Friedrich Nietzsche |
115節から119節までをどうぞ。。。
原文・翻訳からの引用は、「報道、批評、研究目的での引用を保護する著作権法第32条」に基づくものです。ドイツ語原文は、"RECLAMS UNIVERSAL-BIBLIOTHEK Nr.7114"、日本語訳は、木場深定氏の訳に、それぞれ依ります。
)))115節(((
Wo nicht Liebe oder Hass mitspielt, spielt das Weib mittelmässig.
愛または憎しみと共演しないとき、女は凡庸な役者だ。++++++++++
箴言の「主題」は角度を少し変えて139節へ、また暗喩としての「素材」は145節に分枝します。
「愛憎悲/喜劇」とは言いますが、メディアが異様に進化増殖していますNIPPON国に住んでいますと、「愛憎悲劇」の方が断然多いのだろうな。。。とつい思い込んでしまいます。
「女性性」から主題を捉える視点については、139節・145節などで触れていますこともあり、ここは重複を避けるため、わたし自身の「体験」を当箴言の「主題」に重ねてみたいと思います。
おそらくは、他人ノ体験談ナド聞キタクモナイワ、そう感じられる方々のほうが多いと推測します。体験談の言語は、通常の自然言語よりもはるかに形而下的な(露わな)性格を有しているため、その存在論的な価値への評価が実際よりも低く見積もられる傾向にあるばかりか、慣れておられない方々を聴くに耐えない気分にさせることもままあるからです(なぜかについては、当ブログ内記事「体験・・・の機序(1)(2)」を右サイド「一発検索」から参照)。したがって性に合わない方々には、むしろスルーされることをおすすめしたいと判断いたします。
>>>体験談の一部<<<
わたしは三十四歳で、当時七歳であった一人娘を手放し離婚しました。
「悲劇」そのもののクライマックスはほんの数十分でした。主人公であったはずのわたしはすでに泥酔状態。右の手には包丁。目の前には妻らしき姿。舞台は狭い台所でした。わたしの絶叫に、別室で寝ていた娘が夜着のまま起き出してきました。
ここでわたしたちの「悲劇」が、思わぬ方向に一挙に転換します。それは、妻の決死の一言でした。
刺スンヤッタラ刺シテミイヤ!台本になかった一喝に、わたしはたしかに一瞬間、怯(ひる)みました。わたしの姿も台詞(せりふ)も、おそらくは「悲劇」的狂気を演じきれていたとは回想するのですが、どうもなぜ包丁を握っていたのかについては、それから二十年以上も経っているのに今もって分かりません。
泥酔はしていましたが意識は比較的清澄で、暴れ出したわたしの獣(けだもの)にとどめをさすべく、わたしはわたしの左手の掌を上にして「まな板」に載せ、おもいっきり手首めがけその包丁を突き刺しました。まな板まで貫通しました。今も手の両面に傷跡が残っています。
包丁を引き抜くと血が噴き出し、隣の和室の襖(ふすま)にまで飛び散りました。そこに娘が泣きながら立っていたのです。
娘はわたし以上に絶叫し、さらには狂ったかのように泣きじゃくりました。
はや妻は目の前にいず、しきりにどこかへ電話をしていたようです。携帯電話など開発されていない時代です。救急車?いえいえ、妻の自宅だったようです。わたしはその時代の数年間で、父親と母親と姉二人をすでに亡くしていましたので。。。
ほどなく義理の兄弟たちが、一人二人。。。なにやらわたしに罵声を浴びせかけているようでした。わたしももちろん応戦はしましたが、すでにどこかで「ツマラナイ悲劇ダッタナ」という冷めた思いが募りはじめており、全員を追い出したあと、食事もとらずに朝から晩までお酒を飲み続け、一ヶ月ほどの篭城生活に入りました。
1日10個ほどのワンカップを約30日。。。つごう300個以上のワンカップが部屋中に散乱。その後協議離婚とはなりましたが、彼女たちにとっては、慰藉も養育も受けられない非情きわまりなき離婚となりました。
しかしこれが事の顛末すべてではありませんでした。
むしろ以上の「悲劇」は、わたしのその後の人生から眺望しますと、まことに不謹慎な物言いではありますが前座でありました。言わずもがな、その「愛憎悲劇」一等の犠牲者であり証人であるよう脅迫されたのは、その誕生を心から喜んだはずのわたしの娘、そして妻さらにはその家族たちでありましたが、その当然の事実に思いが至ろうとしたときにはそれからさらに十年ほどが過ぎており、わたしは廃人同然、餓死寸前の状態でドヤ街を彷徨しておりました。
幸いなことに某刑事お二方と保健所の職員方々に発見・保護され、精神病院に六か月そして社会復帰のための更生施設に一年間お世話になり、その間働いて準備したわずかばかりの預金とバッグひとつで、アルコール性幻覚妄想のフラッシュバックに脅かされながらおそるおそる、誰にも祝福されることのない社会復帰のスタートラインに立つことが、とりあえずはできたわけです。
甘える時間や尽くす仕草を奪われていた小さな娘と真摯な妻は、さぞや辛かったろう、苦しかったろう、傷も癒えないままであろう、と思いつつ反面で、わたしの「本幕」の「悲劇」の壮絶な展開に巻き込まなくてよかったなあ、とも感じます。
ニーチェは、こんなふうにも語っています。
結局のところ、真理は女である。真理に暴力を加えるべきではない(同書220節)彼女たちは、「凡庸な役者」であったどころか、人間存在の真理を懸命に生きていました。わたしは、人間存在の真理をただ考えていただけです。あれから二十年以上が経ち、ようやくにしてわたしのような人間の心のなかにも、わずかずつですが、ニーチェの思いの一端が染み入るようになってきています。もしこの世に生きているとして、娘のこころの傷口がひろがりませんことを。願わくは、降る星の如き恵みのなかに選ばれ招かれていますことを。
(2008年06月25日 記)
(2013年追記:以上のようなわたしの「生」に翻弄され、その期待と善意と深い愛情のすべてを裏切られた当時の聖なる友人たちについても述べなければならないが、いましばらくの時間を頂戴したい。)
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)))116節(((
Die grossen Epochen unsres Lebens liegen dort, wo wir den muth gewinnen, unser Böses als unser Bestes umzutaufen.
われわれの人生の偉大な時期は、われわれの悪をわれわれの最善と名づけ改める勇気を得るに至るその時である。++++++++++
本書『善悪の彼岸』の巻末に付されています「高き山々より――後歌」という詩の第八連に、次のようなくだりがあります。原文と併記してみます。
われは 性悪(さがあ)しき猟夫となりぬ!――見よ わが弓の
いかに嶮(けわ)しく張り曲げられしかを!
いと強き者ならでは かくは弓引くことなかりき――――
されど 禍いなるかな! この矢の危うきこと
いかなる矢にもまされり。――ここを去れ! なんじら 恙(つつが)なからんがために!
(改行改段ママ 一部傍点あり)
Ein schlimmer Jäger ward ich! - Seht, wie steil
Gespannt mein Bogen!
Der Stärkste war's, der solchen Zug gezogen --:
Doch wehe nun! Gefährlich ist der Pfeil,
Wie kein Pfeil, - fort von hier! Zu eurem Heil!....
木場深定博士の文語訳は、とても効果的です。ニーチェの詩、というよりツァラトゥストラの轟音のようです。
それにしても、なんという「決意」のほどでしょうか。
気づくか気づかないかはともかく、誰にも「人生の偉大な時期」はあります。まさにその時に感じる場合もあるでしょうし、何年も何十年もたってから、「あぁ、あの時が・・・」、と取り戻せない出来事として回顧せざるをえない場合もあることでしょう。
その「人生の偉大な時期」を、「悪」と知りながら「最善と名づけ改める勇気を得る」人など、はたしているのでしょうか。圧倒的多数の人々は、自分たちそれぞれが苦労して積み上げてきた数々の「善行」がようやくにして実った(成就した)のだ、と感じるのではないでしょうか。
ニーチェの箴言は、わたしたち読み手側の予測をことごとく裏切ります。
しかし、次節でもすこし触れていますニーチェの思索特有の「癖」のようなものになんとか気がつくようになられますと、再三再四出鼻を挫かれる、ということもなくなると思います。
全員が右を向いているときに自分一人だけが左を向くのには、尋常ではない「勇気」をどこかから得てこなければなりません。「休め!」の号令のときに直立不動の姿勢を保ち、「気を付け!」の号令のときにだらりと休むのにも、同じことが言えるでしょう。
この「どこかから」に相当する「場」が、ニーチェのあらゆる選択や分別や区分や判断などの思索一切の開始地点でもあります。価値的に申し上げますと、善も悪も、快も不快も、残忍も慈悲も、すべてが同居している創造の奇跡の「場」でもあります。
これをとりあえず今「力」と考えて頂いても、さほど大きな不都合は生じないはずです。
誰もが「真理」であろうと確信していた事象に対し、「否、非真理こそ真理だ」と改名を強い、そのことによって時にこの歴史内に多くの「偉人」まで突入させてきたのは、まさにわたしたち人間存在の内奥にある姿なき神すなわち「力」である、というのでしょう。
ニーチェはこう語ります。
非真理を生の条件として容認すること、これはもとより危険な仕方で通常の価値感情に反抗することである。(同書4節)これは、ただの「反抗」ではありません。外にも内にも向けられたものです。だから後続するハイデガーやバタイユなども、人間「存在」に接近すればするほど、「死」の問題や課題を大きな変奏曲としてその思索のなかに取り込まざるをえなかったのでしょう。
ところで、
天才的な画家や彫刻家、作曲家や小説家たち、つまりは芸術に生きた人々は、すべてがそうであったとは申しませんが、不当な評価ゆえ、困窮の極みにおいて、不遇で孤独な生涯を送っていた場合が少なくありません。
しかもアルコールや薬物に不本意にも惑溺し、その精神を過度に追いつめ、人知れぬ苦悩を体験していたことも、悲しいかな徐々に明らかにされてきています。
たとえば夏目漱石の作品に、統合失調症の状況因のひとつである「ダブルバインディング(二重拘束性)」を指摘したのは、柄谷行人氏でした(『倫理 21』平凡社ライブラリー 初版2003年)。また『八つ墓村』で著名な横溝正史氏が、生前、車中で発作を起こすたびに途中下車し、屋号も確認する間なく木賃宿に飛び込み、お酒をあびるほど飲んでは布団にもぐりこみ耐えた事実など。。。あげればいくらでもあるわけです。
人間「存在」の源(みなもと)に飽きることなく立ち返る反復を知る成熟した社会とシステムの到来を、子供たち、若者たち、青年たち、若い夫婦たちのためにも待望したいと思います。そのような社会を先導することができるなら、わたしは「狂人」の到来であっても期待するでしょう。
(2008年06月24日 記)
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)))117節(((
Der Wille, einen Affekt zu überwinden, ist zuletzt doch nur der Wille eines anderen order mehrer anderer Affekte.
情念を克服しようとする意志は、やはり結局のところ、他の一つ、乃至は幾つかの情念の意志にほかならない。++++++++++
何気なく読み流した段階では、悪循環(無限循環)的な自己矛盾に陥っているのでは。。。というような一瞬間の眩(くら)みを感じますが、どうもそうではなさそうです。
悪循環的な自己矛盾についてニーチェは、すでに同書21節でとてもみごとな表現で一喝しています。
虚無の泥沼からわれとわが身の髪の毛を掴んで助け出そうとするのと同じである。みごとな表現です。
ここは、上掲箴言の表層に仕掛けられた思惟の形式の悪循環の裏側に廻り込みたいところですが、箴言中の「情念」という表現自体を問うてみる以外ないようです。
ニーチェは、概念としての無味乾燥な「意志」に異議をはさみ、それが「意欲」と同義であることを前提にしつつ次のように語ります。
あらゆる意欲のうちには第一に感情の多用がある(同書19節)この「感情の多用」には、次節やその他の節でも少し触れていますが、好・悪の区別がありません。と言いますより、「好ましい状態」のものもあれば「疎(うと)ましい状態」のものもあり、それらが先験的に混在している、と理解しイメージされた方がよいかもしれません。
さらにそれらに、意識せずとも習慣的に発動する「筋肉感情」が付随する、とも語ります。そうして、
多用に感じるということが意志の成素として認められなくてはならない。(同書同節)と述べます。
この「意志の成素」には「思惟」も取り込まれ、
あらゆる意志作用のうちには一つの司令的な思想が存する。(同書同節)と明言します。
ただしこの「司令的な思想」については、前述しました「意欲」、したがって「多用な感情」から切断することはできない、とも語られています。ニーチェの思索の強い傾向性が、ここに現れています。なぜなら、「多用な感情」から不用意に「思想」を切断・分断してしまいますと、形而上学(形式論理学)的傾向に再び舞い戻ってしまうということを、ニーチェが最もよく知っていたからです。
そうしてついに、「多用な感情」と「思惟」の「複合」した「意志」の権限を「情念」という表現に包括するようにして託すことになります。
したがってわれわれは、「命令者」であると同時に「服従者」である「二重性」の渦中にいながらにしてその都度そのつどの瞬間に生きあるいは歴史的に存在しているのだ、とニーチェは考えていたのでしょう。
デカルトの「コギト・スム(我思考ス、我存在ス)」に見られる無世界的な主観に対抗し、徹底した現象学的破壊(厳密には解体)を遂行したハイデガーを遡(さかのぼ)ることすでに四十数年前にしてニーチェは、次のように語っています。
この二重性を「われ」という綜合概念によって遠ざけ、誤魔化し去るという習慣をもっているかぎり、意欲にはなお誤謬推論の全連鎖と、従って意思そのものの誤った評価が取り憑いて来た。ニーチェの驚くべき先見性が、ここにあります。
結果、上掲箴言中の「情念を克服しようとする意志」とは、「意志」の対象として捉えられた「情念」を示す振りをしながら、じつは上述しましたように、「情念」にその全権が包括された「意志」という意味合いを包み隠した表現であったことが分かってきます。
したがって「他の一つ、乃至は幾つかの情念の意志にほかならない」という箇所も、わたしたちの存在の根源的な「二重性」の片方にあるもののメタファーであったことが理解できるようになります。
わたしたちは、存在の根源において「支配者」でもあり「服従者」でもあります。
奚其有此相也!
(2008年06月24日 記)
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)))118節(((
Es giebt eine Unschuld der Bewunderung: Der hat sie, dem es noch nicht in den Sinn gekommen ist, auch er könne einmal bewundert werden.
無邪気な讃嘆というものがある。それをもつのは、いつかは讃嘆されるかもしれないなどとはまだ思い及んだこともない者である。++++++++++
この箴言の主題は、180節の箴言に通じるものです。
ただ180節では、「嘘(うそ)」が主題の引き立て役でしたが、ここでは別役、「讃嘆(さんたん)」を使用しています。
このことは、ある意味では箴言そのものの主題よりも大切な事柄で、ニーチェの思索の特質の一端を示唆してくれる意外な契機にもなっているのでは、とわたしは思っています。
ただ、本節と180節に振り分けたのがニーチェの企図であったのかどうかは、確かめようがありません。メモの段階で併記されていた可能性は捨てきれませんが、そのあたりの考証は学者様にお任せすることにしましょう。
「嘘」と「讃嘆」の関係を考えてみましょう。
概念相互の関係は(伝統的な形式論理学では)、「反対」・「対立」・「矛盾」、の三つです。結論から申し上げますと、「嘘」と「讃嘆」の関係は、「対立」に相当します。
「反対」とは、概念相互の違いが「量的なもの」と考えられる場合です。「嘘」の量が増減しても「讃嘆」にはなりません。しかし「集団」の内的な量をどんどんと減じていきますと、ついには「一個人」に達します。したがって「集団」と「個人」は、「反対」の関係にある概念と考えられます。
「矛盾」はどうでしょうか。
これは、字義とおりの徹底抗戦です。相手方の概念の内容(内包)を徹底的に否定しており、同時に自らには相手方の内容が欠如している、そういった概念同士を言います。仮に否定する意志がなく、さらに所属する「類」が異なれば、それらの概念は乖離的な概念と考えられます。「猫」と「小判」のような関係です。これを数えると、概念相互の関係は四つになりますが、通常は三つと考えられています。
「嘘」が「讃嘆」を否定しようとしているとは思われませんし、その逆もそうです。結局、「嘘」と「讃嘆」は、概念としては「対立」の関係にあるということになります。「対立」とは、否定しようとする意志を含むものでもなく、量の増減により相手方の概念に同化する可能性をもったものでもありません。同類でありながら、それぞれの概念の「質」自体が根本的に違う、というものです。
以上が、形式論理学内での精一杯の説明です。これ以上でもなく、これ以下でもありません。
ところで。。。
なぜ以上の事柄が、冒頭で述べましたように、主題よりも大切なのでしょうか。
それは、端的に申し上げますと、「おなじ無邪気(180節と本節の主題)」から「対立するもの」が生じているからです。
わたしのこの「箴言散策」のところどころでも触れていますが、これがニーチェ特有の思索の、いわゆるダイナミズム(動性)というものです。形式論理にこのダイナミズムはありません。だから、近代的な思惟の空気を無意識にしかも大量に吸い育たざるをえなかった私たちは、そのことを強く自覚しないかぎり、ニーチェの大半の箴言に躓(つまづ)くことにもなります。誤解や嫌忌や批判の多くが、そのあたりの齟齬(そご)から噴出しているように思います。
おもしろい例を引いてみましょう。
光源氏の義母藤壺の姪であった若紫(わかむらさき)が、祖母を失った悲しみも癒えないでいた頃、その若紫をなんとか慰め励まそうと、源氏はあらゆる手を尽くします。その果てに、若紫の前で和歌をしたため、次のように語ります。
「いで君も書いたまへ」とあれば、「まだやうは書かず」とて、見上げたまへるが、何心なくうつくしげなれば、うちほほ笑みて、「よからねど、むげに書かぬこそわろけれ。教えきこえむかし」
「さあ、あなたも書いてごらん?」と源氏の君から言われると、若紫様は、「まだうまく書けません。」とおっしゃいながらも、君を見上げなさっているそのお姿が、無邪気で、またなんとも言えないほどかわいらしくもあり美しくもあるので、君は、思わず微笑まれて、「上手く書けないからといって、何も書かないのは、とてもよくないことなのですよ。書き方をわたしが教えて差し上げることにしましょうね。」(アノニマス訳)
この原文にあります「何心なし」という成句は、「あくがれ出づ(思ワズ誘イ出サレテシマウ」という複合動詞とともに、私がとても愛好している表現です。
「何心なし」という成句は、「心」自体の「絶対無」のようなものに対する太古の体験から生まれたものではなく、おそらくは「何かの意志が働いた、作用した」あとの「心」では毛頭ない「心」であり、しかも厳として「今」の瞬間瞬間にその姿を開示し続けている「心」の、ほとんど裸像(剥き出し)に近い状態へのおどろおどろしい体験から生成したものではなかったか、とわたしは思っています。
成句としての意図や企図や意志が発動する寸前の「心」に、「無邪気」や「あどけなさ」という語釈を与えたのは渦中の当人ではなく、「何心なし」という成句を経由し、その「心」から「邪気」を追い払うことでしが表わしえないえもいわれぬ様態だけを、別の意志が分断し、選び取り、固定したことによるものではなかったろうか、と考えます。
そう考えてみますと、ニーチェの言う「力」の届く距離と範囲には、計り知れないほどのものを感じざるをえません。
ニーチェが「対立物」に等しい価値を見い出す一見して奇異な仕草も、それらがまさに、そのつどの「意志」を経て「力」から「生成」していることを、自身において確信しているからでしょう。それを貴族趣味やニヒリズムと呼ぶのは、あまりにもマニュアル的で即断でありすぎます。
上掲箴言の他者をまったく顧慮しない強烈な自己決定性。。。「無邪気な讃嘆」には、空恐ろしさすら感じます。子どもは「天使」でもあり「悪魔」でもある、とはよくぞ言ったものです。
(2008年06月24日 記)
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)))119節(((
Der Ekel vor dem Schmutze kann so gross sein, dass er uns hindert, uns zu reinigen, - uns zu 》rechtfertigen《.
不潔に対する嘔吐は、われわれを浄化し、――われわれを「正当化する」ことを妨げるほどに大きいことがありうる。++++++++++
原文の構文の重要な部分は<…so…, dass er uns hindert, uns zu …, - uns zu …>です。
<…so…, dass…>は、英語の<…so…that…>と同じです。<zu>は、構文上の位置は異なりますが、英語の不定詞とほぼ同じです。<uns>は一人称複数の3格(私たちに)4格(私たちを)です。<hindert>は、上掲の「妨げる」にあたる動詞です。ドイツ語習得は、多様な格変化と語順の癖を攻略すれば、独学でも習得できます。わたしの場合は、まったくの独学です。ただし日常会話となると。。。これはもう、その人たちの場の中にドーンと身を投げ入れる以外ありません。カタコトに身振り手振りでいいじゃないですか?
さて、木場博士のご翻訳を拝借し、ゴツゴツとした稚拙な直訳調に戻してみましょう。
不潔に対する嘔吐は、度が過ぎることもありうるので、その結果、われわれを(生理的に)浄化したり、(嘔吐の不浄を)弁護したりすることを妨げることがある。この状態で、ふと浮かびますのは、「私ノ家ニハ、オ風呂ガナインデスヨォォォ」と、「泣き男」を演じた、どこぞやの病院の院長先生。。。ですかね?
そんなことを思い浮かべるわたしも痴(おこ)ですが。
さて、少し仕切り直しましょう。
案の定ニーチェは、「不潔に対する嘔吐」の主体を隠しています。「不潔(不浄)」に「嘔吐(清浄)」で応戦する者たち。。。
ニーチェの立場からは、僧職的貴族社会を仕立てそして生きた人間たちを思い描いていたにちがいありません。彼らの形而上学(形式論理)から実行されたものをみれば、「不潔」の中味が若干見えてきます。孤独・断食(断肉)・性的禁欲等々。
それらの結果をニーチェは、「宗教的神経症」(本書47節)と呼称します。これがほぼ、過ぎた結果としての「嘔吐」にあたるものでしょう。
ニーチェの眼光は、キリスト教徒だけでなく、「涅槃(ねはん)=煩悩滅却の境地(翻訳から見る限りニーチェは「無」」と解しているようではある)」を願望する仏教徒にまで届きます。(『道徳の系譜』第一論文6節)
ニーチェはさらに、僧職者に運命のように取り憑(つ)いている「内臓疾患」や「神経衰弱」が、以上のような禁欲的行為の結果であるとまで言いきっています。「妨げる」とは、そういうことなのでしょう。教義を曲解した愛欲的行為なども入るでしょうか。かつての「千石イエス」などもそうでしょう。お隣の韓国にも、よく似た人がいましたネ。
わたしは二年と少し前に、自宅で書き物をしていたとき、急用ができ、体調がすぐれないなとは感じながらも、とりあえずは用を先に済ませましたが、その帰宅の途上、とある駅のプラットホームで大量の吐血をし救急車で搬送されたことがあります。搬送中に隊員から氏名やら身分を問われましたが、うまく応答できず、それどころかとても眠くてしかも気持ちが良く、体全体がひんやりとしてきて意識が徐々に徐々に薄れていく束の間を体験しました。
以前から通院していた病院に到着したときは、深夜だったそうで、わたしにはほとんど意識がなく、胃の洗浄をしながら止血処置を施して頂いたそうです。直後、集中治療室に移動させられて輸血が早朝まで続いたとか。輸血の途中で意識が戻りました。。。ココハドコジャ?
ニーチェに言わせればどの宗教であれわたしには、じゅうぶん信徒になる素養と資格はあるようですね。わたしのハイデガーへのやや強い傾斜が、ただそうさせないだけです。
(2008年06月23日 記)
(2013年追記:2009年04月、某プロテスタント教会にてアノニマス受洗。)
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