日本語のページ数 253,000と表示された(Google昨日現在)。
韓国語のページ数 582,000
くだらない比較と言われればそれまでのことなのだが、大差ではある。
日本の人口は1億3000千万足らず、韓国は5千万。
うちキリスト信徒の数は、日本およそ100万人、韓国およそ1500万人強である。
ウ~ン、なんだろうなぁ。。。
と感じながら、韓国内の近々の出版状況や閲覧可能な学術論文(韓国語)のいくつかに目を通してみた。
上述の韓国語キーワードで浮上した出版物のなかに、John MacQuarrieの' Heidegger and Christianity '(1999)の翻訳があった。カン・ハクスン(강학순)氏による(2006)。15,000ウオン、およそ1,000円程度。読者の安定的な需要を予測してのことであろう。日本では、未翻訳である。
おもしろいことに、同じようなタイトルの翻訳本が日本にある。
『ハイデッガーとキリスト教ー黙せる対決』中敬夫訳(2007)。もちろん別物であるが、アマゾンによるとこちらは3,360円。少々高いか?
個人著書としては昨年茂牧人氏が、『ハイデガーと神学』、を出版されている。ところが韓国ではすでに2007年、シン・サンヒ氏による『ハイデガーと神』( ' 하이데거와 신 '신상희)が出版されていた。
さて全文閲覧可能な学術論文のなかに、こんなものがあった。
"' 존재와 무 '를 달리 이해해 보기-하이데거와 선불교의 비교론에 대한 하나의 생각-"박순영 (연세대학교), 서강대학교 철학연구소 논문집 ' 철학논집 ' 제23집 2010. 11.
「存在と無」の独自性理解の試みーハイデガーと禅仏教の比較論に対する私見」延世大学パク・スニョン(西江大学哲学研究所論文集「哲学論集」第23集 2010.11)論文は60ページにもおよんでおり、韓国におけるハイデガー研究の一角をうかがうにじゅうぶんなものであった。
無礼ながら、その体系1.2の一部分を紹介させていただきたい。
신상희 박사는 자신의 책 첫 장의 제목 ' 하이데거의 존재물음의 신학적 유래에 대하여 - 초대 그리스도교의 현사실적 삶의 경험을 중심으로 '에서 자신의 의도를 분명히 밝히고 있다. 이 책은 하이데거 철학을 그 시원인 신학적인 발상에서 해명해 보려는 연구라고 할 수 있다. 신상희 박사는 하이데거철학에 생동성을 부여해 주는 더 깊은 연원에로 거슬러 올라갔다. 그리고 거기서 하이데거 사유에 깊이 잠겨 있는 밑그림을 발굴했다. 이점에서, 나는 이 밑그림에 나타난 하이데거의 근원적인 체험을 내가 생각했던 그 관심과 연결시켜 보아야겠다고 생각했다. 그리고 그 근원적인 체험을 되살릴 수 있는 길이 있을 것이라는 확신을 얻게 되어서 본격적으로 하이데거의 「존재와 무를 달리 이해해 보기」 연구에 착수했다.
シン・サンヒ博士は、その著書(『ハイデガーと神』)の第一章「ハイデガーの存在への問いの神学的由来について―初代キリスト教の現事実的生の経験を中心に」のなかで、みずからの執筆意図を明確に示されている。この書物は、その神学的見地を端緒として、ハイデガー哲学を解明しようと試みる研究である、と言うことができる。シン・サンヒ博士は、ハイデガー哲学に生動性を賦与しているより深い淵源に遡及した。そしてそこにおいて、ハイデガーの思惟に深く埋もれている下図を発掘した。この下図に現れたハイデガーの根源的な体験を、すでに抱いていた関心に結びつけて考察すべきである、と私は考えた。そして、この根源的な体験を救済しうる道はある、という確信を得てから本格的に、ハイデガーの『「存在と無」の独自性理解の試み』、という研究に着手した。(アノニマス)非常にパッショナブルな叙述である。
日本キリスト教界のハイデガー受容の現実は、牧師養成機関たる大学や聖書学院のカリキュラムが如実に示している。まさに鎖国状態である。
この差は、いったいなになのか。。。
検索はじつに正直であった。
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