オレが書き出す言葉はサァ、アンタたちが馴染んできた文法とはまるっきし違うんだゼ、そこんとこよろしく!(§ 7 終盤)とわざわざ注意を喚起してくれています。
アンタも、オレに挫折したいのかネ?そうかいそうかい。とひとり悦に入っているかのようで、小憎らしくも感じますよネ(笑)。
以下の「アノニマスによる超ミニ実験」は、これからハイデガーを読もうとする奇特な方々、あるいは完読しきれずに挫折してしまった方々が、「難解なのはハイデガーではなく、むしろわたしたちのほうであった」、と気づかれることを切に期待したものです。
では。。。
まずは、下にあるギアアイコンをご覧ください。E-ARTjapan様から有り難く頂戴したものです。ほんとすばらしいですねぇ。
。。。と感心しているのもつかの間。
頭のどこかが、むずむずしてきませんか?この、むずむず、がじつは曲者(くせもの)なんですねえ。
フムフム、歯車は三つだな。え~っと、右側に大きなのがひとつ、小さいのが左側上下にふたつか、なるほどなるほど。するってぇと、右側の大きい歯車がまず動き始め、それから左側の小さな歯車が逆に回転した、ってぇことになるわけだ。とにかくばかでかいんだからネェ。。。でこれ、なんの実験?
およその人はごく自然に、無自覚と言ってもいいくらい自然に、このような(事後的)思惟を経て納得に着地します。
この納得は間違いではありませんが、「動くギアアイコン」の真理からすると、不十分です。
もう一度チャレンジです。
今度は、自然起動する思惟の運動を少し制御するよう意識して、「動くギアアイコン」を眺め続けてみましょう。
いかがですか?なにが見えましたか?
簡単に申し上げれば、「(あるものが)動いてある」、という出来事だけです。
この「動くギアアイコン」には、どれひとつ原因になるものなどはじめからありません。したがって結果もありません。
ギアの数・大小の差は、ただの度量の違いにしかすぎません。
それぞれのギアの動きに先後関係も因果関係もありませんので、すべてのギアは、外部的に継起する時間の制約を受けてはいますが、それら自体まったくに同期して動いています。
そう感じることができた時、なにやら落ち着かない、まるで宙づりにされたような気分に襲われることでしょう。ハイデガー体験、とでも呼んでおきます。存在の始原の一歩手前あたりが垣間見えた、それが瞬間です。
このハイデガー体験をしますと、認識運動とそれに同伴した波頭の如き情念一切の関与するわたしたちの「今」が、時間の先端などでは到底ありえない、というとんでもない洞察にも成功することになります。そう感じるのは、言葉を介し絶え間なくむずむずと自然起動する思惟(西欧形而上学)のいたずらのためであった、ということも分かってきます。
いずれにしましても、用語・叙述スタイルに見出せる同期性へのこだわりは、いわゆるハイデガー文法の特徴のうちの一つです。それらは、不穏さやデモーニッシュ感でわたしたちを威嚇するわたしたちの自体「存在」をなだめ、あぶりだし、強く引き寄せるための、撒き餌であり仕掛け網なのです。
そのことに気づかれると、ハイデガー体験はもう皆様方の目前までやってきたも同然です。
以上、「超ミニ実験」でした。お・し・ま・い。
気分が向いたら、また実験しまぁっす。。。
0 件のコメント:
コメントを投稿