほう。廊下を不規則に歩く看取の間隙では、じつにさまざまな秘儀が繰り広げられます。
長机を挟み「じゃんけん」をする仲の良い振りを装いながら、負けた若者の頭頂に、罰としてシャーブペンシルの芯を突き刺す者。声を押し殺しながら嬉々として、その光景を観覧する者たち。突如、殴りかかってきては、「これは自分の病気だ」、とうそぶく者。外からの知人や家族からの差し入れに嫉妬する者。食事時間中、気に入らない人間に、味噌汁が偶然こぼれたかのように装ってぶっかける者。浴槽に飛び込み、他の舎房の人間を威嚇する者。いついかなる時でも、「一触即発」を創造することのできる、彼らは職人、いや、天才です。
わたしたちのこの国の各階各層にも、犯罪の一歩手前にい続ける要領を得たこのような職人や天才は、失礼ながら、ごろごろいるはずです。
容疑者集団であることを忘れてしまうほどの巧みな秘儀と位階。
たったこれだけの「未決囚」の空間でも、このような仕草と堅固な位階が見られます。いじめられる者は、いつまでもいじめられ、仕切る者は、いつまでも仕切ろうとします。その秩序が一瞬逆転するとき、暴力を鎮圧する「懲罰」と「独房」とがほくそ笑むわけです。
ところで、
わたしをも含めこれら「人間獣」が、一瞬間、深い眠りにはいる「とき」があります。
それは被害者かあるいは家族宛てに、手紙を書いている「とき」。
ところがどうもほぼ全員が、それまでの弁舌の冴えが別人であったかと思わせるほど、文章の排出には四苦八苦します。いかに彼らが、からだひとつで、よく言えば実戦的、悪く言えば、戦闘的で武闘的な激しい人生を貫いてきたのかが、徐々に分かってきます。児童のように鉛筆と便箋をもち、眉毛を八の字にしながら、気味が悪くなるほど甘え、擦り寄ってくる姿などが、そのことを証明してくれています。
。。。ということで、とうとうわたしは、「代書屋」に仕立てられてしまうことになりました。
ときには「恋文」をしたため、ときには「嘆願書」を「六法」片手に構築し、ときには「差し入れのくだらぬ目録」を列挙し、そしてときには、被害者への「しらじらしい罪の告白」にためらいながら。
それらが完成しますと、また彼らはそれぞれ子どものような「人間獣」に戻り、うろうろし始めます。就寝まで。
わたしの拘置期間中、「懲罰房」に入った者がいましたが、わたしはその者と、何度も拘置内文通をしました。著名な大学を卒業していながら(本当か嘘か確かめようなどありませんが)、その後、組の構成員となり、とある地域の売春組織の幹部になったとか。わたしのそれまでの人生と、出所後の進退を気遣うその手紙には、そこいらの近年の芥川賞受賞作品とは格の違う筆の勢いと格別な文体がありました。いわゆるインテリやくざの一人だったのでしょう。組員に勧誘された段階で、文通は途絶えました。
以上のようなふるいふるい経験を通じ、わたしはいま、ひとつの結論に達しています。
当時のわたしをも含めた彼らには、内外の人間獣への「畏怖」「畏敬」「恐怖」が、おそらくはそれぞれの犯した罪に応じて、誰にも届かない深い眠りに陥っていたのだ。。。と。そしてそのまま眠り続けるか、ふと起きだすかは、内なる神にしか分からないのだ、と。
著名な識者が語る「平和な日本」。これほど世間知らずな言説はありません。この言説だけで、その人の全人生の価値と趣味とその色彩とが分かります。
民主主義社会が産み続ける「良い子」たち。そしてその同じ民主主義社会から密かに産み落とされる「畏怖」を忘れた「鬼子」たち。しかし、その「鬼子」たちを暗々裡に抹殺しようとする「母親(民主主義社会)」の意志だけを狂気に仕立て上げる彼らの形而上学とは、なんと理不尽なものでしょうか。実の兄弟は、同じ「母親」から産まれたものです。この狂気の「本体」を議論せず、彼らはいったい何を狂気と考えているのでしょうか。
ミシェル・フーコが、『狂気の歴史 古典主義における』(田村俶訳 新潮社)において、狂気の渦中にあったニーチェを、それでもなお評価し救い上げようとした真意は、もはや彼らには見えてはいません。知ろうともしないでしょう。
かまへて、「精神の荒野」にくだらなむことを。あなたがおられるところとは違って、そこにはニーチェの言う「雀躍(こおど)りして喜ぶ」人間など、ひとりもいません。「雀躍(こおど)りして喜」んでいるのは、もしかしてあなたたちである可能性だって否定できないのです。
「罰」とは、下されるものなのでしょうか。
当人が感じている、という意味でそれは、人間の内奥に示され、上昇し、天を貫くものであったのではないでしょうか。だからこそ残忍で、残虐で、残酷なのではないでしょうか。
再度だからこそそうでない者はこぞって、「雀躍(こおど)りして喜ぶ」のでしょう。
(2008年06月21日 記)
0 件のコメント:
コメントを投稿