脳外科を経由し、街中の神経内科でパーキンソン病と診断された。昨年七月のこと。
服薬開始。メネシット配合錠100、朝半錠から朝1錠に。痙攣のような右半身のふるえまったく変わらず。副作用のみ。
「お薬の量を増やしましょう。」
「増やす?」
押し問答の挙句、大学病院に横投げされた。
翌八月。「う~ん、パーキンソンとしか言いようがないですねえ。」
治療拒否。
ほぼ一年を無治療で過ごしたが。。。
自分の名前も書けなくなり、再度大学病院へ。
服薬開始。ビ・シフロール錠0.25から0.5へ。効果まったくなし。強い脱力感。激しい局部発汗。気分変調等。
二週間後、あのメネシット100配合錠に変更。朝晩半錠から朝晩1錠に。効果まったくなし。強い抑鬱感等。
三週間後、今度は癲癇病のために開発されたトレリーフ錠25とメネシットの混合。頭頂部のしびれがひどくなる。効果まったくなし。抑鬱感持続。
その三週間後。。。
「これはどうも、パーキンソン病ではないですねえ。。。精密検査してみましょう。」
ところで。。。
この時のわたしの怒りを鎮めたのは、自らの確定診断を撤回した医師の謙虚さではない。
とき・ところに拘束されたありとしあらゆるOpinionの権威も、満身創痍のConvictionの不動性のさなか、奇跡的に自爆することがある、という感慨であった。
神を見たイエスの忍耐が、そのことを鮮やかに示している。
昨今の日本の教会組織指導者たちはどうであろうか?
不必要なものを身に纏い過ぎてはいないであろうか?
もしかして、あなたたちは神を知らないのではないか?